とのさんへ。(4月23日に頂いたコメントに対する返事。同日記す。)
いらっしゃいませ。>この状況で親日、新米を評していられる方々は、彼の国にとっては本当の愛国者であろうと思われますので、出来ればこういう方々を救いたいですねぇ。同感です。伊藤博文を暗殺した安重根と、彼を監視した日本の憲兵との間に国家を超えた友情が芽生えた話と、今の左右の日本人を比べると、ずいぶん狭量になったなあと感じてしまうんですよね。自己批判も込めてですが。韓国関連が続いたのは本当は韓国にはそんなに興味があるわけじゃなくて、「法の濫用」にこそ興味があるんです。人権擁護法関連のエントリーもそうでした。でも政治向きの話は不得意ですし、知識も全くありません。いくつかの、とのさんの言葉に倣えばアマチュアのブログを拝見すると、皆さんとても知識が豊富でいらっしゃるなあと感心することしきりです。外交関係の推理もうならされることばかりです。でもねえ…書くべきかどうか迷うんですが、それって必要なことですかね?9.11テロのとき、アメリカはどう対処すべきかについて「ブッシュはAであるべし」「いや、Bだ」「折衷してCはどうか」・・・テレビで評論家達が議論してました。でも、「○○である」と決定する責務があるのは世界でただひとりブッシュその人なんですよ。評論家甲でも乙でも僕でもない。もちろん民主主義社会では甲や乙や僕の意見が国のあり方に反映されるわけですが(だからこそ最近の法の濫用事案は問題だと思っています)、また甲乙僕がブッシュにならないとも言い切れないんですが、本当に必要なことは左右全ての意見を読むこと、その中からあるべき「私」を作ることだと考えています。そして「私」と「公」をどう止揚するかが僕の本来的な興味です。僕の好きな評論家に勢古浩爾さんという人があって、彼は人生を「人間の人生」と「自分の人生」に分けて考えるんです。これは大きなヒントだと思っているんですよ。いつかまとめてみたいと思っています。当ブログは政治軍事外交問題そのものをとりあげません。その能力もないですし。そんな感じのふやけたブログですが今後ともよろしくお願いします。暇で暇でしょうがない、というときには過去の拙記事も是非目を通されてご批判ください。