ショパン感傷旅行
パリ市立ロマン派美術館。ピガール街、モンマルトルの丘のふもとのこの街は、古くから、多くの芸術家が住んだ地域である。地下鉄ピガール駅周辺は、現在かなり治安の悪い場所になっており、昼間でもちょっと物騒な感じがしたが、ほんの五分も歩くと、時空を超えたような、古い美しい住宅街になった。 この建物は、画家のアリイ・シュフェールが住んだ家とアトリエで、かつてこの家のサロンに、ショパン、リスト、ドラクロワなど、多くの芸術家が頻繁に訪れていたという。現在、その家の一角にジョルジュ・サンドのサロンが復元され、実際使っていた家具や装飾品が、展示されている。 ショパンとサンドの、手の石膏像。 室内にはショパンの曲が静かに流れており、途中、バルカローレに変わった。万感の思いがこみあげた。マリアへの遠い思慕、サンドへの感謝、芸術への情熱と、生への諦観と。相反するものすべてを受け入れ、ひとり去った彼の深い、透明な優しさのようなものを、直に感じた気がして。。 薔薇が、今まさに満開の季節。庭は喫茶コーナーになっており、お茶とケーキがいただけた。優しさに満ちたような、空気感。。1800年代前半に生まれ、早々にこの世を去っていった繊細な天才たち、ショパン、メンデルスゾーン、シューマンなど。。彼らの音楽がまさにふさわしいような、美しい場所であった。 ヴァンドーム広場。現在は高級宝石店ショーメになっている、この建物の二階が、ショパンが最後の日々をすごした場所。彼がこの家で息を引き取った、というプレートが外壁にあった。 彼の葬儀が行われたマドレーヌ寺院。ヴァンドーム広場からは、歩いて五分ほどの距離にある。フォーレも、この教会の専属オルガニストだった。こちらのマリア様は、とりわけ美しかった。 ショパンの遺言は三つ。心臓は、死後ワルシャワに運ぶこと。葬儀には、モーツアルトのレクイエムを演奏すること。そして、未完の作品はすべて焼却すること、だったそうである。この日の帰り道、偶然撮った、不思議な夕暮れ。パリのマジックアワー。。なにかむこうから、気難しい顔をしたショパンが、俯きがちに、足早に歩いてくるような気もして。。? 音楽は、混沌とした私の中の、一筋の光、です。音楽家たちが、どんな場所に暮らし、何を見て、何を思いながらこの曲を作ったのだろう?この素朴な疑問が、今回、私を旅に駆り立てた最大の動機かもしれません。(もちろん、短期間のパリやオペラ座見学くらいで わかる事は微々たるものでしょうが。)ただ、「確かに、彼らはここにいた。」そう実感できるだけの、十分な佇まいを、この街、パリは今も持っていた気がします。かつて、この街に生きた、多くの芸術家たちのスピリットに、深い敬意を覚えつつ、これからもずっと、彼らの作品を愛し続けていこう。遠い、東洋のかたすみで、ね。。さようなら、PARIS!今回のパリ旅行記、これで終わりです。ラストは少々センチメンタルにまとめました☆ 長いこと、おつきあいありがとうございました。