スイス射撃祭 ルツェルンのライオン銀貨
ごきげんよう今回は、スイスの射撃祭の銀貨を紹介します。ルツェルン 発行枚数 1000枚 ルツェルンは、18世紀にはスイスの首都でした。 この銀貨に描かれている「瀕死のライオン像」は1792年に 起こったフランス革命で8月10日チェルリー宮殿の ルイ16世とマリーアントワネットを最後まで守って戦死したスイスの傭兵の慰霊碑なのです。 ライオン像は山の斜面の岩に彫られています。 マーク・トゥウェインはこう言ったそうです。 「この世で最も悲惨で心を打たれる岩塊」 矢が刺さり白百合の盾を抱いて横たわるライオン、 異国で力尽きた傭兵の不幸をもの語っています。 碑文には「スイス人の進行と美徳に寄せて」とあるそうです。 (このコインは、2013年なのでアンティークでなくモダンコインです、女神がライオンに月桂冠をかざしています) 現在、スイスの名品と言えば、ロレックス、オメガ等の 高級時計、チーズやチョコレートも人気ですが、もう一つ 外せないモノが有ります! それは、プライベート・バンクです。 そこには世界の富裕層の資産が預けられていますが、 どうしてスイスに世界中からお金が集まるのか? これからスイスが まだ貧しかった頃に遡りますね。 今、スイスといえば アルプスや草原、美しい自然。 そんなイメージだと思います、実際は水源こそ豊富ですが、 土地は痩せ冬の寒さで耕作も不向きなので、草原でヤギや 牛を飼いチーズを作っていたのです。 貧しかったので、食事もアニメ「アルプスの少女ハイジ」 のような 黒パンにチーズと質素でした。 そのため、スイスの男性の多くは外国に傭兵として 出稼ぎに行っていました。 傭兵とは雇われの兵隊です。 彼らは日頃から険しい山道や厳しい自然に慣れていたので 自然と鍛えられ屈強で我慢強く真面目なので、多くの国々で 引っ張りだこだったそうです。 そうしてヨーロッパ各国に出稼ぎに出た傭兵達は、 その給金を国に仕送りする事で経済をまわしていました。 様々な国の通貨、それらを安全に両替、管理するために銀行が 発達しました。 スイスのプライベートバンクは、「資産を増やす」より 「どんな状況になっても資産を守る!」という考えです。 どんな状況でも言うのは、戦争、社会動乱、インフレ等です。 またスイス人は自宅にも ほとんど核シェルターを 備えています、マンションにも共同で使う核シェルターが在ります。 再び傭兵の話に戻りますね、1315年ハプスブルク家が動きます。 レオポルト公を中心に3~5千人のドイツ騎士団を率いて スイスに押し寄せて来たのです!ドイツ騎士団はヨーロッパ最強の 軍隊として知られ他国から恐れられていました。 立派な鎧と軍馬で美しく装備されたドイツ騎士団を迎え撃つのは 粗末な装備の1500人の民兵。 誰の目にも勝敗は明らかでした。 しかし、勝利を収めたのはスイス兵の方でした! 細い山道で待ち伏せして岩を落とすなど策略をめぐらせて ドイツ騎士団がひるんだすきに一挙に攻めました! この戦いで、スイス民兵の強さがヨーロッパ中に知れ渡ったのです。 当時のヨーロッパは、王家や公国が治めていて 各国で人を雇い軍隊を作っていました。 それに比べてスイスは一般市民が民兵となり、国を守っていたので意識が違います、気が付けばヨーロッパで最強の軍隊になっていました。 国民皆兵制度を作ったのは19世紀のナポレオン時代なので スイスの制度は かなり先進的でしたね。 再び「アルプスの少女ハイジ」ですが、日本のアニメでは 出て来ませんが原作者ヨハンナ・スピリの小説には、 ハイジのおじいさん「おんじ」は、若い頃イタリアに派兵されていた傭兵だったとあります。 傭兵には派遣先に何かあると同じように不幸が襲い掛かります。 最も有名なのがフランス革命です。 ルイ16世を守っていたスイス傭兵は、革命を押し進める民衆と戦います、スイス人としては民衆には、なんの恨みも無いけれど、 契約上 ルイ16世に付いて戦わねばなりません。 戦いは厳しいもので フランスの軍隊ですら逃げ出すような状態で、もう負け戦と知りつつ最後までルイ16世とマリーアントワネットを守り876人全員が命を落としました。 最後まで契約を守ったのです! こうして不幸な歴史もありましたが、恩恵もありました。 傭兵は、貰った給金をスイスへ送金するので、資金が集まり 財政が黒字になりました。 そこで銀行を作り、今度は各国の王様にお金を貸し出すようになったのです。 王様から傭兵代金をもらい そのお金で金融拠点を作り 王様にお金を貸す、暴利をむさぼらないので人気が有った そうですよ。 キリスト教は金利という制度を認めないので、金融業はユダヤ人が行っていましたが、唯一の例外がスイス人だったのです。 これまでのお付き合いの賜物でしょうか、 こうやって各国の王室にお金を貸すと 貸し倒れを防ぐ意味でも スイス傭兵は外国の王家を守る、そうした深い関係が元になっているのでしょうね。 それから もう一つ傭兵の恩恵があったと思われるモノ 高級時計です、傭兵は外国に派遣されると、時には同じ スイス人傭兵同士で戦うこともありました。 同志で殺し合うのは避けたい事なので、あらかじめこのような情報を流します。 「〇時に総攻撃を掛ける、離れた場所にいなさい」 この為には 正確な時計が必要になるので時計の技術が上がり 時計産業が盛んになったそうですよ。 その後、1874年にスイスの憲法が改正されて傭兵の海外派遣は 禁止になりました。 但し、ここでも例外が一つだけあります。1507年バチカンの教皇ユリウス二世が護衛として、最強の 軍隊として有名だったスイス傭兵を導入、以来 現在も スイス傭兵がバチカンのローマ教皇を護衛しています。 ルネッサンス風な軍服の美しい護衛ですね。観光で見られた方も多いのではないでしょうか? 私も旅の思い出として写真に残しています。 「この世で最も悲惨で心を打たれる岩塊」