プラモデルの戦士たち~THE REALISTIC MODELER~

2020/01/14(火)22:11

『 マンダム ~ 男の世界 』の歌

☆こだわり音楽作品(52)

​​​ ★☆ 「ウ~ム!マンダム!」チャールズ・ブロンソン (Charles Bronson)★☆ ​JERRY WALLACE   MANDOM-LOVERS OF THE WORLD ​~ 子供心に憧(あこが)れた「男の世界」のCM歌 ~​​  ​​​​小学生頃、テレビCMで流れるカウボーイ・ソングの様なカッコいい歌!そして、アメリカ映画俳優でも渋(しぶ)い大人の男のイメージのチャールズ・ブロンソン(Charles Bronson)が・・・、顎(あご)を撫(な)でながら「ウ~ム!マンダム!」と声を発する。子供心に、カッコいい大人の男を感じた。・・・そして、中学生になると、さっそくあのブロンソンのイメージのマンダム化粧品のアフターシェブローションを買い込み、「ウ~ム!マンダム!」と・・・まだ髭(ひげ)も生えないのにローションを顎(あご)にぬりたくって真似(まね)をしてみたものだった。​​​​   ​​YOUTUBEで、その懐かしいCMやジェッリー・ウォレス(JERRY WALLACE)が唄うその歌『マンダム~男の世界』のフルバージョンを聴いてみた。やはり、今でも昔の感動のままに感じることができた。​​ ​ テレビCMで有名になったため、マンダム化粧品のロゴ入りで発売されたジェリー・ウォレスの『男の世界』のシングルレコード(SP)盤のジャケット写真、子供の頃このレコードを親に買ってもらったのだが、今はもう存在しない。  ​ ​​『 マンダムCM【チャールズ・ブロンソン】1970「う〜ん、マンダム」 』​​ ​​ これは、1970年(昭和45年)当時のテレビCMだが、いまだにこのテーマ・ミュージックと動画の記憶がそのまま残っているのだ。「ウ~ム!、マンダム!」・・このCMはある意味凄いブームを与えたのだ。  チャールズ・ブロンソンは、1970年に男性用化粧品メーカー「丹頂」の化粧品「マンダム」のテレビCMに出演し、一世を風靡した。撮影費は2000万円、ブロンソンへのギャラは3万ドル(約1000万円)だったそうで、撮影は、アリゾナ州の砂丘とユタ州のモニュメント・バレーやハリウッドのスタジオで行われ、このCMにより、「マンダム」の商品知名度は発売直後に一挙に98%に達した。丹頂は、1933年に整髪料「丹頂チック」を発売した男性用化粧品業界の老舗・大手だったが、1960年代にはライオンや資生堂の攻勢を受け、経営は危機に瀕していた。しかし、「マンダム」の爆発的ヒットによって年商は2年で倍増し、危機を脱した。このCMは海外映画スターのCM起用の先駆けともなったもので、ブロンソンは、1980年までこの「マンダム」シリーズのCMに出演している。  ​​ ​ これは、アメリカのテレビドラマシリーズ「カメラマン・コバック」(1958~1960年)の主演俳優時代の37歳ころのブロンソン、彼は、70数本以上の映画作品に出演しているが、主な作品では、「マシンガンケリー」、日本の黒田監督「七人の侍(サムライ)」の強い影響を受けた作品「荒野の7人」、スティーブ・マックイーン主演の「大脱走」、「いそしぎ」、「バルジ大作戦」、アラン・ドロンと共演の「さらば友よ」、「雨の訪問者」、「狼の挽歌」、「ウェスタン」、「狼よさらば」、三船敏郎と共演の「レッド・サン」などがある。ブロンソンは、いわゆる、ハンサムやイケメンタイプではないが、その独特な渋い男らしさのスタイルや風貌に好感がもたれて人気を得ていたようだ。  ​ ​『男の世界~Mandom-Lovers Of The World/ジェリー・ウォレス』​ ​ ブロンソンのテレビCMを観ていた良い子たちは、カウボーイの様な荒々しさの声の響きから、てっきり、ブロンソンが唄っていると勘違いしていたようで、レコードを買って、初めて、別人のジェッリー・ウォレス(JERRY WALLACE)という歌手が唄っていたんだと知ったのであった。・・・・CMでは、曲のほんのさわりの部分だけであるが、フルバージョンを聴くと、これもなかなかいいものだ。 ​ ​​ 晩年の頃のブロンソン、・・・ブロンソンについて調べてみると・・・彼は、2003年8月30日に肺炎で亡くなった。81歳だった。葬儀には、マンダム社も献花したそうだ。ブロンソンはチャールズ・デニス・ブチンスキー(Charles Dennis Buchinsky)として、1921年11月3日に、ペンシルベニア州エーレンフェルドでリトアニア系移民の両親の15人兄弟の5男として生まれた。炭坑夫の父はブロンソンが10歳の時に死去し、ブロンソンは兄たちと共に炭坑に入り、石炭を1トン掘るごとに1ドルを得たそうで、伝えられるところによれば、家庭は大変貧しかったため、学校へは妹の服を借りて通ったとも伝えられている。  ブロンソン自身は、第二次世界大戦中は陸軍航空隊に所属していたため、B-29爆撃機の機銃手として東京大空襲に参加した過去を持っているが、CM撮影に参加した折は、大スターらしからぬ非常に人間的で温かい気配りを行い、日本のスタッフを感激させたほどで、晩年も日本のテレビ番組が取材に来た際も、日本のファンを気遣い、自身の病身をさらすことでイメージを損なうとしてあえて取材を断るほどであったそうだ。  ​​ (Thanks) !!                 ↓(ありがとう)^^)/~~                      ♪どのページへのリンクもご自由にどうぞ。♪                  ​

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