つれづれなるままに矢野顕子やら宮沢和史やら
こんにちは。2条店の佐賀です。札幌はまだ風は寒いものの、春の来る兆しですね。朝がさわやかなせいか、私も珍しく早起きが続いています。まだ3日目ですが(笑)今日は思い入れの深い一枚から、つれづれに文章を書いてみようかな、と。よろしければ、おつきあいくださいませ。矢野顕子『ピアノ・ナイトリィ』(EPIC/SONY),1995レヴューをするまでもない名盤の1枚ですが、お店にあるとなんだかウキウキしてしまって、いてもたってもいられなくなってしまいました!!矢野顕子の弾き語りソロ・アルバムとしては、ベストアルバム『ピヤノアキコ』が風靡したのを記憶していますが、どちらのアルバムが好きかと訊かれると、答えを出しかねてしまいます。。そのくらい、ぎゅっとつまった1枚。『ピヤノアキコ』相当な曲が被っていることからしても、このアルバムも事実上ベストアルバムと言える気もます。(そもそも、彼女のカヴァーはその曲への「想いの強さ」から成っているので、 常に彼女のフェイバリット!感が滲み出ているのでしょうね)『ピアノ・ナイトリィ』と『ピヤノアキコ』、2つのアルバムの一曲目を飾るのは、THE BOOM宮沢和史の曲です。『ピアノ・ナイトリィ』は、「虹がでたなら」『ピヤノアキコ』は、「中央線」。両方とも彼の曲を最初にもってくるなんて、なんだかとってもシンボリックですね。THE BOOMといえば、「島唄」か「風になりたい」しか知らない、といった人も案外多いもの。「ブームって、沖縄のグループだよね?」と勘違いする人も(笑)。ある雑誌に、「宮沢は安直にワールド・ミュージック、サンバや島唄など取り入得れしまって、自分の音楽に消化しきれない危うさが常にある」といったような内容が、掲載されてありました。ブームを好きな私でも、そのことは少し納得してしまうところです。上記の2曲はワールド・ミュージック感はありませんが、原曲より矢野顕子が歌ったほうがいいという人は、大勢います。私も思えば、矢野顕子の歌ったほうを、たくさん聴いています。でも、「矢野顕子の音楽の方がいい」と、簡単に片付けるのには、なんだろう、少し違和感を覚えます・・・。***宮沢は、いろんな大地を旅をします。それぞれの地に根付いた音楽に深い感動と憧憬を覚えながら、しかし自分のなかにはそれはないと、自分は異国の旅人だということも、自覚的です。三線を手に取って、自分がまるで沖縄の人間のように歌っていいのだろうか、と。自分がブラジル音楽を歌うことで、根付いて生き続ける音楽を傷つけやしないか、と。これは私の勝手な憶測ですが、彼はいつか、強く決意したのではないでしょうか。このジレンマを引き連れて歌っていく決意。ブラジルの音楽を自分のものとして消化して歌うでない、臆して関係を絶って音楽を続けるでない、旅人として、異国の地に対する強くそして確かな想いをたよりに、たゆたうように歌っていくことをー。借りもののままで、いい、借りもののままが、いい。そのかわり、心は自由だから、僕は僕の詩をうたう。風のような旅人の心は熱い。その熱量は音とどこかアンバランスで、ぐらつきながら、更なる旅先をもとめている。話はもどって、「中央線」「虹がでたなら」旅人として世界にまなざしを向ける宮沢そんな熱い風にまた、まなざしを向ける、矢野がいる。旅をしながらつれづれに歌をうたう、ひとりの詩人の音楽を、矢野は結晶化して表現した。宮沢の歌は 旅路を凝縮した結晶矢野の歌は 音楽を凝縮した結晶そんなことを つれづれに考えてみました。詩人(宮沢さん)は 自分のことを表現するの 案外へたくそなんです(笑)、そのかわり 世界をどんなに愛でているか、その言葉には あふれている。音楽人(矢野さん)は 詩人はいいなぁって 妬いちゃうんです(笑)、そのかわり この人ってこんなに素敵なんだよって、音にしっかり紡いでゆく。二人とも、やっぱり素敵!そしてこういう連なりを音楽のなかに感じると、ちょっと嬉しくなってしまいます。いいとか悪いとか、趣向が合う合わないとか、そういうことで簡単にかたづけないほうが、音楽はずっと面白い。と、これは単なる佐賀哲学ですが(笑)ほんとうに、ふわふわした文章になってしましましたね・・・よし、気持ち切り替えてお店の窓ふきでもします!おじゃましました~。最近のお気に入り小室等『武満徹ソングブック』(ォーライフ ミュージックエンタテイメント),1997