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「社会性」について
反HS/CS主義者の多くは「ホームスクールやチャーチスクールでは、社会性は育たない」と主張しているが、この点について考えてみた。 *「社会性」の定義* まず、そもそも「社会性」とは何なのか?「社会性」という言葉には、心理学者の間でも厳密な定義はないそうだが、Wikipediaによると、「社会性とは、他者の存在に関心を持ち、積極的に関わろうとする姿勢、および関わるための技術」のことだそうだ。また、別のサイトでは、「社会性とは、その社会の中で、人との意思疎通をはかりながら、ルールを守り、互いに助け合っていくこと。」と書いてあるサイトもあった。 更に、Wikipediaによれば、 「社会に関わるためには、最低限以下の能力、ソーシャルスキルと呼ばれる、以下の能力が必要である。 1. その場の暗黙のルールを汲み取れる。 2. 自分の発した言動が、相手にどう受け取られるか想像できる。(心の理論) 3. 自分の考えを、上手に相手に伝えることが出来る。 社会性の基本は、ギブ・アンド・テイクである。 概ね小学生段階で、たとえばおもちゃを借りたら相手の便宜を図ってやろうという辺りから始まる。 いわゆる大人の付き合い、進物やおすそ分けをされたらお返しをするといったことも、ギブ・アンド・テイクの応用だと考えればいい。」のだそうだ。 *ホームスクールでは、社会性は育たない?* 多くの人は、「ホームスクールやチャーチスクールでは、社会性は育たない」という主張するが、それは本当か? もし、学校のみが子供たちが社会性を獲得できる唯一の場所であるとするなら、かつて、まだ学校がなかった時代に育った人たちは、社会性を身につけることができなかったことになってしまう。確かに現代では、多くの子供たちにとって、学校は、社会性を身につける唯一の場所になっているかもしれないが、それは、単に学校が子供たちにとって1日の大部分を過ごす場所となっているために過ぎない。 また、学校でしか身につかない「社会性」とは何なのか?それは本当の「社会性」と言えるのか?学校に行きさえすれば、「他者の存在に関心を持ち、積極的に関わろうとする姿勢、および関わるための技術」を獲得し、「人との意思疎通をはかりながら、ルールを守り、互いに助け合ってい」ける人間になれるのか? 学校で重視されるのは、社会性というより、団体性、すなわち、団体行動にどれだけ従えるか、上からの指示に従って、一糸乱さず、(軍隊のように)きちんと行動できるかという点にあるのではないか。 以前にエホバの証人2世の証言集を集めた本を読んだことがある。その本には、エホバの証人にいたことの影響として、人にどう接してよいのかわからず、大学は出たものの、人と接する機会の少ない仕事として整備工を選んだという人のことが書かれていた。エホバの証人は、ホームスクールやチャーチスクールで教育を受けた筈はないから、その人は、一般の学校に通っていたと思われる。そのことを見ても、単に学校で教育を受けるのみでは、社会性を獲得することはできないことがわかる。(エホバの証人の場合、子供の頃から親と一緒に戸別訪問をして「めざめよ!」とか「ものみの等」を売り歩いているのだし、そのために効果的な他人への接し方や話し方の訓練を受けている筈だから、むしろ、対人関係は、得意な人が多いのではないか?) ネットでググってみて、学校関係者による、社会性の育成の重要性を強調しているサイトが数多く存在することがわかった。そのことだけを見ても、今の社会では、豊かな社会性を子どもの中に育むのは、学校であっても難しいことであることがよくわかる。もちろん、ホームスクールやチャーチスクールであっても、それは大変なことだとは思う。しかし、「ホームスクールやチャーチスクールでは、社会性は育たない」と主張する根拠にはならない筈だ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年05月01日 23時26分54秒
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