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2009年11月26日
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カテゴリ:世界のできごと
 
今日、アメリカは、Thanksgiving Day 感謝祭でした。

ご存知のように感謝祭には多くのアメリカ人は、
家族や友人と集まり、ターキー(七面鳥)を食べる習慣があります。
アメリカ人にとっては、1年の中でクリスマスに次ぐホリデーであり
この日からホリデーシーズンの気分が高まってきます。

この感謝祭が起こった起源として語られているのは、
イギリスからやってきた移民たちが、厳しい冬と食べ物不足で
苦しんでいる時、ネイティブアメリカンたちが彼らの生活を助け
それに感謝した移民たちが、ネイティブアメリカンを食事に招待し
一緒に収穫を祝ったというお話です。


でも、実は、この話は、真実ではなかったということを
近年になって知りました。
このお話は完全なつくり話であり、実際はネイティブアメリカンたちは
この日をきっかけに、自分たちの文化や土地を奪われ、
悲しい歴史が始まった時として
「Day of mourning 憂いの日」
として感謝祭は喪に服し、祖先への祈りを捧げる日になっています。

学校の先生、特に歴史を教えている先生たちは
この感謝祭に関する事実を、学校で子供達に教えるべきかどうか
またどう伝えるべきかどうか、迷う人も多いようです。
以下にそのことが書かれてありました(英語です)
『あなたは”最初の感謝祭”について子どもたちに真実を伝えていますか?』

この中のサイトの中で教師であり
歴史学者としてネイティブアメリカンのことも本を何冊か書かれてある
Chuck Larsen の「先生のためのイントロダクション」に
学校でいかに感謝祭の真実のお話を
伝えることが難しいことであるかを語っています。

では事実はどうなのか?
今日、この日記をアップするにあたって
急に思い立って、あるサイトに書かれてあった記事を簡単に訳してみました。
「最初の感謝祭」に関するにおおまかなストーリーです。
適当に抜粋して、訳もかなり適当ですが雫

星月星月星月星月

アメリカの歴史は、白人にとって都合のよいように
ゆがめられて伝えられてきました。
アメリカの子ども向けの本には、しばしばイギリスからの移民たちについては
自由や強さなどを象徴するように書かれてあり、
一方、ネイティブアメリカンに関しては原始的、大虐殺、地球の神、
宗教的儀式などの言葉を使っています。

そして、その代表的なものが感謝祭です。
感謝祭のTrue story ー本当のお話は、
けしてこの国が誇るべきものではないのです。

1620年にこの国にやってきたイギリスからの移民たちは
単にイギリスから圧制と宗教的差別から逃れるために
やってきたわけではありませんでした。
彼らはピューリタンムーブメントの一部であり、政治的な革命家たちでした。
(つまり、布教活動の一環であったということ)


『最初の感謝祭』の真実。

1620年の12月。
イギリスのピューリタンムーブメントから分離したグループは、アメリカの土に降り立ちました。
その土地は、すでにWampanoag Indians(ワンパノアグ インディアン)たちが
生活を営んでいた場所でした。
辛く厳しい気候への準備不足と食べ物を育てるには遅すぎる到着で、
グループの100人のうち半分近くは、その冬を生き延びれませんでした。

酋長Massasoi率いるワンパノアグ 族は、既に白人たちと長い歴史がありました。
イギリスからの移住者たちが来る100年前に、
彼らは奴隷売人のために働いているヨーローパの漁師たちと、遭遇していました。
彼らは新参者を信頼していませんでした。

でも、Squantoは例外でした。
彼はイギリスに住んでいたことがありました。
彼はヨーロッパ人が好きでした。
それはイギリスの探検家であるJohn Weymouthと一緒に旅をして
Squantoを息子のように扱っていたからでした。
Squantoは、ワンパノアグ 族のSamosetと出会いました。

1621年、酋長MassaoiとSamosetは60人以上の男たちと居留地に到着しました。
Squantoも仲介人として参加しました。
ネイティブアメリカンコミュニティと入植者たちの間には、
摩擦があったにも関わらず、Squantoは、平和的な契約に成功しました。
イギリス人たちは、ネイティブアメリカンを
彼らのスピリチュアルな信仰から悪魔の道具のように感じていましたし、
ネイティブアメリカンたちは、Squanto以外は全く信用していませんでした。

イギリスの入植者たちに狩りや漁や彼らの文化を教えたのは、Squantoでした。
(彼はこの時代で最も英語を話せるネイティブアメリカンだったそう)
彼は、自然の薬草や大地からの恵みについて、彼らを教育しました。
ピューリタンの移住者たちは、彼を「神の道具」だと思っていました。

数ヶ月のち、ワンパノアグ 族と移住者たちは、
土地を必要としている移住者たちのために
再び土地の交渉について会うことに決めました。
彼らは移住者たちのための、安全なプリマスプランテーションを建設したいと考えていました。
ネイティブたちは3日間の交渉のための会議に同意しました。
ワンパノアグ 族の習慣の一つとして、ネイティブアメリカンコミュニティは
このイベントのための全ての食糧を持ってくることに同意しました。

平和と土地の交渉は成功し、移住者たちは彼らの土地の権利を得ることができました。

1622年、プロバガンダは、「最初の感謝祭」についての流布を始めました。
Mourts Relationープリマスの素晴らしさについて書かれた本には、
その会合が、ネイティブアメリカンとの親密な祭典として描かれました。
できるだけ多くのピューリタン教徒たちがこの地にへと向かうことを助長するために。
状況は、移住者たちによって美化されてゆきました。
ネイティブコミュニティは、暖かく広い心で新参者を迎え入れてくれるということで
彼らのニューイングランド地方への旅をより安全に感じさせるためでした。


※つまり感謝祭の真実は、フレンドリーなネイティブアメリカンたちが
イギリスからの移住者たちを助けたわけではなく
ネイティブたちの「困った人たちは助ける」という習慣から
食べ物を与えたのであり、また一緒に祝ったという事実はなく
実際は、土地の交渉だったのですね。


そして、悲しい事実(その次に何が起こったか?)

入植者たちとワンパノアグ 族の間は、平和への希望でスタートしましたが
悲劇的な結末を迎えました。
かつては少数であった移住者たちは、4万人を越えるようになった一方
ネイティブアメリカンたちは3000人以内へと弱体化していました。
1675年までにヨーロピアンとネイティブアメリカンの緊張感は高まっていました。

Massasoitの後継者であり、息子のMetacometは、
ワンパノアグ 族の酋長になりました。
Metacometをキングフィリップとして呼んでいたイギリス人たちは
イギリス人、John Sassamonを殺したとして、3人の無実のワンパノアグ 族を罰し、
戦争を始めました。
John Sassamonの死は、凍った池に事故で落ちたことで引き起こされたことは
明らかな事実として知られていたにも関わらずです。

Metacometは怒り、絶望して、宣戦布告して復讐を求めました。
イギリス人たちはまた次のネイティブアメリカンを殺しました。
その結果、現在「キングフィリップ戦争」と呼ばれている戦争が始まりました。
マサチューセッツ州やコネチカット州のネイティブアメリカンの多くは
ワンパノアグ 族のもとに集まってきました。

しかし、イギリス人たちの力の方が勝っていました。
Metacometは、たくさんの人々をニューヨークに移しました。
とても悲しいことに、彼の妻と9歳の息子は捕らえられ、
奴隷として売られてしまいました。
深く傷ついて、彼は自分の故郷へと戻り、そしてすぐに殺されました。
彼の死は「キングフィリップ戦争」を終わらせ、
残ったワンパノアグ 族たちも殺されたり、
奴隷としてそれぞれ30シリングで売られてゆきました。

この奴隷売買は、とても成功して、いくつものピューリタン教徒の船主たちは
沿岸地方のネイティブアメリカンを襲撃し、アフリカの黒人奴隷とトレードしました。
黒人奴隷は、南の地方の植民地に売られてゆきました。
イギリスからの移住者たちは、
アメリカの奴隷売買産業の創始者の一つになったのです。

星月星月星月星月

注)原文ではイギリスからアメリカ大陸へとやって来た人たちは、
Pilgrim(巡礼者)という言葉が使われているのですが、
独断で「移住者」と訳しました。
(Pilgrim ー巡礼者という言葉は、私にとっては
魂の成長のために旅を続けるという人たちという、
美しい響きを持っているので、つい雫
でも大文字でPilgrimとあり、固有名詞として使われているので
そのままピルグリムと訳すのが本来は正しいと思います。

注2)このサイトでは、Samosetがイギリス人探検家のと一緒に旅をしたように
書かれたあったのですが、他のいくつかのサイトを見ると
事実は、Squantoであったようですので、この部分は修正しました。
(まあ、大まかな筋では、どっちでもいいんでしょうが)


日本の方にとっては、感謝祭はあまり馴染みのないものですが
アメリカに住んでいる人たちにとっては、友人や知り合いから
招待を受けることも多いし、毎年、感謝祭は様々な形で関わってきますよね。
もちろん、収穫を祝い、食べ物に感謝をするということは
素晴らしいことですから、感謝祭にそういう気持ちで過ごすことは
とても大切なことだと思います。
それと同時に、ネイティブアメリカンの歴史を知り、
もともとの起源を知っておくことも大切なことだなあと。

今日、私たちはおさむのネイティブアメリカンフルートと太鼓による
奉納を行って、彼らの祖先の魂に祈りを捧げました。
ターキーは食べませんが
おいしくて健康的な野菜と穀物の料理を頂いて
(自然栽培とまではいかないところが残念だけどウィンク
すべての恵みに感謝しました。

私たち人類がこれからの世界で
平和と愛に基づいて生きていくことができますように。

ありがとうございますダブルハート
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最終更新日  2011年11月26日 02時34分04秒
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