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2009年12月24日
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カテゴリ:世界のできごと
 
ついさきほど、とっても素敵なお話を読んだので
今日は、日記は、2回目のアップになりますが、
クリスマスの日にぴったりのお話なので、ご紹介しますね。

2年前に、日本のTV番組で紹介されたそうなので
ご存知の方も多いかもしれません。
精神世界の鉄人さんのブログで紹介されていたお話です。


星月星月星月星月

アメリカでクリスマスになると、
貧しく困っている人々に現金をプレゼントする男性がいた。
彼はいつしか『シークレットサンタ』と呼ばれるようになった。
「秘密のサンタクロース」として名前を明かしたのは
中西部ミズーリ州のカンザスシティーの郊外に住む
ラリー・スチュワートさん(58)の話です。

「ほかの誰かを助けることこそが、私たちの生きる目的なのだ」

1971年11月、23歳のラリー・スチュワートは会社が倒産し路頭に迷っていた。
あまりの空腹に耐えきれず、
ついレストランに入って取り憑かれたように注文してしまった。
請求書を出されようやく我に返り、お金を持っていないことに気づいた。
そして、なんとかその場を取り繕おうとポケットの中を探すフリをしながらも、
警察に突き出されても仕方が無いと思っていた時だった。

一人の男性店員がラリーの横でしゃがんで、
20ドル札(現在約2400円)が落ちていたと渡してくれたお陰で、
彼は会計を済ませることができた。

だがこの人生最大の苦境に偶然手に入れた20ドルが、
後に彼の運命を変える重大な鍵となる。

1972年、運良く拾った20ドルの残りを旅費に、
カンザスシティに移り住んだラリーは、
警備関係の会社を起こして懸命に働いた。
結婚し、子供も生まれたラリーは、幸せな生活を手に入れたかに見えた。

1977年12月、不況で会社が倒産し、その日の食事代にも困るほど追いつめられた。
貧しさのせいでラリーは我を忘れ、銃を手に銀行に入り、強盗を働きそうになった。
だが、20ドル札を見てふと我に返り銀行強盗をすんでの所で思いとどまった。

改心したラリーは1978年、妻の兄からの援助を受けて
セールスマンとして懸命に働いた。
だが彼はまたしても試練を与えられる。

1979年12月、会社の経営が思わしくないということで、
ラリーは解雇されてしまったのだ。
もう助けてもらうあてがないと途方に暮れていた時だった。
ふと目についた売店に立寄り、ポップコーンを注文した。
店員の女性は暗い表情で、違う商品とおつりをラリーに渡した。

ラリーは彼女が困っているのだと思い、おつりの中から20ドル札をプレゼントした。
彼女は受け取れないと言ったが、ラリーはクリスマスプレゼントだと言って手渡した。
この日はクリスマスだった。
女性は嬉しそうに礼を言った。

その笑顔がラリーを明るくし、彼は思いも寄らない行動をすることになった。

そのままラリーは銀行に行くとなけなしの貯金を引き出し、
白いオーバーオールに赤い服とベレー帽という姿で町に繰り出した。
そして困っているような人や貧しい人に、
20ドル札をクリスマスプレゼントとして手渡したのだ。

シークレットサンタが誕生した瞬間だった。

20ドルは大金ではなかったが、
困っている人々にとっては大きな助けとなり喜んで受け取ってもらえた。
それがラリーの人生にも思わぬ影響を及ぼすことになる。

家に戻ると、妻から銀行にお金が残っていなかったと聞かれた。
ラリーは落としてしまったと答えた。
すると妻は怒るどころか、
『仕方がないわね、でもあなたは幸せそうね』
と微笑むだけで文句を言わなかった。

翌年の1980年、ラリーは友人と長距離電話の会社を設立し、懸命に働いた。
そしてその年のクリスマスにも、道に立って人々に現金をプレゼントする活動を続けた。
そしてその金額は少しずつ多くなっていった。

不思議なことに、シークレットサンタとなって施しをすればするほど
会社の業績が上がり、長年の切り詰めた生活から抜け出し
家族のために家や新しい車を買えるまでになった。

ラリーの妻も町中でシークレットサンタの噂を耳にするようになった。
彼は家族にも言っていなかったのだ。

彼はそれからも一年も休むことなく、
シークレットサンタの活動を続けたのだが、9年目の1987年12月、
ついに妻にシークレットサンタがラリーであることがわかってしまった。

すまないと謝るラリーに、妻は
「素敵なことじゃない。
これからはもっと節約してたくさんの人を助けられるように協力するわ」
と答えた。

以後、家族もラリーの活動を知って陰から支えることになった。

1995年、地元ではすっかり有名になっていたラリーは匿名を条件に取材に応じた。

カンザスシティ・スター紙のマクガイヤー記者は、
彼も家族も一切表舞台に出ようとしなかったと話す。
しかし報道されてから、
シークレットサンタの正体への関心はさらに高くなった。
一方ラリーは多くの人に感謝されるにつれて、
ある人物に会いたいという思いが募っていった。
そして1999年12月、ミシシッピ州のトゥペロという小さな町のある男性宅を訪れた。

その男性とは、シークレットサンタの生みの親だった。
28年前の1971年、一文無しだったラリーが
落ちていた20ドルに救われた日のこと。
本当の落とし主が現れたら困るので逃げるように店を後にしたラリーは、
我に返って真実に気づいた。

20ドルは、落ちていたものとして男性店員が彼にくれたものだったことに。

男性店員はテッド・ホーンといい、当時のことを思い出した。
ラリーは彼がしてくれたことをいつか誰かにしようと思ったのだと話した。
そして、テッドの20ドルがなかったら刑務所に入っていただろうという。

自分の人生を正しい方向に導いてくれたお礼にと、
ラリーはテッドに1万ドル(約120万円)の入った封筒を渡した。
受け取れないというテッドに、
ラリーは自分が今あるのはあなたのおかげだと引かなかった。

当時テッドは、警察に突き出すのではなく、
自らの過ちに気づき、他人への優しさを知って欲しいと思って
20ドルを差し出した。
それをずっと覚えていて、
サンタ活動を続けたことには頭が下がるとテッドは話している。

テッドさんはラリーさんから渡された1万ドルを、
近所の病気で困っている人たちや生活に苦しい人たちのために使ったという。
人を思いやる気持ちは健在だった。

そしてラリーのサンタ活動は全米に広がった。
2001年には世界貿易センタービル爆破事件のあったニューヨークに行き、
ホームレスや職を失った人を中心に2万5千ドルを配った。

2005年にはハリケーンで壊滅的な被害を被ったミシシッピ州を中心に
7万5千ドルを配り、27年間で配った総額は150万ドル(約1億8千万円)になった。

だが昨年、シークレットサンタがついにカメラの前に現れ正体を明かした。
彼は昨年4月、食道ガンのため治療しなければ1ヶ月生きられないと宣告されたのだ。

正体を明かしたのは、自らの命の宣告を受け、
身近な人への思いやりを広げて欲しいというメッセージを送りたかったからだろうと、
マクガイヤー記者は話します。

その反響は大きかった。
2日間で7000通もの手紙やメールが彼のもとに届いた。
大半は自分もシークレットサンタになりたいというものだった。

その年のクリスマスも彼は病気を押してサンタの活動を行った。
そのお陰で多くの人が笑顔でクリスマスを迎えられた。
今年1月12日、ラリーは58歳で静かにこの世を去った。
それでも彼の笑顔と優しさは数えきれないほどの人の胸に
永遠のサンタとして刻み込まれただろう。

生前ラリーは、シークレットサンタ協会を設立、
会員資格は少なくとも1回他人への親切な行為を行うこと。
今でも世界中から登録の申し込みが後を絶たない。

星月星月星月星月

<Wikipediaより>
ラリー・スチュワート(Larry Stewart )
1948年4月1日 - 2007年1月12日)
アメリカ合衆国の実業家、慈善活動家。
ミズーリ州のカンザスシティを中心に、
人々に匿名でお金を配り続ける姿は『秘密のサンタ』と呼ばれ、
生涯に配った金額は130万ドル(約1億5600万円)といわれている。
2006年11月、自身が食道がんを患っていることで死期を悟り、
自分の思いが広まることを望み今までの慈善事業を告白した。
翌年1月12日、食道がんによる合併症により死去。

こちらは、この上のストーリーを日本のテレビ番組で紹介した動画です。

シークレットサンタ1

シークレットサンタ2

シークレットサンタ3


こちらは、アメリカの番組(英語)


このお話の中で、7000通のメールがラリーに届いた時、
そのメールのほとんどが
「私もシークレットサンタになって、みんなに幸せを与えたい」
というものだったというのが、とても素敵なことだなあとハート(手書き)

人生の中では、無償の愛を与えられることが必要な時もあり
そして、いつか、自分が誰かに無償の愛を与えてゆく。
そして、今度は、与えることで、またさらに大きな愛を受け取ってゆく。

そして、その「いつか」は、けしてお金持ちになってからではなく
ラリーのように、いつからだって始めることができるのですよね。

それにしても、自分が失業中で全く当てがなくて、
これからどうやって家族を養っていこうかという時に
持っている貯金の全財産を与えることができるなんて、本当にすごい人です涙ぽろり

このシークレットサンタのHPはこちらなのですが
ラリーがなくなった後も、この活動に賛同する方たちが
シークレットサンタの活動を行っています。

この中のお話で、2007年に、フェニックスに現われたサンタの言葉。

『これは、ただのお金のことではないんだ。
これは行動なんだ。
誰かが彼らのことを想っているということ。
彼らに希望を与えることなんだ。

それはすべて愛であって、値段がつけれないものであって
何にも代えれないものなんだ』

サンタは子どもたちに言います。

「世界は希望に満ちているよ。
世界は夢に満ちているよ。
きみたちは、どんなものにもなれるんだ。
ちょうど、シークレットサンタのようにね」


Marry Christmas.jpg
もちろん、与えることができるのはお金だけではないから
きっと誰もが今すぐサンタになれるよねどきどきハート






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最終更新日  2009年12月25日 03時32分37秒
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