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2010年06月05日
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カテゴリ:素敵なメッセージ
 
私たちの多くは、小さな頃から、世界を二つに分けて捉えるように育てられてきました。

良い人と悪い人
強い人と弱い人
正義と悪
強者と弱者
光と闇
成功者と脱落者
勝つ人と負ける人
癒すものと癒されるもの

つい私たちは、それは間違っている、とか
それは正しい、とか価値判断を下し、
あの人は悪い人だ、などと裁いてしまいます。

でも、そのあり方が、対立を生み出し、
永遠に戦いを続けることになっているということに気づいてから、
少しずつ私の中の何かが変わりはじめました。

この二元論ですべてを捉えている限り、私たちの真の平和はないし
私たちは分離したままであり、魂の成長はないということに。

2年前にセントジャーメインの詩に出会いました。
セントジャーメインは、実在の人物であったとされるアセンテッドマスターです。
聖山シャスタにとても縁が深いマスターであり、プロテクションや浄化や
私たちが光を持って進むための様々なことをサポートしてくれています。
(先日お話したリーは、生前からセントジャーメインとともによく働いていた方です)


以前、ここに書きましたが、私が体験した至高体験の中で
完全に光の中にいた時、そこには何も対立はありませんでした。
そこには、闇の存在でさえ、悪いものとして存在していなかったのです。
ただただ、すべては愛すべき存在でした。
悪も善もない、ということの本当の意味を、この時に強く実感しました。

でも、日々の生活の中では、つい、私も価値判断してしまいます。
(先日の日記のようにあっかんべー
あのやり方は間違っている、
この考え方が正しい、
そんな時に、ふっとこのセントジャーメインの詩を思い出すと、
それがす~っと手放されてゆくような気がします。

レイキやキネシオロジーが私に合っていると感じるのは
そこに対立がないから。
こう感じなければならない、とか
これが正しいというものがないからなのでしょうね。
100人いたら、100人それぞれの感じ方や捉え方があっていいのです。

今日は、このセントジャーメインの言葉から、抜粋いたしますね。
どうぞ、私たちが完全に対立を手放すことができますように。

月星月星月星

平和とは、安らぎとは存在のひとつの状態です・・・
すべてのものとハーモニーとバランスを保って、
いまここにあることです。

安らぎは、光と闇の間のスペースに存在します。
それは二極性の間での完全なバランスです。

安らぎとは二極性の両極を理解することであり、
何ものにも対立を見ることはありません。

安らぎは対立を知りません。神が対立を知らないように。
神は、神自らに対立することはありません。

しかしながら、あなた方の自由意志において、人類には選択肢があります--
自らに対立するか、あるいはバランスを創造して内なる
「源なる神」を完成させるかの選択です。
もっとも、ひとが対立を選択できるのは、分離の幻想の中にいるときだけです。


恐れはまた別の幻想ですが、これが対立をうみだします。
すべての対立は、恐れによって動機づけられています。
それは永遠に続く下降スパイラルです。
あなたが恐れと対立を、もううんざりというほど満喫するまで、
それは続きます。
その最後の瞬間、あなたはついに「万能なる、我、実在なり」
が輝きを放つのを許し、恐れと対立から愛とバランスへとシフトするでしょう。
対立を手放す選択をするとき、
あなたは自らの「神なる自己」に明け渡すという選択をしているのです。

あなたが善や正義の立場に立つとき、
あなたはただ、それに対立するもの-- 例えば憎悪とか戦争とか --
に対して反感を抱き、これを攻撃しています。
それは、あなたが対立しているということです。
この対立という空間の中で、あなたは憎悪や戦争と
同じエネルギーに巻き込まれているのです。

しかし、ああ、あなた方はこう言うでしょう・・
「私たちが戦争に反対するのは平和のためなんだ!」でも、私はあえて言います。
平和は対立とは無縁なものです。
安らぎは対立を知りません。平和とは、心安らかだから平和なのです。
自分は平和的だと言いながらも、
あなたの兄弟がおこなった間違ったこと、
あるいはおこなわなかったために道を誤ったことを責め、
くどくどとこれを繰り返すなら、そのとき、あなたの心は安らいではいません。
少しも平和的ではありません。
あなたが体制と戦い、世界の不正に反発し、
そして兄弟たちと競争することに時間を消耗するとき、
あなたは心安らいでいる状態にはありません。

すべての状況を、正誤や善悪、白か黒かに分極化させては、安らぎは生まれません。
対立があるところに平和はありません。

あなた方は平和を望むと言います。
平和(Peace)を手にするためには、あなたが心安らか(Peace)でなければなりません。
ハートの炎の中で、安らぎに慣れ親しむようにならなければなりません。
心安らかであるただひとつの道は、
他の人々が彼ら自身の体験を味わうのを許すことです。
たとえそれが、あなたにとっては、どれほどの闇の行為に思えたとしても。
あなたが安らぎの中にあれば、彼らの闇があなたに影響することはありません。

むしろ、彼らの内にキリストの愛と光と安らぎを見るでしょう。
それが彼らの本性、真実の姿であり、あなたが安らかな意識にあるときだけ、
そこに気がつき、それを悟ることができるのです。
他の人々のふるまいや態度、権威や行為あるいは価値判断に共感をおぼえないなら、
それはあなたがハーモニーの状態にない、共鳴していないということに気がつくチャンスです。
しかしながら、太陽神経叢のあたりが苦々しくむかつく時は、
じゅうぶんに警戒しなさい。
自らの内側に不満の憤激が燃え上がっていたら、気をつけなさい。
このような時に行動すると、まさに戦争や敵対にふさわしい行為をもたらすものです。
正義と憤激の行動は、安らかな行為ではありません。平和活動とは言えません。

それは敵対行動です。平和とは、心安らかだから平和なのです。
平和は敵対とは無縁です。

「でも、ただくつろいで何もしないでいたって、何の役にも立ちやしない」と、
あなた方は言うでしょう。
それは実際にそうかもしれません。
しかし、敵対することは、ただ、さらに多くの戦争を生むだけなのです。
ならば、ひとは何をなすべきなのでしょう?
平和とは、心安らかだから平和なのです。
心安らかでありなさい。
そうすれば、平和を手に入れるでしょう。安らかに生きなさい。
心安らかでありなさい。安らかに息を吸い、息を吐きなさい。
安らぎを目にして、平和を夢見なさい。

平和の名のもとに、対立を正当化してはなりません。
天の平和は、戦いも正当化も必要としません。
地上に天国をもたらすためには、
あなたはただ、あなたの本性、真実の姿なるものに、自らを明け渡さなければなりません。
すべての魂の内なる「我、実在なり」は対立とは無縁です。
それはただ安らいでいるだけです。

対立に備えて自ら武装するとき、
あなたは、あなたそのものである愛と光から自らを遮断します。
光をマントでおおって、闇の中に閉じ込めてしまいます。
こうしてあなたは、あなたが対立している相手そのものと同じになってしまうのです。
戦争を行う者を目にして彼らは悪であると非難するとき、
その非難によって、あなた自身が悪そのものになります。
その一方の極、悪の「反対」側に平和をすえる限り、
平和を手にすることは決してありません。
「反対」というからには、そこに対立があるわけで、
それは二極性と二元性が存在するということであり、
それによって三次元密度の現実へと、ますます深く引き込まれてしまうのです。
平和を達成するために戦争という手段に訴えるなら、
それはただ、さらなる対立をうむだけです。

平和を探し求めても、見つかることはありません。
平和とは、安らぎとは、探し求めることができないものだからです--
それはただ、体験されうるだけです。
平和とは、心安らかだから平和なのです。
恐れを利用して対立をうみ、
あなたそのものである光からあなたの気をそらしてしまうのは、
低次のマインドであり、人間のエゴです。
対立を構築したのは人間です。私たちはあなた方にこう言います・・
「対立を溶かしなさい!」
対立があなた方の役に立つことはありません!
平和に、安らぎにフォーカスをあてなさい。
そうすれば、あなたはますますそれを創造するでしょう。
対立にフォーカスをあててみなさい。
そうすれば、ただ、さらなる対立が生まれるだけでしょう。
理解しなさい。
健康や幸福、愛と喜び、恍惚とするような歓喜は、内なる安らぎが生みだすものなのです。
病気や欠乏、批判と闘争、そして痛みは、対立が生みだすものです。
これらの苦悩のすべてを、あなたはいったいどうしますか?
これらを正そうと努力奮闘するかぎり、あなたはたださらなる対立を続けるだけなのです。

うわべでは、あなたはこう言うかも知れません・・・
「私は心安らかな人です。私は何に対しても対立することはありません」

純粋なハートで正直に、自らの内側深くをのぞきこんでください。
あなたが自らに課した対立という刑罰のすべてを、自分自身で手放しなさい。
二極性の世界では、多くの人が、鋭い批判で他人を裁く立場から活動しています。
これは正しい道、あれは誤ったやり方と言い放ち、
正誤間の空間をますます大きく広げながら。
きわめて正しいという新しい一方の極が現れるごとに、
二極性はなお一層拡大し、そして、きわめて誤りというその反対の極が出現します。
振り子は、この対立勢力の両極間を果てしなく揺れ続け、さらに対立を深めるのです。

制限文字数になったので、次の日記に続きます。





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最終更新日  2010年06月05日 01時19分46秒
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