からだと宇宙とヒーリングと

2010/07/19(月)08:54

どんな自分であってもいいということ

つれづれ(255)

  今日2つめの日記になりますが、ちょっと思いついたので。 おとといに、ヴィパッサナー瞑想コースから戻ってきて 昨日はレイキのセッションやクラスが入っていましたが 今日は、久々のオフの1日だったので、のんびりと過ごしています。 昼頃、私がランチの用意をしていると、おさむがギターを弾き始めました。 その美しい音色を聴きながら、思わず、涙がボロボロこぼれてきました。 ああ、これが私にとっての答えなんだなあ と感じました。 もしも、私が、あらゆることに反応しないとしたら もしも、私がこれまで悲しみや苦しみを感じたことが全くなかったとしたら この音楽に感動することはけしてないでしょう。 悲しみを知っているから、苦しみを知っているから この音の一つ一つが、胸に響いてきて それが、どんなに美しいものであるかがわかるのです。 私にとって、苦しみも悲しみも、最終的な喜びや感動のためのものでしかない そのことをあらためて感じています。 もちろん、ヴィパッサナーで言われていることは、 ブッタが説いた真理であり、けして間違ってはいません。 私とおさむの2人の関係だけを見てみても、 以前は、不満や争いが絶えなかったのに、 その後、様々なヒーリングや方法で、いろんな浄化をしてきたおかげで 以前とは、全く違った、とても幸せなものになったことは 間違いないからです。 でも、以前の苦しみも悲しみも、私たちの人生の経験にとって、 やはり必要なものでした。 もし、それがなかったとしたら、今、これほど幸せを感じることも なかったかもしれません。 だから、先日の私のサンカーラの日記を読んで 「ああ、私には、まだまだ、たくさん浄化しなければならないサンカーラがある」 などと思って、がっかりしないでくださいね。 (そういう風にメールをくださった方が何人かいらしたので) もしも、人生にたくさん、反応の種、サンカーラがあるのなら それを手放す喜びもまた、たくさんあるということです。 周りの出来事や人の言動にいちいち反応してしまうと けして幸せではないですから 心の平安を保つために、自己浄化していくことは大切だと感じますが 一方で、例え、怒りを感じて、怒ってしまったとしても 悲しくて、わんわんと泣いてしまったとしても 思いっきり反応してしまったとしても それはそれでいい、私はそんな風にも感じています。 どんな苦しみであっても、悲しみであっても 癒されるべき時に、それは癒されてゆくのですから。 私たちそれぞれの人生にとって、必要なことしか起こっていません。 それぞれが選択した道が、ベストの道だと私は思っています。 どうか、あなたがあなたでいることに幸せを感じていますように。 Love & Blessings

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