2011/10/08(土)06:50
魂が望むこと
IH キネシオロジーのセッションでは、
潜在意識を調整するのに、何を目標にして調整するのかも
身体が決めるということは、何度か書きましたが、
いろんな方の身体が選ぶ目標を見てみると
それぞれ経験してきたことは、全く違い、考え方も性格も違うのに
本質的な部分は、同じであり、みな魂は完璧だなあということを感じます。
例えば、人に裏切られた直後で、人間不信になっている状態の方が来られた時に
その方の身体が選ぶ目標は、
「私は人を信頼します」だったり、
また、酷いことをされて、頭では絶対に許せないと思っているのに
身体が選ぶ目標は
「私は~~を許します」だったり。
最も許せない人を許せ、だなんて、
本当に私の身体が望んでいることなの?
と、一瞬、とまどう方も中にはいらっしゃいますが、
これはもちろん私がそう言っているわけではなく
その方の身体がそう反応しているのですから、納得できるのですね。
ここで、わかるのは
その方の今の潜在意識は「~~さんを許せない」と感じているわけなのですが
一方で、身体はそれを「~さんを許します」に調整してくれ、
と伝えているということです。
「~~さんを許せない」でいることが、相手の~~さんにとってではなく、
その方自身の身体や心に負担になっているので、
身体はそれを調整してほしいと感じているのですね。
以前、ここにご紹介した方の感想の中に
「潜在意識はいくつもの層になっているイメージがある」
というのがありましたが、まさにそんな感じで、二重構造みたいに
最初の「~~さんを許せない」という潜在意識と
その奥には、それを「~~さんを許します」に変えてほしい
と感じている潜在意識とがあります。
この奥の方、これは、潜在意識の中でも、超意識に近く
魂からのメッセージの部分なのだなあと感じます。
だから、例えば、その方の潜在意識が「私は幸せになる価値がない」
と感じているとしたら、実際、その方は今、幸せではないわけですが
本当の部分では「私は幸せになる価値がある」
と調整してほしいと伝えてくるのです。
ですから「身体の声を聴く」と一言で言っても
二つのことを聴く必要があるということ。
まずは、今、潜在意識がそのことに対してどう感じているのか?ということ。
そのことについて、潜在意識はストレスに感じているのか、
やりたくないと感じているのか、自分には無理だと感じているのか、
そして、次に、もしそれが問題だったとしたら
それをどう変えてゆきたいのか?ということ。
(これがその方にとって、本当に必要な目標ということになります)
この潜在意識の仕組みがわかっていないと、キネシオロジーのセッションで
例えば、身体にこの仕事をやりたいかどうか?を尋ねた場合に
もし、身体が「やりたくない」と答えたとして
ああ、それじゃあやらないようにしよう、とか
または、例えば、自分にとって自分の夫がストレスになっているとわかったら
では、夫と別れよう、ということになってしまいます。
そうではなくて、身体は今、何らかの理由で、
その夫に対して、わだかまりやストレスを感じているのは事実であっても
それをどう変化させていきたいのか?
を知ることが何よりも大切なこと。
これは、その人や状況によって、違ってくるところで
例えば、夫に対して、反応した場合
その方の潜在意識が選ぶ目標は
「夫を許す」なのか
「夫を認める」なのか
「夫を信頼する」なのか
「夫を愛する」なのか、はたまた
「夫と別々の人生を歩きます」なのかは、違ってきます。
(もっとも、この「夫と別々の人生を歩きます」が選ばれるのは
ほとんどは、頭(顕在意識)でも、そうした方がいいだろう、と考えている時ですが)
ですが、「自分を無条件に愛する」とか
「人を信頼する」とか
「人に対してオープンにしてゆく」とか
「日々安心して暮らす」「自分のありのままに表現する」
などのことに関しては、どんな人であっても、必要だと身体は訴えてきます。
人としてあるべき自然な姿というか、
どんな魂で合っても,求めているところなんだなあと感じます。
ですから、けして、身体は「怒りを抑える」
「がまんしてつきあう」「夢をあきらめる」
「~~を忘れる」などの目標は選びません。
それは、どんな人であっても、その魂があるべき姿ではないからです。
(もっとも、夢を追いかけることが、執着や切望になってしまって
その夢や目標が叶わない限り幸せを感じないという状態になっていると
「切望すること」を調整しなさい、と身体が伝えてくることもあります。
夢や目標を持ってわくわく暮らすことは大切でも、それが切望になってしまうと
心身の負担になってくるのですね)
最終的に向かってゆくところは、みんな同じ。
誰もが人を愛し、愛され、信頼し合い、心身ともに健康で、
豊かに幸せに生きることが必要なのです。
例え、今生でどんな課題を与えられていたとしても
幸せに生きることを望んでいない魂なんて、一つもないのですから。
その時、その時の魂が望んでいることを知り
その声に従って、人生を歩いてゆきたいですね。