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2013年10月07日
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カテゴリ:つれづれ
 
キネシオロジーのセッションで
例えば、グラウンディングや結婚や仕事に関連して
問題となっている感情や意識を見ていく中で
よく出てくるものとして
「自由でいたい」という思いが上がってくることがよくあります。
上がってくるというのは、身体が反応して伝えてくるという意味です。

この「自由でいたい」という思いが意識の根底にあると
例えば、結婚が苦手、とか、結婚しても子供は生みたくない、とか
グループでの活動が苦手とか、一つの仕事を長く続けれない、深く関われない
などという問題が出てきます。
結婚=自由でいれなくなる、グループでいると自由でいれなくなる
一つの仕事を続けていると自由でなくなる
と潜在意識では感じてしまうということです。

以前は私自身もそうだったのですが、こういう人は
例え好きな人と結婚しても、束縛を感じてしまい離婚になったり
または結婚したいと頭では思っているのに
いつも相手としてコミットメントできないような人を引き寄せたり
または、仕事も一つのことを深く極めたり、長く続けることができなかったりします。
また大抵の場合、自由でいたい人は、人からのサポートを受け入れるのが苦手です。
人からサポートを受けると、相手にお返ししたりしなければならない
という意識で自由を感じれなくなるので、人に頼んだりせず
何でも自分でやろうとするのです。

つまり、自由でいたい、と潜在的に感じているということは
言い換えれば、私は自由ではない、という意識の現れです。
過去に自由ではなかった何らかの抑圧があるということなのです。
その抑圧されたエネルギーが残っているので
自由でいたい、と無意識に感じてしまうのです。

宇宙の真理から言えば(この言い方は微妙ですが、私たちの本質という意味で)
「自由でいる」ということは、環境や状況によるものではなく
私たちの意識のあり方です。
お金があるから自由でいられる、わけでもなく
一人でいるから自由が得れる、わけでもありません。
自分自身が自分を制限しているものがなければ、自由なのです。
例え、子供がいようと、結婚していようと、一つの仕事に深くコミットしていようと
「私は自由である」という感覚を持つことはできます。
でも、過去に抑圧されたものがの残っていると、真の自由な感覚が持てないので
一人でいるとか、結婚しない、とか子供がいない、とか
一つの仕事にコミットしない、など、無意識のうちに
自分の状況や環境によって自由感を得ようとしてしまうのです。

自由と責任というのは、よく潜在意識の中でセットに捉えられています。
例えば、何か新しい仕事にチャレンジしたいと思っていても
自分の力がまだ十分でないので、相手に迷惑がかかる
などと感じていれば、その責任感に縛られるのが嫌なので
なかなか始めることができない、などということになります。
つまり、その人の潜在意識の中では、チャレンジしないことや
何も行動を起こさないことが自由でいること
になっているということです。

このチャレンジに関わらず「自由でいたい」と感じている人は
案外、責任感が強い人が多いです。
もし「君の人生に責任が負えないから、私は君と結婚できない」
と彼が言ったとしたら、その彼は責任感がないのではなく
責任感が強すぎる、というより、責任を負う必要のないところに
負わなければならないと感じているということです。

実際は、その方が意識のどこかで感じている「責任」というものは
幻想であって存在しません。
前にも書きましたが、責任は自分の人生に対して取るべきものであって
(自分の感情の責任は自分にあることを認識する、ということや
起こっていることをただ受け入れるという意味ですが)
他人の人生や他人の思いに取ろうとしても、その実態はどこにもないのです。
例えば「私が今やりたいことをやって
その結果、他の人にとって満足がいかないものになったら恐い」
などと感じている人がいますが
これは他人の人生や感情に責任を取ろうとしていることになります。
また、例えば、人と深く関われば自由でなくなる、などと感じているとしたら
「相手を喜ばせるためには、自分の言いたいことを自由に言うことができない」とか
「相手に合わせなければならない」
となどという自分の意識が、自分をがんじがらめにしているのであって
自由を失わせているのは、ただ自分自身のマインドなのです。
例えどんな人の前でも、自分が感じたことを
感じたように伝えることができたとしたら、自由でいられるのです。

ですから、私のキネシオロジーの調整では
自由でいたい、という思いを潜在的に持っている方は
「私は(どんな状況であっても)すでに自由である」
という意識に変化させてゆきます。
結婚していようが、一つの仕事に深くコミットメントしようが
それらは自分自身が選んだことであって
本当に相手のことが嫌になったり、仕事が嫌になれば
いつだってやめることはできるし、不要な責任感はもう必要ないのだ
相手に合わせて自分を抑える必要はないのだ
ということを深いレベルで理解した時
私たちは、真の自由な意識になることができます。
むしろ、自由でいたいという意識のままでは、
自分が人生を歩いてゆきたい人と一緒にいることを選択できなかったり
本当にやりたい仕事に、深く携わることができなかったりと
真の自由さからは離れてゆくのです。

ではなぜ、自由でいたい、と感じるようになってしまうのか?なのですが
多くの要因は、子供時代にあります。
子供の頃、コミュニケーションにおいて自由に自己表現ができなかったり
何らかの抑圧を感じていれば
自由でいたい意識が芽生えてきます。
ですから、今、自由な意識を持つためには
過去の抑圧された意識を解放してゆくしかないのです。
自由に関する調整では、前世とのつながりもよく出てきますが
これも過去の抑圧されたエネルギーであって
前世というよりも、誰もが持っている集合無意識とも言えるものです。
束縛された自由でなかった前世とつながっている人は多く
私たちの多くがいかに自由がなくなることを恐れているか?
がよくわかります。

そういえば、私も昔、意識のどこかに持っていたものとして
「刑務所に入る恐れ」というのがありました。
(もちろん、刑務所に入らなければならないようなことはしていないけどねウィンク
大学時代にえん罪について調べていて
何の罪もないのに自由を奪われることの怒りや絶望感というのは
どんなに大きなものだろう、と思ったことを覚えています。
私が刑務所に入った前世とつながっていたのか
それとも刑務所=自由がない象徴としてなのかはわかりませんが
こういうヒーリングをやるようになってから自然と
その恐れはなくなっていました。
私が長い間、警察や権威的なものに対する抵抗が大きかったのも
権威=自由を奪うもの、という認識が強かったからだなあと。

と、私も以前「自由でいたい」人だったので
そのあたりの心理やメカニズムは、ずっと探求してきたというのもあります。
以前の私にとっては、結婚や安定した生活なども、全く魅力的ではなかったし
安定は自分の成長を妨げるものだ、という認識がありました。

私が最初に結婚しようとしたのは、大学卒業2年後ぐらいでしたが
その時は、相手がコミットメントできない人で
結婚を決めた後、彼がやめると言い出し、別れたのですが
その時の私は傷つきながらも、人生が安定しなかったことに対して
どこかでほっとしていました。
自分の意識がコミットメントできない相手を引き寄せていたわけのです。

次に結婚しようと決めた相手は、コミットメントできる人で
彼自身は、私を守りながらも、私を自由にさせてくれる人でしたが
彼の家庭環境が私を自由にさせないものであったために
(というより、私がそれに合わせなければいけない
と必要以上に負担に感じていたために)
私の方がコミットメントできず、結婚しませんでした。

そうして出会ったおさむは、これまでもブログに書いてきましたが
全くもってコミットメントできない男で泣き笑い
私よりもさらに自由でいたい意識、つまり自由ではない意識を持っている人でした。
今は、もちろん二人でいろんなことを楽しむことができますが
昔は、例えば、彼のギターを弾きたい時間に、私が食事に誘ったりすれば
おさむは「俺の自由を奪おうとしている」と感じてしまい
不機嫌になっていたし、彼のそういう意識は長い間、何かにつけて出てきました。
その当時は、それが過去の抑圧された思いから来ているとは全くわからなかったし
それでも、よく18年もつきあってきたものだなあとウィンク
決断力、行動力はあるけど、忍耐力はなかった私なので(最近は少しはあるかなあ)
自分でも不思議です。

「自由でいたい意識」を持っている男性は、けして女性を守ることはできません。
女性は、いつ相手が自分から去っていくかもしれないという状況の中で
守られる意識を持つことはないからです。
おさむとつきあう中で、男性に守られるという私の女性性が
どんどん失われていって、いつ別れてもいいように
経済的にも精神的にも自立していったわけです。
一見、それはお互いに自由な存在であるかのように感じていて
頭の意識では満足していたのですが
男女の深いつながりというところで、気がつかないうちに
ひずみをもたらしていました。
近年、そのことに気づいて
女性性のワークやセッションをあれこれやってきて
それと同時に、私の中の「自由でいたい意識」もだんだん変化してきました。
それまでは波瀾万丈の人生こそが、自分を成長させてくれるという意識が
いつもどこかにあったのですが
安定を受け入れ、それとともに常に変容してゆくという意識に
変化してきたのだと感じます。
(まだ、若干、波瀾万丈の気はあるのだけどねあっかんべー

今回のイタリアの旅を通じて、さらに深いレベルで
おさむから守られるという意識を持てるかどうか、のレッスンがありました。
それに関しては、おさむの準備ができたら
またいつかゆっくり書こうと思っていますが。
安定していても、人生は常にチャレンジなのです。

「自由でいたい」という意識は
同時に孤独感にもつながっています。
属したくない、深く関わりたくない、その意識を持っている限り
孤独からは逃れられません。
そして、この孤独ー分離感こそが
私たちが抱えているほとんどの問題の源なのです。
例えば、お金は、生存に関わる恐れとして認識されているケースが多いです。
つまり、お金がなくなる=生きていけなくなる、という恐れです。
でも、もし例え、その人が、お金がなかったとしても
周りに助けてくれる友人や家族がたくさんいて
いつでも喜んでヘルプを与え合うことができる環境にいたとしたら
お金の問題は、生存の恐怖として認識されないのです。

今回の旅で、ダマヌールのコミュニティを通じて
人と深いレベルで関わってゆくことの大切さをあらためて感じました。
そこに住む人々の意識が自由であるから
こういうコミュニティに深く関わってゆけるのだなあと。

自由な感覚と一体感を持つこと。
一見、矛盾するように見えるこの意識は、実は全く矛盾していないのです。

すでに私たちは自由な存在であり
そして、孤独な存在ではないのです。







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最終更新日  2013年10月09日 21時48分53秒
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