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2014年12月08日
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カテゴリ:日々のこと
もう12月ですね〜
1日は24時間ではなく、数時間しかない感じだね〜
と先日もおさむと話していましたが、あっという間に過ぎてゆきますね。
最近またいろんな変化もあり、書きたいことも次々とありますが
とりあえず、今日は、先日FBで友人と話していた
「わくわくすることをする」「やりたいことだけをする」ということに
ついて少し書いてみようかと。

「わくわくすることをやる」というのは
バシャールを初め、スピリチュアルな世界ではよく言われていることで
私も昔から、ひたすらそれに従って生きてきたわけですが
多くの人が理解していないことの一つに
「わくわくすることだけが魂の導きだとは限らない」
ということがあります。
それをわかっていないと、逆に本当に自分が進みたい道には
進めなくなってしまったり
やりたいことはある程度はやれているのだけど
現状が何も変わっていないということになっていることがあります。

まず、もし自分が何かをしようとする前に
それをやってどうなるとかはわからなくても
わくわくと気持ちが高鳴る感じがあったり
やってみたいと感じることは
あれこれ考えず、ただやってみればいいわけです。

でも一方で、実は、わくわくしないこと、やりたくないと感じることが
本当の自分、魂レベルの自分にとっては
やりたいことである、ということも、よくあることなのです。

ではなぜ、魂では望んでいることなのにわくわくしないのか
やりたいと感じないのか、ですが
それは、何かそのことに関しての恐れやブロックがある場合
いくら魂レベルでは望んでいても、マインドがわくわくしないので
やりたいと感じなくなってしまうからです。

例えば、わかりやすい例を上げてみると
アメリカに長く住んでいる方で、もうそろそろ日本に帰りたいと
本当の自分は感じているのにも関わらず
日本に帰ることがわくわくしない、帰りたいと思わない
という人が、たまにいらっしゃいます。
ブロックの要因は、人それぞれなのですが
よく出てくるのは「日本に戻ると自由でない」という恐れです。
これは日本の社会が自由でない、ということが本当の問題なのではなく
周りに合わせなければいけない、という思い込みを
その人が持っているために(自ら)自由でない道を選んでしまう
ということが問題なのですが
例え、魂レベルの自分は。日本に帰って新たな出発をしたい、と感じていたとしても
マインドではその恐れの方が大きければ
日本に帰ることにわくわくを感じなくなってしまうわけですね。

もちろん「帰りたくない」と感じているのですから
そのまま、アメリカにいればいいのですが
「その恐れから逃れるために」今の道を選んでいる限りは
いつもどこか満足できない状況が続いてしまいます。
この恐れが大きければ、大きいほど
わくわくを感じなくなりますから
案外、自分が最もやりたくないと感じていることが
魂レベルでは本当にやりたいことだった
というようなことはよくあるのです。

ただやってみたい、と感じることと
(〜〜から逃れるために)〜〜がやりたいと感じることは
その本質が全く違うのです。
前者は魂のわくわくであり、後者はマインドのわくわくです。
大切なのは、何かから逃れるために〜〜を選んでいる
というようなケースでは、その逃れたい「何か」に
しっかりと向かう合うことです。
そうしなければ、いつまで経っても
魂のわくわくを見つけることができなくなります。

だから私はたまにセッションでクライアントさんに
「最も自分が恐れていること何ですか?
最もこうなりたくないと感じることは何ですか?」と聞いてみます。
そこに大きなヒントがあることがよくあります。

もちろん、まずは、自分がやりたくないと感じることを
できるだけやめるということは、第一歩です。
今、私は日々の生活の中で、やりたくないことをやっている時間は
限りなくゼロに近い状態です。

ところが、仕事はやりたくない、掃除もやりたくない
人とのつきあいも面倒
でもすべてやらなければならないので仕方なくやっている
そんな風に一日のほとんどをやりたくないことばかり
やっている、という方も中にはいます。

では、そういう方はやりたくないことをすべてやめていいのか?
ということですが
もしそれができるのなら、一度思い切って、すべてやめてみる
のはいいと思います。
例えば、しばらく旅に出てみる
何もしないで家でボーっとしているとか。
そこから何かが見えてくることもありますから。
でも、実際は魂はそこを欲しているところではないことが
ほとんどなのです。

時々、クライアントさんに
「どんな自分になりたいですか?どんな風になったら幸せですか?」
とお尋ねすると、たまに
「素敵な家があって、働かなくても好きなことがやれて、、」
などという答えが返ってくることがあります。
仕事をしない人生が幸せ
と仕事から逃れるための夢ですから
明らかにマインドのわくわくです。

一方で、私のところには、親からの財産や自分で築いた財産や
夫のお金などで、全く働く必要はなく、好きなことを一生やれるにも
関わらず、幸せを感じておらず
「何か自分がわくわくすることを見つけたい」
「打ち込める仕事をしたい」と
お越しになる方もいます。
また、仕事を辞めたい辞めたい、と思い続けていた方が
ある時、ようやく仕事をやめることができて
うれしいはずなのに、しばらくすると、何か満たされないものがあり
何かの仕事をしたくなりました
などと言われる方もけっこう多いです。

私がキネシオロジーでそれぞれの魂レベルで望んでいることに
アクセスしてきた中では、ほとんどの方にとって

仕事は魂の喜びであり(仕事は子育てや家事なども含みます)
遊びは魂の喜びであり
掃除や食事は魂の喜びであり
人とのつながりやコミュニケーションも魂の喜びです。

自分にとって心地よく感じない人とのつきあいはやめることは必要ですが
人とのつきあいはやりたくないと感じるから、といって
人との深いつきあいをやめてしまえば
心からの喜びは得ることはないのです。

もし今の仕事がわくわくしないのなら
二つの選択があります。
一つは今の仕事をやめること、わくわくする仕事に変えること。
もう一つは今の仕事の中でわくわくできる自分に変えること。

先日、あるアートや演劇関係のお仕事をされている方が来られて
お話を伺いながら
「夢があってクリエイティブで素敵なお仕事だなあ〜」
と思ったのですが
実際、その方の身体に聞いてみると
その方は、全く仕事を楽しんでいないという反応が上がってきました。
その方の中では、仕事は責任であり、目標を達成しなければならないものであり
人とのコミュニケーションも面倒なもの、という意識だったので
例え、夢のあるお仕事であっても心から楽しむことはできていなかったのです。
ですから、仕事にわくわくを感じるかどうかは
仕事の内容そのものではないこともよくあります。

さて、かくいう私も魂では求めていたのに
やりたくないから、わくわくしないからと
やらなかったことがありました。

その一つが「練習すること」
私は、以前から、ルーティーン、繰り返し同じことをすることに
全くわくわく感を感じませんでした。
だからどんなことでも練習はしない。
キネシオロジーも研究や勉強はずっとやってきましたが
最初から本番でセッションをやっていたので
練習したことはありませんでした。

キネシオロジーの場合は、仲間内での練習では
本当の力にはならないことが多いので、練習しなくてもよかったのですが
さて久々に音楽をやろうとすると、音楽には繰り返しの練習が必要
という揺らぎない事実に突き当たってしまいました。
でも、練習はわくわくしない、だから音楽をやらない
というループに入っていたわけですが
先日、ようやくそのブロックを取るために
おさむにキネシオロジーのセッションをやってもらったわけです。

よく考えてみれば、子供の頃はピアノの練習も好きで
親から練習しなさいと言われなくても自分からよくやっていたのに
いつのまに練習嫌いになってしまったんだろう
と筋反射で見てもらったら
大学1年生というのが上がってきました。

ああ〜と思い出したのが、バイオリンの練習。
私は教育学部の音楽科なので、専門は音楽だったのですが
この大学では、ピアノと声楽のクラスの他に
一つ楽器のクラスを取らなければならず、オーケストラの人数上
私は全く興味が持てなかったバイオリンをやることになりました。
(大学卒業してかなり後になって、バイオリンが好きになったのだけど)

で、バイオリンの練習を始めたものの、最初
ギーコーギーコーとひどい音が鳴るわけです。
ピアノはいくら下手でも、気分が悪くなることはありませんが
自分の耳元でひどい音が鳴るので
練習していると、気分が悪くなって倒れていました。
(自分でバイオリン弾いて倒れている図は、笑えるけどね)
それで、練習しないで大学のクラスを受けるわけです。
教育学部としての授業は共同で行われますが
専門はすべてプライベートレッスンで行われるので
バイオリンの授業も、プライベートなのですが
その先生がかなり厳しい方というか、すぐに感情的になる方で
私がバイオリンを弾き出すと、あまりのひどい音に怒りだし
数分もしないうちに
「今すぐ出ていけ〜〜」と部屋を追い出されるわけです。

普通の人なら、そこで練習すると思うのですが
当時から私はやりたいことしかやらなかった人で
いくら先生に毎回のように「出ていけ〜」と叫ばれても
けして練習していかず、この先生から
「君はこの学校始まって以来の恥さらしだ〜」とまで言われても
とうとう最後まで一度もまともに練習したことはありませんでした。

いやまあ、これは「やりたいことしかやらない」
というのを通りこして、柔軟性、共鳴力の欠如ですけどね。
今から考えてみれば、大学のクラスとはいえ
先生は貴重な時間を費やして
プライベートでレッスンをしてくれているのですから
何とも気の毒なことですが。
もっともこの頃の私は大勢にこびない自分が好きだったので
そのことを特にストレスには感じていかなったのですが
とにかく、これは私にとって練習嫌いになった
最初の出来事だったわけです。

それから、月日が経ち、20年近く前に、おさむと出会い
当時のおさむは毎日10時間ぐらいギターの練習している人で
私が彼の練習中に遊びや食事に誘ったりすると「練習をじゃまする悪魔」
のように受け取られていたので(今は全く違うけどね)
私にとって、練習やルーティーンは
まるで牢獄に鎖でつながれているようなイメージで
人生を楽しめなくするもの
直感やその時々の流れに従うことを防ぐものだったわけです。

今回のセッションで、そういった過去の記憶と
そこから来ている精神的、感情的要因をおさむに解除してもらったら
ようやく練習やルーティーンにもわくわくするようになりました。

ということで、話がまた長くなりましたが
「自分の夢や目標のためにや嫌なこともやらなければならない」
というのは、もう何かがずれてしまっているんですね。
嫌なことをやらずに自分の夢を叶えることができる可能性はあるし
または、その嫌だと感じていることも
本当はやりたいこと、わくわくすることである可能性もあります。
そのどちらなのかを見極める力が内観力ですが
自分の中の恐れと向き合ってゆくことが
その力になってゆくのです。





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最終更新日  2014年12月09日 14時12分48秒
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