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2016年08月15日
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今日はキネシオロジーのセッションの感想をシェアいたします〜。
ありがとうございます。

先日は、長時間におよぶ超濃厚な大手術(!)をしていただき、有り難うございました。

色んな場所に刺さっていた小骨が取れたような感じがしています。
それぞれの問題点?が、注目(愛)を向けてもらうことで浄化していったような。
うまく言えないのですが、私自身が原初の部分でとても嬉しかったんだと思うんです。
本当の私の声を聞いてもらえた、見てもらえた
そんな感じの満足感と安心感と言ったら良いのでしょうか…。
火が灯ったみたいにハートがじんわり暖かいのが分かるんです。
セッションを通してのりこさんに愛をたくさんもらって、
私もそれをちゃんと受け止められたのかもしれないなあと思いました。


先日、仲の良い友達と会ったのですが、後から思えば気を遣うこともなく
顔色も気にならず、いつもよりずっと楽に楽しく時間を過ごせたなあと思います。
さらに、話す時に緊張していた
(うまく話せるか心配なので、いつも電話の前に練習する)方にお電話をしたのですが
何の心配も躊躇もなく、さっと電話をかけ、とにかく楽しくお話ししている自分がいました。
どちらも別れた後に(電話を切った後に)、ああ言わなければ良かった〜
こう言えば良かったかな〜変に思われたかな…、みたいな
いつもの妄想の心配は、頭をよぎることさえなかったです
(今こうやって思い出さなければ、そのことにも気付かなかったと思います。)

ほんとに、すっごく楽ですね、これ…!!
今まで過去のことばっかり考えてたんですね。
何だかいろんなことを軽く考えられるようになった気がしています。

こういう変化が理屈ではなく無意識レベルで起こっているので
こうやってレポートを書こうとしなければ、ほとんど見のがすところでした。
キネシの効果を改めて実感し、やっぱりすごいなあと思いました。
またこれからどのように自分が変わっていくのか楽しみです♪

セッション中にのりこさんに言われたことが、とても響いています。
体がアートでもっと遊べと言っている、変わってもいいのよ、二元論になっている
エゴも含めて受け入れる、「悪いところ」も全部受け入れる
好きなことしかしない、役立たずになる、甘える、頼ってもいい、決断は自分…。。
折に触れて思い出しています。
これからは、楽に自由になんでも好きなことを実現する♪と決めてみます。
どうなるか、楽しみです!
本当に良いセッションを有り難うございました。


この方のセッションの最初のテーマは何だったか
今となっては、よく思い出せない感じですが
脳や遺伝、前世、親との関係などから
仕事、コミュニケーション、恋愛など
様々なテーマに関わっていたものでした。

このメールで、セッション後の変化を説明してくださったので
以前は、こんな風に人と話すのに緊張したり
自分にダメ出しされていたのは
とても苦しかったのだろうなあと、改めてわかります。
直接、クライアントさんの身体からの声を聞いているのと
クライアントさん自身の言葉で具体的に状況を聞くのとは
違うところもあるので、やはりこうして伝えてくださると
とても参考になります。

さて、今回の調整の中で、二元的な思考パターンを手放すというのがありました。

二元的思考というのは、正しいか間違いか、いいか悪いかといった
二つに世界を分けて見ている、ということなのですが
それが多くの人にとっての苦しみの元になっているわけです。
自分が言った事が「正しいか間違っているか」
あれこれ考えて後悔したり、または他の人のちょっとした言動から
この人はダメだ、と否定したり、信頼できなくなったり。
または、何かちょっと起こると、もう私は彼とは終わった方がいいんじゃないか
とか、私には才能がないから早く辞めた方がいいのかも
などと、極論になってしまったり。

こういった思考は、脳の機能と大きく関連しているのですが
この二元論的な思考に関連している脳が、どの部分なのか
また、どうしてそういう脳になったのか?
ということを理解する手ががりとなったのが
去年の暮れから今年にかけて、何人かの
境界性パーソナリティの調整を行い
その脳について、あれこれ調べていったことでした。

境界性パーソナリティの特徴として、いくつか
挙げられるのがあるのですが、例えば

感受性が強く、傷つきやすい
自分の中のネガティブな部分や闇を見たり、受けいれることができないので
 人のネガティブなものを見たり感じたりすると、拒絶する
無価値観、自己否定感が強い
自分では決断できず、他人に依存、迎合する
自分が何をしたいのか、自分のことが自分でわからない
一度、何かの考えが浮かぶと、それを払いのけることが難しい
二元的思考ー完全にいい人か完全に悪い人という極端な評価をする

というのがあります。
本格的な(?)境界性パーソナリティとなると、自殺願望があったりしますが
これまで見てきた中には、そういう境界性パーソナリティの方は少なく
多くは、境界性の性質と似たような性質がある
という程度で、厳密には境界性とは言えない方の方が多いわけですが
その全員が同じ脳の部分や神経伝達物質に反応があり
全員が1~2歳の頃に、両親が忙しくて構ってもらえなかった、とか
預けられていた、とか、母親がノイローゼ気味で大変だった
などの要因から、守られていない感、孤独感を感じていました。

そして、その調整をやっているうちに、この二元論的な思考が生まれるのも
境界性と同じように、1、2歳の頃の守られていない感と
それに対応していくつかの脳の部分に関連している
というのが、わかってきたわけです。

なので、ここ最近、この方だけでなく
二元的な思考パタ〜ンについて、調整することが多くなってきました。

先日、別の方で、やはり二元的思考が
セッションで出てきて調整された方がいらしたのですが、そのセッションの後

「人生に対する諦めの気持ちが抜け落ちた感じで、なんだか楽な感じがしているのと
思いついたことを、あれこれ「これは正しい行動だろうか
もっと正しい行動があるのではないのだろうか?」
と考えずに、すぐに実行するのって、シンプルで軽くて楽ちんだな〜と思いました。
嬉しかったです」

とメールに書かれてありました。

確かに、二元的な思考だと
「何が正しい選択なのか?」を第一に考えてしまうため
いろんな理由が出てきてしまって
選択がなかなかできず、決断力がなくなり
結果、人の意見に左右されたりするのですよね。

正しい間違い、いい悪い、ポジティブネガティブなど
二元的な見方がなくなれば
自分がどんな部分を持っていたとしても、そのまま受け入れる事ができるし
自分を責めることもなく、また相手を受け入れることができるので
相手が悪いという被害者意識も生まれないし
例え、やってみて失敗しても、それが間違っていた、ということにならないので
選択や決断も楽にできるようになるし
いろんなところで楽に生きられるようになるということなんです。

この方が「のりこさんの愛を受けとめられた」と書かれてありましたが
私のセッションの中での言葉は、その方の身体を通じて、伝えられた言葉ですし
結局は、自分の愛を受けとめられた、ということだなあと。

もともと二元的な思考になってしまうのも
いい子だったら親にもっと愛される、という無意識の思いが
いい子でない自分を否定してしまうところから、始まるわけですから。
自分をどこまで深く受け入れることができるかが
すべてと言えるかもしれません。

そして、二元的な見方は、程度の差はあっても
ほとんどの方にあると言っても過言ではありません。
そして、多くの場合、自分が二元的に世界を捉えている
ということには全く気づいてはいないのですよね。

かくいう私も、以前はかなり二元的だったなあと。
たまたま、今日、クライアントさんから
「スマッジングしようとしてネットで検索してみたら
のりこさんのブログに当たって、参考にして行いました」
というメールを頂いたので、へ〜そんなこと書いたのね、どれどれ
と以前(2009年)の私のブログを読んでみたら、そこに
「怒りなどのネガティブなエネルギーがある時も
スマッジングしたらいいです」と書かれてあって
ぎゃ〜思いっきり、ネガティブとポジティブ分けてるし雫

と、過去のブログを読み返すと、すべて削除!になってしまいそうなので
自分のブログは、滅多に読み直さないようにしていたのですが
(すべてとはいかないまでも、少なくとも、4分の3ぐらいの記事は削除だな〜)
それもまた二元的であり
全てはその時々のエネルギーの表れですから
どうであってもオッケーなのです。
というより、もし完全に二元的なものから抜けたとしたら
こういった内容自体、ブログにアップしたいとは思わないかもしれないしね〜ウィンク
(二元と非二元を分けていること自体が二元だという意味で)

つまり、究極的に言えば「私とあなた」
「私と世界」と分けて見ているのも
二元的な思考であるわけで
そこからは「私はいない」というノンデュアリティ(非二元)の世界に入って行くわけですね。
そうなると、そもそも「私はいない」のですから
「二元的思考を手放した私」というのもいないわけで
それはただ世界というか全体のエネルギーの表れ、ということになるわけです。
ま、非二元になると、さらにぐちゃぐちゃとなってしまうので、それはまたいつか〜
(って、いつかアップする気あるんかい!あっかんべー





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最終更新日  2016年08月16日 05時12分22秒
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