からだと宇宙とヒーリングと

2016/11/01(火)21:57

今回の日本滞在を振り返って

日本の旅(21)

昨夜、日本からニューヨークに戻ってきました。 今回も、またいろんな発見やストーリーがあって、おもしろい旅でした。 その話はまた後ほどすることにして まずは、いくつかの写真をアップして振り返ってみようかと。 東京でのクラスが終わって次の日は ゆうきちゃん、はるまくんと一緒に、明治神宮へ。 ちょうど日曜日だったこともあって、たくさんの人が訪れていました。 ここの木でできた鳥居は、周りの木々と溶け込み とても雰囲気がありました。   明治神宮の御苑。 遠くに止まっているのは、ルリビタキという鳥なのかな。 一眼を持って行かなかったので、遠すぎて撮れなかったですが。  この日は表参道にある「やさい家めい」という農家から直送の野菜を使った 野菜料理の店でランチ。 新鮮な生野菜をフォンデュー風のたれで頂く「農園バーニャカウダ」と 様々な珍しい野菜料理の秋御膳がおいしかった〜。 東京に行った際には、また訪れたいお店です。    次の日、東京での1週間が終わり、私はおさむと別れて、実家の福岡に戻りました。 数日間は、甥っ子と遊んだり、弟のおくさんと母と3人で飲んだり 一緒にショッピングしたり。 あ〜、久々にこんなのんびりと時間を過ごしたな〜と。 というのもつかの間、それからまた4日は実家で フィボナッチとIHキネシオロジーのセッションの日々。 今回もまた手強い相手ばかりでした 計9回のセッションの中で、いろんな冒険の旅を一緒に行うことができて おもしろかったです。 その話もまた次回。 そして、次の日は、おさむとレンタカーで阿蘇へ向かいます。 これは、途中で寄った鍋ヶ滝。 ここが意外によかった〜〜。    滝を裏側に回ってみたところ。    それから、今年3月から阿蘇に暮らしているよしこちゃんと再会し よしこちゃんの彼と初対面で、4人でランチしました。 ここ阿蘇での地震が起こったのが、よしこちゃんが神奈川から 引っ越してきた後2週間後の4月。 家が全壊して、被災して、避難所生活を送り その後、阿蘇神社のすぐ隣の家に引越し。 そして、ボランティアの場でこの彼と出会い、すぐにつきあい初めて 二人で今の家に引っ越してきたのが1ヶ月前。 この怒濤の半年を思うと、ほんとすごいな〜と胸が熱くなります。 でも、その地震のおかげ?というべきか、この地で二人で 運命的に出会ったのだから、やっぱり彼女がこの時期に 阿蘇に移住してきたのも必然だったのだなあと。 それから、よしこちゃんの紹介で、今回、おさむが奉納演奏をすることになった 阿蘇神社へ。 阿蘇神社は、二度目の地震で、楼門、拝殿ともに倒壊してしまったとのこと。その後、約2週間で建てられたという借拝殿にて 宮司さんがきちんと儀式を執り行ってくれて その後、おさむが奉納演奏を行いました。   いつものように、クリスタルボール、ゴング、惑星音叉、ティングシャ、カシシ ネイティブアメリカンフルート、ギターなどを使った即興演奏でしたが この神前での奉納演奏としても全く違和感がなく 音が響いていて、演奏が始まってすぐに場のエネルギーが変わるのが 感じられました。 最初は、一体、どんな演奏が始まるのだろう、という感じだった宮司さんも 終わった後、演奏をとても気に入ってくれたようで それぞれの楽器や由来をいろいろ質問されていました。 凛としたエネルギーの目力のある宮司さんで それでいて、とても気さくな方だったので、本当によかったです。 その後、宮司さんが、私たち4人を全壊した阿蘇神社を案内して 説明してくださいました。 この日まで、ビニールシートがかけられていて 外から見られなかったそうなのですが、たまたまこの日から 計測が始まるため、ビニールシートがはがされたのだそう。 最後のお姿を拝見できてよかった。 この日は、よしこちゃんのところに泊まり おいしいお酒や料理を頂いて、夜中まで語りました。 (おさむはすぐに酔っぱらって、寝てしまったけどね) 次の日。 南阿蘇のギャラリーで、おさむのサウンドヒーリングが行われました。 東京や知多半島で行われたサウンドヒーリングより 人数は半分ぐらいですが 鹿児島からやってきてくださった方もいました。 それぞれ今回の熊本地震での想いや経験などを語ってくれたのですが それを聞きながら、もともと私も熊本生まれだし 何か言葉にはできない想いが溢れてきていました。   それからよしこちゃんと別れて この日は、おさむと二人で南阿蘇の旅館、別邸 蘇庵へ。 一棟ごとに分かれていて、私たちの部屋は、一階は半露天風呂と純和室 二階は、寝室と阿蘇を一望できるラナイがある広いお部屋でよかったです。   南阿蘇は、メイン道路の橋が壊れていて、通行できないとのことで そのため、観光客がかなり減っているそう。 この日、広い旅館に滞在しているのは、私たち二人だけで 旅館の方から、至れり尽くせりでサービスしてくださいました。 この美しい南阿蘇に、また再び、活気が戻る日が 早く訪れますように。 次の日は、あいにくの雨だったので 雑貨屋や店めぐりをしました。 阿蘇神社の周りの家や店には、たくさんのわき水が出ていました。 アンティーク屋さんやおいしそうなお店さんが並んでいて 小雨の中、ぶらぶら歩くだけで、楽しかったです。       これは元女学校だった場所に、去年オープンしたインテリアショップ。 お店の方と話したら、ボストンでステンドグラスを学ばれていて 福島の震災から、日本に戻って来られたのだそう。    帰りは、たまたま見つけた、山の上にある豆腐料理の店 花唐符(はなとうふ)でランチ。 木造りのナチュラルな店内に雰囲気のある和食器や 自然食材などを販売されていたので コーヒーカップやお皿や佃煮などを購入しました。 おからコロッケなど、食事もおいしかった〜。 まさに私が阿蘇に求めていたお店 福岡に戻った次の日は、日本滞在最後の日。 最後に父のお見舞いに行き、それから母と天神でランチした後 夜もまた乾杯しました。 今回、実家では、毎晩、母のおいしい手料理を酒のつまみに よく飲みました。 結局、今回、福岡に滞在している間、入院している父のところへは 訪れたのは2回だけでしたが 食欲があって、思ったよりも元気そうでした。 母の話では、毎日、病院で飲まされている薬の副作用で、記憶が曖昧になっていてトンでもないことを言い出すそうですが 私がいた時には「仕事は順調か?』とか 「おさむちゃんは元気?』などと私に質問をして ちゃんとわかっているようでした。 でも、時々、自分がどこにいるのかわからなくなるようで 「ここも住み心地がいいよ」とか 「今日は温泉に行こうかな」などと言うのが おかしいのと同時に、何だかちょっとほっとしました。 記憶が曖昧になる、というのは、人によっては けして不幸なことではないなあと。 最後に「また来年来るからね」と言ったら、父が 「来年、来た時には、俺はまだ生きているだろうな」 とポツリと言ったのが、心に残りました。 「また来る時まで生きていてね」 昨日の夕方、ニューヨークのJFK空港に降り立った途端 少し肌寒いけれど、クリアな青空が広がっていました。 おさむが 「ニューヨークに着いた途端、ほっとするね」 と言っていましたが、確かにもう長い間、馴染んでいるから というのがあるけど このニューヨークのすっきりした空気感と 清々しいエネルギーが好きだな〜と。 ということで、日本でのストーリーの続きはまた〜。  

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