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2016年11月20日
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カテゴリ:つれづれ

さて、ノンデュアリティの大和田菜穂さんのサットサンですが

感想をアップするのはやめようと思っていたものの

何度か、筋反射で身体からのメッセージが出てきたことと

先日、何気に引いたマップカードが

「自分の失敗もさらけ出し

気づいたことをシェアする必要があります」

という、まさに痛いところを突いてくるな~というもので

あ~やっぱり伝えるのか~と。

こんなことを書いたら申し訳ない、なんて気持ちこそが

幻想であることもわかっているのですけどねウィンク

 

ブログという媒体を通じて発信するのは、個人に関わることは

本人の了承がない限りは、アップできないわけですが

菜穂さんの場合は、個人がいない、誰もいない、という意識の方なので

問題は何もないものの、そこに関わって来られた方たちのことを思うと

今一つ、腰が上がらなかったわけです。

 

とはいえ、そういう感覚もストーリーでしかないわけで

もうぶっちゃけ〜で行きますショック 

 

もちろん、これはあくまでも私とおさむの意識を通じて

感じている 「デュアリティな」感覚と言えるかもしれないので

いわば、私たちのストーリー、夢物語だと

聞き流してもらえたら幸いです。


さて、お会いした菜穂さんの第一印象は、ごく普通の可愛らしい女性という感じでした。

私はランチの時に彼女の近くに座っていたので

「パリの住み心地はどうですか~」という質問をしたのですが

「住みにくいですね~」というお答えでした。

「どうしてですか?』と聞いてみると

「日本と比べて何もかもスムーズではないんですよね」

というお答えで、ここだけ取ってみると

ごくごく普通の会話でした。


ノンデュアリティの意識状態にある人というのは

いつも圧倒的な祝福と喜びと一体感の意識状態にいる人

みたいなイメージがあったのですが

そういうのとは違うのですね。。


以前、私が何度か体験した一瞥体験や至高体験みたいなものは

その度に感覚は違っていました。

壁や他のすべてのものと境目がなく、一体化していた時もあれば

過去と未来と今すべてが今、この瞬間に存在していて

意識を向けた瞬間に全てそこにある、という感覚だったり

また、この身体というものを超えて、私は生命そのものであったのだ~

という圧倒的な祝福のエネルギーが溢れてきて、涙が止まらなかったり

清水友邦先生のリバーシングの時には、自分が巨大化していくようだったり

体験が終わった後も、通り行く人すべてにハグしたい衝動だったり 

その時々によっていろいろでしたが

どの体験にも共通していたのは、ハートが完全に開いた状態になっていたという事

そして 、すでにこの感覚はずっと知っていた

やっとここに戻ってこれた〜

という絶対的な安心感の中にいたということでした。

「私はいない」というより「すべては私」という感覚に近かったです。

 

そういった過去の体験から、ノンデュアリティの意識状態の人は

変性意識状態ではなくても、常にハート全開の状態になっている

と勝手なイメージがあったのですが

菜穂さんに会ってみてすぐに感じたのは

そういうことではなく、ただ彼女は

「私はいない」という感覚でいる、ということでした。


サットサンは、まず彼女の言葉は

「先ほどの、たまちゃんの料理はどこに行ったのでしょうか?」

という問いかけで始まりました。

「それはどこにもないのです。何も起こっていないのです」

という言葉でした。

それを聞いた瞬間、さっきまでのたまちゃんの料理によって

感じていた暖かな優しい感覚を、まるで打ち消されたかのような

虚しさが一瞬起こりましたが、もちろん、彼女が伝えているのは

「体験したと思っていることも、実際は起こっていない

なぜなら、それを体験する個人がいないから」ということであるし

その言葉自体にも意味はないわけです。

彼女は、「私はいない」「何も起きていない」「体験している人がいない」

「ただ湧いているだけ」という、メッセージを繰り返し、伝えられていて

メッセージそのものには、違和感はなかったのですが

ただ違和感を感じたのは

その場にいると、ハートがどんどん閉じていくと’いう

私の感覚の方でした。


その時は、多分、私はこの場の参加者のエネルギーを受けてしまって

私の中の何らかの問題(エネルギー)が出てきているのかな

と思っていました。

サットサンが終わった後で、親しい方が

「メッセージはわかるんですけど、何かこのあたり(ハート)がモヤモヤするんですよね」

と言われていたのですが

私もそのモヤモヤ感を感じていたにも関わらず

それは菜穂さんとは関係ないところで起こっているのだろう

と思っていたわけです。


そして、その日、私は家に戻ってから、急に感情が爆発して

それは最初は、おさむに対する不信感として出てきました。

いきなり「もう何もかもいや~!すべてが虚しい。もうおさむと別れたい~~」

などという言葉が私の中から突然出てきて、半分の意識では

「おいおい、何でいきなりそうなるのよ。それ、おかしいだろ~」と

感じているのですが、その感情の爆発はどうにも止められないのです。


最初、なだめていたおさむも、次第にその感情に反応して

『じゃあ、俺にどうして欲しいっていうんだ、一体何が不満なんだ?』

と怒りながら、聞いてきた時に

す~っと、その怒りの感情がなくなっていって

「え?どうして欲しい?」

「え~と、う~ん、優しくして欲しいの、かな?」

と自分で言いながら、ぶぶ、とおかしくなって笑い出し

おさむも「俺はいつも優しいよ~」といつもの二人に戻ったわけです。

 

そして「私、絶対におかしい〜、調整して〜」と

そのまま、おさむに軽くセッションをしてもらい

幾つかの男性からの抑圧に関する過去世のエネルギーが出てきて

それを解除し、とりあえず、落ち着いたのでした。

それにしても、おさむは特に何もしていないのに

なぜ急にそんな感情の爆発が起こったのか、私の中で何があるのか

わからなかったのですが、その時はそれ以上、見ませんでした。


そして、その次の日から2日間、おさむは菜穂さんのサットサンで

サウンドヒ-リングを行いました。

私はセッションで2日間とも行けなかったわけですが

どこかでその場所に行けなかったことに

ホッとしているのを感じました。

なぜか「あの空間にはいたくないな」という感覚が

あったのでした。 

 

そして、2日間のサットサン&サウンドヒーリングが終了し

その翌々日、おさむが

「俺、ノンデュアリティ・シンドロームにでもなったのかな?

何だか、すべてが虚しくて、何もやる気がしない。

いつもはセッションも楽しいのに

全く楽しいという感覚が湧いてこない

何もかもが虚しい感覚なんだよね」

と言い出したので

「ぶぶ、きっとサットサンの会場で、他の人のエネルギーから

何かもらってきたんじゃないの?」

などと言いつつ、では、さっとセッションして浄化しとく?と

おさむのセッションをスタートしたわけです。


ところが、セッションをスタートしてみると、何やら

いつもとは様子が違います。

何か強烈なエネルギーがそこにはありました。

「何なの、このエネルギーは?」

と、あれこれとスキャンリストから選ばれた中に

「洗脳」というワードが上がってきました。

「え?洗脳?』と意味がわからず、さらに詳しく’見ていくうちに

様々なワードが上がってきて、それらを統合してみていく内に

少しずつ何が起こっているのかが観えてきました。

もちろん、菜穂さんは何の意図も意思もないわけで

彼女に洗脳されていたわけではなく

菜穂さんから発していたあるエネルギー体に、洗脳、ではないけれど

それに近いほどの強い影響を受けたということでした。


そのエネルギー体が一体、何であるかも、はっきりと出てきたのですが

(ここで言わなくてもわかる人にはわかるかも)それらのエネルギー体は

「ピュアさ」「人を見下す」「人を愛せない」「冷酷さ」「特別意識」

という性質のものでした。

そうして、私が菜穂さんに会って漠然と感じたものが何だったのかも

次第にわかってきました。


菜穂さんが、もともと、つまりノンデユアリティの意識になる前から

人との共鳴力が低く、自分の感覚を受け取りにくい性質や脳であることは

これまでたくさんん方の脳や性質を見てきたので、何となく気づいていました。

だから、何も質問する気が起こらなかったのだなあと。

質問しても、この人は言葉の真意を受け取らない、理解できない

という感が半端なくあったからです。

ノンデュアリティの意識だから、彼女のような答え方になる

のではなく、もともとそういう性質や脳なので

参加者の質問に関しても、それぞれの意識に合わせて

わかりやすく話をすることはできないわけです。

というよりは、彼女は発信している、という意識にはいないので

わかりやすく話をしようという気もないわけですね。

もちろん、それが決して悪いわけではなく、そういうのも一つの表現として

面白いな〜と思っていたわけですが

確かにわかりずらいわけです。


例えば、菜穂さんが「たくさん批判のメールが届くのよね~」

と言って、ケラケラ笑った後に

参加者の一人が「それでは菜穂さんは、批判のメールが来た時に

それをどう捉えるのですか?」

という質問をしました。


「ふ~ん、という感じかな」と菜穂さん。


その方は「それじゃあ、そういうメールが来ても

ふ~んと捉えておけばいいってことですね?」


「実際は、ふ~んとも思っていないかな。何も感じない」と菜穂さん。


きっと、これでは伝わらないなあ~と

漠然と感じていました。

 

そもそも批判されている、ということ自体が個人としての意識であり

菜穂さんは、私という感覚がないので

批判されている、という認識そのものがない、ということなんですよね。

でも、もし、批判された〜と感じているのにも関わらず

それを頭でコントロールして、何も感じないようにしようとしても

それは、自然な感覚や感情が抑圧されるだけだなあと。


「批判する人は、何か人のせいにしたいのよね」と菜穂さん。


それで、気づいたのは、菜穂さんは「私はいない」という感覚でいるのですが

だからといって、ワンネスや一体感の中にいるわけではないということでした。

 菜穂さんが、感受性が強く、繊細で臆病な子供だったというのも

今の彼女を見ていてよくわかるのです。 

人との共鳴力やつながり感がなければ、世界は怖いものにしかないからです。


おさむの身体から出てきたものは、菜穂さんに存在しているエネルギー体の影響ですが

これは菜穂さんの身体にアクセスしているわけではないので

彼女がどうなっているのか?はわかりません。

ただ、そのエネルギー体がどう言ったものかはわかります。

 

例えば、野生のトラやキリンが「自分はこうしたい」

などという個別の意識がないのと同じように

そのエネルギー体にも、分離意識はないものでした。

ある意味、一体感というのは、分離した個人という意識がベースにあって

その上でつながっていると感じている人間特有の感覚であって

動物は一体感を感じているわけではなく

ただ全てがある、という感覚でいるわけですね。

菜穂さんが言われているノンデュアリティの意識がそこにありました。 

そして、それは何も邪や悪意はなく、ピュアなエネルギー体でした。


面白いことに、このサットサンの後

たまたま友人から別件でメールがあり

「菜穂さんのサットサン行ってきたよ~。

おさむちゃんのサウンドヒーリングよかった~」

というので

「正直、サットサン、どう感じた?』と聞いてみると

驚いたことに、彼女は私が筋反射で導きだした

エネルギー体の存在を、菜穂さんの目を見ていて気付いたのだそう。


すごいな~。

私はといえば、ミカさんのメールの「あの人は本物だから」

という言葉が意識のどこかにあり

「ミカさんの言うことだから間違いない」という

先入観とも言える感覚となっていて

それがサットサンで、自分のハートの感覚を

受け取ることを妨げてしまっていたわけです。


確かに、ノンデュアリティ意識という意味では本物でした。

ただ、そこに人間意識ではないエネルギ−体の存在があったというのは

私はサットサンの時には、わからなかったのですが

後で彼女の目や言動を思い出してみると、感じられます。

そして、あの日、私の感情が爆発したのは、そのエネルギーの影響を

無意識に手放そうとしていたのでした。


ちょうど、昨日、ブログにアップした後

一通のメールを頂きました。


ブログ見ましたー。

いや~ん、続きが気になるーっ、楽しみーっ な終わり方。

そう思っているのは きっと私だけじゃ~ないはず、ですよ。


サットサン。

わたしは CRSでの初日に伺っていたんですがね。

へ~、ふ~~ん、うんうん、うーむ、ん? ほー 、と 過ぎ去り

サラリと流した感じで。

あ、どんな人やどんなコトバに出会っても 必要以上に 揺さぶられることも

持っていかれることもなくなってきてるなぁ、わたし♪ 

と思っていたのですが、


翌日 まさかのじんましん。笑


その後も、珍しく 子どもからの stomach flu しっかりもらっちゃってダウン

数日、珍しく オットが仕事がらみで 頭から湯気出して怒ったことに

 わたしが ものすごくものすごくブチ切れたり、やたらと眠い日々

そして、実際メチャ眠りが深い。

サットサンの影響か、お月さまの影響か何か知りませんが~。

こんなことも 意味はないのですね~きっと。

ただ湧いているだけ なのですね~。

ですか?

ん?

あは。

 

と、モロモロ カラダに出ましたが、

それはそれとして これをおもしろく感じているのも、オモシロイと感じられているのも、

IHとのりこさんに出会えたからなんだなぁ♡ 

わたしも 変わりました。というか、 戻った と言うのかな?


これも面白い報告だな〜と。

本当に何が起こっているのか?は

この方の身体に直接聞いてみないとわかりませんが

多分、蕁麻疹や感情の爆発、深い眠りによって

身体が自然にそのエネルギーの影響を浄化しようとしているのでしょうね。


おさむは3日間、続けてサットサンに参加したこともあり

洗脳だと身体から出てくるだけあって、そのエネルギーの影響はかなり強く

調整は、結構大変で、もし今年の夏にカナダで

アーキュトニックのレベル2、3を受けていなかったら

調整することは、できなかったかもと思うほどでした。。

私のセッションの後も、おさむは2度ほど、自己ヒーリングをしたそうですが、

まるで魂が抜かれて、ハートがぽっかり

穴が開いたような状態になっていたとのことでした。


これは単に3日間一緒に過ごしたから、というだけではなく

そのエネルギーを受けてしまう要因が、おさむの中にもあったからで

だから、いくら菜穂さんと一緒にいても

みんなそうなるわけではないわけです。


それで思い出したのですが

日本に行く前に、ある方からメールをいただいて

その方はサイキックの方なのですが

菜穂さんのサットサンに何度か通ったそうで

その後、何ヶ月も、虚しく何もする気がしないという感覚が抜けれなかった

ということでした。 

そのメールを頂いた時には

「まあ、新たな意識状態になる前には

そういうこともデトックスみたいなものとしてあるよね~」

ぐらいにしか捉えていなかったのですが

今、思えば、その方もそのエネルギーの影響を受けられていたのだろうなあと。


今日の日記のタイトルに「ノンデュアリティの光と闇」とつけたのは

もちろんノンデュアリティ自体は闇も光もないわけですが

「ノンデュアリティのメッセージを聞く」という行為は

どこからそのメッセージが出ているかによって

また受け取り手の状態によっては 

さらに二元の世界を複雑化していく可能性も大きいということに

改めて気づいたからでした。


ノンデュアリティのメッセージを聞いて、虚しくなったり

または楽になったり、ということ自体が

二元の世界にいるということなんです。

 

これも思い出したのだけど、東京のキネシオロジ-のクラスでの質問で

「すべては起こっていない、などのメッセージを聞くと

何をやっても意味がない、無駄だという感じがして虚しくなるんですが

のりこさんは、どう捉えていますか?」

というものがありました。


本来ノンデュアリティは虚しくなるようなものではないので

なぜ、みんなそういう感覚になるのかしら?とその時は思ったのですが

今回の菜穂さんのサットサンに参加して(あくまでも私の体験として)

理解できたわけです。

 

このサットサンで、参加者の一人が

「私はこれまで自分を高めようと、いろいろ頑張ってきたり

努力してきてそれなりにやったと思っているんですが

それも全部、無駄だったということですか?』

と菜穂さんに質問された方がいました。

 

それに対して、菜穂さんが答えたのは

「はい、その通りです」

 

だけでした。

 

確かに、こういう質問自体が、この方が

「何かを頑張って乗り越えることが自分の価値」という

ストーリーの中にいるということを意味しているんですが 

菜穂さんの答えには、どの部分が「その通り」なのかという説明はなく

ただこの答えだけでは 、この方は、自分がやってきたことがすべて無駄だった

人生は虚しいという(二元の)思いが生まれたかもしれないなあと。

 

では、このメッセージを聞いて楽になった

という人はどうなのか?ってことなんですが。


例えば、夫に虐待されている、とか、会社で酷い体制で働かされている

とか、やりたくないけどやらなければ、などと

自分が一体どうしたいのかわからない、この苦しい状況を

どうしたらいいかわからない、という人たちが

「ああ、私はいないのだ。だから、これを個人的に捉える必要がないんだ」

と、頭でノンデュアリティを受け取ることで、苦しいという感覚を麻痺させ

楽になるような気がするということがあります。

でも、 それでは自分の意識は何も変わっていないので

実際は、その「現実」に居続けることになるんですよね〜。

 

菜穂さん曰く、病気や痛みもただ起こっているだけ

それが個人に起こっていると思うところから、苦しみがある

と言われていて、彼女の父親もガンだそうですが

苦しみはないとのことでした。


確かにそれも真実なのですが

一方で、病気というもの自体が

人間の自然な姿からはずれているというのも真実なのです。

この次元では、病気はただ起こっている、わけではなく

本来の自分からずれた時に、身体からのメッセージとして

現れているだけですから。

 

最近、私のところにセッションに来られる方の中には

自分がどうしたいのか全く感じることができず

周りの期待や周りがどうしたいか、というところだけで

ずっと生きてきて、結果的に病気になってしまった方が何人か

いらっしゃるのですが、その方達の病気を癒していくために一番大切なことは

「私」がどう感じているのか?「私」はどうしたいのか?を

感じることなのです。

「私はいない」というのと「すべては私」というのは

本質的には同じことなので、私が何を感じているかを受け取り

それに従うことは、全体の流れでもあるわけです。 


まさに昨日、ノンデュアリティ・ナビゲーターであるという

ジュンコ・セレンディーという方の動画を見たのですが

この方は、脳や身体の機能や心理学などからノンデュアリティを伝えられていて

とてもわかりやすいです。

この方の伝えられている内容は、

「自分の中にすべての答えがある」「自分の意識=現実」という

まさにキネシオロジー的ノンデュアリティ。

ぜひご覧になってみてくださいね。

 

「私」という現象を語る。

 

人間はなぜ探求し、探求をやめないのか?

 

自分がこの現実世界を創っている?

 

この2番目の動画で言われている「回避メカニズム」

これは、キネシ的にはまさに「サバイバルプログラム」なんですね。

まだ私も2、3つ見ただけなんだけど

この方の発しているエネルギーからは、人生は虚しいという感覚は

生まれないんじゃないかな〜と、ご紹介することにしました。

 

ノンデュアリティ自体は私たちが本質的に持っている意識であって

真実ですが、それを自分の外にあるメッセージとして受け取れば

結局、二元の現実でしかない。

 

キネシオロジーでやっていることは

自分の内なる意識にすべての答えがあって

それを身体からの声として見ていくと、

これまで自分の潜在意識の中にあるどんなストーリーが

今の現実を作っていたのか?が明らかになり

それをエネルギー的に変化させる(元に戻す)ことで

自分の持っていたその感覚そのものが変化し

結果的には新たな現実(世界)を生み出していく、ということ。

 

例えば、批判された〜、つまりそれが現実〜だと感じているのに

ふ〜んと無視しておこう、と感情や感覚を抑えてみても

必ずまた同じ「現実」が出てきます。

でも、自分の内を見ていけば

「過去に批判されて傷ついた」という何らかのエネルギーが

出てくるので、そのエネルギーを変化させると

不思議なことに「批判される」という現実

(のように見えるもの)がなくなってゆくわけなんですね。

それは、少し前にも書いたように、その事実(ここでは批判)そのものが

なくなるということかもしれないし

もしくは、自分が批判された〜と勝手に感じていただけで

実は批判ではなかった、とわかることかもしれない。

でも、どちらにしても自分の意識(潜在意識、無意識含めて)が

創り出している現実にしか過ぎないので

例えば 、批判されないように相手に合わせたり

など、外に向かって何かをする必要は何もないということなんです。

 

って、ノンデュアリティのこと話していて、結局キネシの話になってるし〜〜あっかんべー

 

昨夜、おさむが作ってくれた美味しいお蕎麦を頂きながら

二人で「食事って、最高に人間的だよね」

と話していたのですが

確かに、動物にとって、食事はただ本能で取るものであっても

人間にとっては、様々な意味を持つし

だからこそ、それが喜びにも、また不安にも恐れにもなり得るわけですね。


動物も他のものもすべてノンデュアリティなのに

人間だけがデュアリティの中で生きている。


これってすごいことだなあと。

それは、人間に与えられた制限とも言えるけれど

一方で、その制限を持ちつつ、そこを超えてゆくプロセスを

(個人ではなく)人間全体として体験している

と言えるのではないかと。

このゲーム、素晴らしくチャレンジで面白いから、ここにやってきているわけですね。

人生は虚しい、何をやっても無駄、というストーリーも

一時的には決して悪くないけど

その二元から抜けると、最高にゲームは楽しいよ。

  

あ~やっぱり、むちゃ長くなった~。


マイストーリーに付き合ってくださって、ありがとうございますワイングラス

 







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最終更新日  2017年06月01日 12時42分16秒
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