からだと宇宙とヒーリングと

2017/04/24(月)02:48

ロンとのやり取り

つれづれ(264)

今回のカポホの一軒家は広くて 周りには家もなく、ただ緑が広がっています。 この静けさと安らぎの中にいると、先日までのことが、まるで嘘みたいに感じられます。         ここに着いた直後に引いたマップカードは 「のんびり、ゆっくりと進みなさい」というメッセージで 「そうだよね~、しばらくの間、のんびり過ごそう」と この2日間はブログをアップした他は、ボーっとしたり 自己ヒーリングしたり、おさむにセッションをやったりしていましたが (のんびりしていても、結局セッションをやってるのも、笑えるけど ) 今朝は、何だかアクティブな気持ちになってきたので 試しに再び、カードを引いてみたら出てきたのが 「今は新しいアイデアを生み出したり、新しい人間関係や 仕事を開始したり、あらゆる冒険に出かけるのに最適な時期です」 展開、早っ! ということで、早速、10月にニューヨークと東京で行う予定の キネシオロジー初級クラス、中級クラスについての アイデアや企画をおさむと話しつつ、そのための行動をスタートしてみたら あ~やっぱり、ワクワクする~ 思えば、このフィボナッチやアーキュトニックのクラスのオーガナイズは このわくわく感ではなく これが私のお役目なのだから、と割り切って、やってきたのだなあと。 もちろん、ここでの体験によって、いろんな人たちと深いレベルで繋がることができたし また、私自身の深いレベルでの解放につながったので 結果的にはすべてよかったのですが これからは、結果論やお役目ではなく プロセスそのものを楽しめるものにフォーカスしていこうと。 ということで、今後は、フィボナッチやアーキュトニックのオーガナイズをするのは 今回で終わることに決めたわけです。 さて、怒りの話の途中でしたが、今は、すっかり怒りがなくなってしまった後 それについて思い出して書くのは、例えて言うなら 覚醒体験をした後に、その時の感覚について伝えるようなもので 個人的な体験だし、伝えなくてもいいかなあという 気持ちに何度もなったのですが その度に「きちんと自分の思いを伝えること」という身体からの メッセージがあり、これをアップするモチベーションになっています。 怒りというのは、その時は、 誰かに対して向けられているようで 実際は、自分自身が持っている何かに対しての感情なのですよね。 例えば、先日、書いたように、表面的にはおさむに対して、怒っていても それを紐解いていくと、私自身が女性性を抑圧してきたことに対する怒りだった というように、今回、ロンに対して感じた怒りも、ロンが問題ではなく あくまでも私の問題であり、私自身に対する怒りなのです。 今回、私が最も受け入れられなかったことは ロンはいつもハートにいる人ではなかった ということでした。 そんなことは私もそうだし、人間なのだから、誰でも当たり前のことなのですが ロンに関しては、常にハートスペースにいる人なのだ と、これまで私は感じていて、つまり、それはある意味で 彼を神格化してしまっていたわけで そこに気づいた時、自分自身への怒りがわき上がってきたわけです。 ロンに対しては、2011年に受けたATIHのクラスの時のロンの印象が 強烈だったので、その印象が強く残っていたこともありました。 人はいろんな側面を持っているのが自然だし またどんどんと変化していくわけで、出会う時期によって また出会う場所や状況によって 全く違った印象を受けるものだなあと。 そのことに少しずつ気づき始めたのは 去年のフィボナッチのクラスが終わってから ロンとのメールのやり取りをやっていていろんな場面で何となく感じてきたことでした。  今となっては、その経緯自体は、全くどうでもいいことなのですが それを説明しないと、伝わりづらいかもしれないので書きますが これは、あくまでも私から見たものや感じたことであって いわば私の幻想のストーリーとも言えるので、真実とは違うことを 念のためにお伝えしておきます。 真実は、個人の経験や感覚の中にはないものですから。 さて、最初の年は、ロンとのメールのやり取りだけで、いろんな気づきがあったり オーガナイズのプロセスも、全てがスムーズに動いていったのですが 今回は、様々なことがタイミングが悪かったり ロンとの認識の違いから来る行き違いが起こっていて これはどういうことだろうと感じ始めていました。 特に大きかったのは、アーキュトニックのレベル3で行う あるプログラムに関してのやり取りを行った時のことでした。 それは、参加者が一人一人、音楽や音に関するパフォーマンスをクラス内で行うというもので、それは正規のアーキュトニックの プログラムではないとのことですが ロンは前回のカナダでとてもそれを気にいっていて 今回のハワイでも、ぜひそれをやりたいので、クラスのみんなにその旨を伝えて欲しいと ある日、私にメールで伝えてきました。 私はカナダでロンと話していて、カナダのクラスでは 実践の時間が少なかったので、今回のハワイのクラスでは、もっと実践を増やして欲しいこと また、惑星音叉を使った放射線除去や松果体の活性化 自己ヒーリングなどのプロトコルを加えて欲しいこと ということを伝えていました。 去年のフィボナッチのクラスでも、実践をもっとやりたかったという声が あったこともあるし、クラスの中での実践が少ないと、クラスが終わって戻ってから いざやろうとしても、なかなかピンと来なかったりするからです。 ロンは、それは快く了承してくれて、ぜひやろうと言ってくれたのですが そのためには、これまでのクラスの中で、何かの時間を削る必要がありました。 カナダでは、たった6人の参加者でしたが、音のパフォーマンスだけに 半日間を費やしたので、今回のハワイではレベル3の参加者は16人だし もし、これを行えば丸1日かかってしまって 実践はほとんどできなくなってしまうことは、目に見えていたこともあり その実践を削ってでも、このパフォーマンスが必要なプログラムであるとは 私とおさむには、どうしても思えなかったのです。 また、今回の参加者の中には、人前でのパフォーマンスに ストレスを感じている人たちが何人かいたこともあり 私は、日本からクラスの参加者たちが何を求めているのか?といったことも含めて ロンに伝え、音のパフォーマンスは、今回のプログラムからは外して欲しい ということを伝えたのでした。 ところが、ロンは、例え、参加者にとってストレスになったとしても 必要なものはやる、と伝えてきました。 そういったロンの強い意思表示は、これまでも何度かあり 私は、結果的には、ほとんどロンの意向に従ってきたので 今度も、そこまでロンがやりたいのなら、まあいいか、と思ったのですが 今回は、何かが私の中で引っかかったので、筋反射で身体に聞いてみると 「自分の意見を主張することが必要」と出てきました。 それで、参加者の人たちにメールを送り このパフォーマンスに関してどう思うか?のアンケートをとってみると 16人のうち、やりたいという人は2名で、どちらでもいいという人が4、5名 あとはやりたくない、中にはそれを考えただけでも大きなストレスになる という人もいました。 それで、この結果をロンに伝えたわけですが ロンから「人前でのパフォーマンスが そこまでのストレスになるということが、私には理解できない」ということや 「オーガナイザーは、先生の意向に従い 先生の意向を生徒に伝え、クラスを円滑にするために存在するのであって 先生に対して、指示をするものではない」 というような、ちょっと厳しいエネルギーのメールを受け取ったのでした。 あ~、だからオーガナイズの役なんて、私には無理だったのだ ということを改めて思い知らされたわけです。 去年のハワイで、私がロンに伝えた言葉は 「ロンに対する忠誠心があるゆえに 私は自分の自由感を失ってしまうし、それが嫌だから オーガナイズをやりたくないと躊躇したけれど その忠誠心を手放す調整を行ったので これからは、自由感を持ってオーガナイズすることにします」 ということで引き受けて、ロンもそれをとても喜んでくれたのですが 結局、私は自由感を失うことになったのだなあと。 それでロンに対して 「私の英語力の欠如ゆえに、そういう風に聞こえたかもしれないし そうだったら申し訳ないけれど、もちろんこれは指示ではなく オーガナイザーとしての要望で、もしできるなら 何らかの妥協案(希望者だけパフォーマンスを行うことなど)を提示してもらえたら嬉しい」 というメールを送ったのですが その後、ロンから、そのことに対する返事はありませんでした。  おさむはと言えは、そのロンからのメールを読んで「このエネルギーに俺はもう耐えれない」とすっかりクラスを行うことへモチベーションを失ってしまっていました。 ですが、それから、私たちのハワイでのリトリートがスタートし 父が亡くなったり、なんだかんだで、そのメールのことも私の意識から吹っ飛んでしまったのですが そのあと、しばらくして私は 『ロンは、大きな視点で物事を見ている人だから あのパフォーマンスを行うことが、プログラムや学びよりも 高次のレベルで、参加者みんなにとって必要なことだったのかもしれない。 それなのに、私は自分の経験や直感だけで それを阻止したことになってしまったのかもしれない」 という罪悪感や迷いのようなものが出てきました。 でも、もうクラスまでの日程も迫っていて 今更、そのプログラムを実行するには遅すぎたこともあって もうこの流れを受け入れるしかなかったし きっとこういった私の思いも、実際にロンにあったら すべて解消するのだろうと思っていたのです。 メールというのは、言葉だけで、相手のエネルギーは直接感じれないのでお互いに誤解を招きやすいものだしきっと会って話せば、ロンのハートに触れられるのだろうなあと。  ところが、今回、ロンとカラニで出会った瞬間に ロンのエネルギーが去年とは全く違うことを感じて 「ああ、やっぱり」という失望感と 「なぜ、私はこのクラスをオーガナイズしているのだろう」と’いう 自己否定や虚しさが出てきたのですが その直後に受けたドロシーのセッションから数日は すっかり自分自身ではなくなってしまっていたので 自分がどう感じているのかも、わからなくなっていました。  それで、クラスが始まる前日に、おさむに対して  「私たちは、参加者のみんなが、ここに来て本当によかった~と 喜んでもらうために、このクラスを開いているのよ。 だから、私たちの個人的な思いや感情は、ここにいる間は封印して オーガナイザーとしての仕事を最後までちゃんとやろうよ」 などと伝えたわけです。 は~、結果的には、私は何も封印できなかったし オーガナイザーとしての役目という意味でも失格でしたが (こう言う事をここで書いていること自体、完全に失格だし ) それでも、参加者のほとんどは、ここに参加できて本当によかった~と 本当に喜んでくれました。 考えてみれば、魂の導きによって、それぞれ来られているのだから 私が妙な責任感を持つ必要なんて、全くなかったのだなあと。 そして、また結果的には、今回のクラスのプログラムは 東洋医学に深く精通しているエリンの存在もあり よりさらに充実していて、実践やプロトコルも多く これまでのクラスの中でも最高のものとなったのでした。 最終日に、ロンに 「私はここに来る前は、あなたの意向に従うことをしなかったから ギルティ感があったのだけれど 今はこれで良かったとホッとしています」 と伝えたら、ロンは 「いや、どちらにしてもあのパフォーマンスを行う時間はなかったよ。 (あの~、そのことをずっと伝えてきたつもりだったんですけど~~ ) あれは、音のパフォーマンスが大事ということより あれをやると、一人ひとりが自分のことを語り、表現することになるから やりたかったのだよ。でも、このクラスの参加者は みんな自分を表現できる人たちだったので あのプログラムがなくても良かったよ」 という爽やかな答えが返ってきました。 それを聞いて なぜロンがそこまで、音のパフォーマンスをやりたかったのか?が ようやく納得できたわけです。 ロンが求めていたのは、クラスの参加者たちとの一体感だったのだなあと。ロンにとっては、プログラムより何より、一体感の方が大事なことだったのです。 私自身は、例えば私のクラスで、参加者が結果的に 一体感を感じることができれば、もちろん嬉しいことだけれど たとえ、分離感を感じていたとしても、それはそれで必要なプロセスや気づきに繋がるわけで クラスの中での、それぞれの自己表現や一体感を大切だと感じたことはなかったこともあって ロンの意図に全く気づかなかったのでした。 そして、なぜロンがそこまで一体感を求めていたのかも このクラス全体を通じて観えてきました。 こういった認識の違いから来る行き違いに関しては 怒りは感じなかったし、むしろ私自身の不十分感の方が大きかったのですが 今回、私が感じた怒りの感情は ロンとアマテラスとの関係から、表に出てきたのでした。 ということで、物語の続きはまた~~

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