からだと宇宙とヒーリングと

2021/02/11(木)11:28

私の中の女性性と男性性

つれづれ(254)

明後日は、リトリート配信の日で今回は女性性がテーマなのですがそのプログラムを作る過程の1週間で私の中で、様々な気づきや変化が起こっています。女性性を真に理解するためには、男性性への理解が必須なので今回、女性性、男性性のキーワードをあげながら私なりの女性性、男性性の意味を捉え直しているのですがそのプログラムを作るプロセスそのものが私にとっての癒しや変容になっていると言うことに気づきました。女性性に関しては 少なくとも15年以上は私のテーマだったし宇宙系遺伝から女性性を紐解いて、調整していくことは、ここ何年かやってきたのですが今回、自分の中の男性性に注目して、それが女性性にどう関わっているのか?と言うことを紐解いてゆくにつれてこれまでは、私は男性性が強いが故に、女性性が上手く発揮できないと思っていたのですがむしろ「私の満たされている男性性が、女性性をケアし、守ってきた」と言うことが、はっきりと理解できて「私の中の男性性は、なんと頼もしくて、満たされているのかしら」と自分の中の男性性に感謝する、ということを生まれて初めてやりました。私は、女性性が低いと言うよりも私の中の男性性が、完全に満たされているが故にどうしても、女性性が遅れを取ってしまっていてでも、私の中の男性性はそこを(論理的に)理解していて私の中の女性性の感覚を押さえつけることなく (ちょっと待ってて、後でケアするから、と後回しになることはあっても) いつも私の女性性を守り、導いてくれていてああ、だから私は基本に人への親密さや自分への信頼が持てるのだなあと。で、どうして、私の男性性はここまで満たされているのかしら?と見ていくとやはり、両親との関係で私は両親に、子供の頃からずっと、ものすごく認められたのだと言うことを改めて思いました。母は、認めるを超えて、私を尊敬してくれていて例え、私にとって、特に大したことではないことであっても「あなたは、ほんとすごいね~」としみじみと尊敬の眼差しを私に向けていて、今でもそれは変わらないです。 父は、言葉で褒めると言うことはあまりしない人でしたが子供のころ、一緒に将棋をしたり、キャッチボールしたり難しい数学の問題を、どちらが早く解けるか競争したり、そんな遊びや学びの中で、私のことをとても認めてくれていることを感覚として実感していました。そして、私自身も父を尊敬し、小学校の頃 「最も尊敬する人」というテーマで作文を書いた時に 私は、迷いなく、父を選んだことを思い出しました。 男性性は「認められること」によって満たされ女性性は「愛されること」によって満たされます。なので、子供の頃から、周りに認められてきた私の男性性は満たされることができたのだなあと。一方、子供のころ、私は認められることの方が大きかった故に 実際は、とても愛されていたにも関わらず女性性の「ありのままの自分が愛されている」と言う実感をなかなか持つことができずそのことに、もう10代の頃から気付いて無意識に、できるだけ認められないようにしよう、と頑張っていました。そして、高校の頃の恋愛によってただ女性として愛される、と言うことの喜びを知ってから いつの間にか「男性に愛されるためには、ダメな自分、弱い自分、できない自分を出してゆく必要がある、男性に認められてしまったらおしまいだ(愛されない)」という、私なりの信念体系みたいなものが出来上がっていました。少し前に、私の30年来の親友と話したのですが彼女が「のりこちゃんが当時(20代前半の頃)よく言っていたのは『S君(当時の彼)に私のダメなところをいくら話しても彼は最終的にいつも「のりこはすごい」になってしまうのよ』とがっかりして言っていたのよ」と私に話してくれて、ああほんとそうだったわ~と当時の感覚を思い出しました。大学1年から5年ほど付き合った彼がいたのですがその彼は、何かに付けて「のりこは本当にすごい、度胸がある、チャレンジ精神がすごい」などと、私を認め、尊敬してくれていてそのことは、もちろん、嬉しいのだけれども一方で、何か満たされないものがありました。で、20代、30代、40代、50代と進むにつれて私の中の女性性と男性性は、その時々の仕事や彼との関係で女性性優勢となったり、男性性優勢となったりいろんな経緯を得てきたのですが やはり、仕事をしていなかった頃は、女性性が大きく発揮されるのですが仕事をすればするほど、男性性優位になってしまいがちでそこは、かなり女性性を意識していかないと バランスが取れないことも実感してきました。そして、最近、少しずつ、このバランスを取り戻している感じがしています。 先日、元パートナーが私のセッションを受けに来た時に「1年近く会ってなかったのに、よく、私のセッションを受けようと言う気持ちになったね~。(男のプライドとかも)色々あるだろうし普通は、離婚した彼女のところにセッションとか行かないよね~」と言ったら「そんなプライドはとっくに手放した。セッションを受けるなら、のりこしかいないと思っていた」と言ってくれて、わ~セラピストとして信頼してくれているというか私が、彼に対しして完全にわだかまりを持たず 彼に必要なセッションを行うことを信頼してくれているのだなあととても嬉しかったのですが、一方で、これってやっぱり私の中の男性性の強さ所以だなあと。愛されるより、認められてしまう性(さが)というのか。 もし、私の持っている信念体系の通りに「現実」が作られてしまっているのなら これから、私の意識にある信念体系を変化させて 「認められても愛される」に変えてゆく必要があるのだなあと。 そして、最近、改めて気付いたことは、私の男性性が満たされている故に相手の中から「男性の中の女性性」が出てきた時には、とても居心地よく感じるということでした。例えば、男性が弱さを出したり、甘えたり、頼ったりするのは私にとって、とても自然に楽にいられます。でも、一方で、男性の中の男性性、しかも「満たされていない男性性」が出てきた時には、上手く対応できないのです。満たされてない男性性、つまり自分は認められてない、認めて欲しい というエネルギーが相手から強く出てくると私自身が「認められてきた」が故に、そこに寄り添う方法がわからなかったというか私の中の感覚としては「え?もう十分、認めているのに??」となってしまうのです。実際、言葉に出して、最大限に相手を認めているつもりでもその人自身が自分を認めない限り、エネルギーは変わらないことが多く。これは、男性だけでなく、女性に対しても同じで私に対して、認めて欲しいオーラを強く出してくる人はセッションを行うのは大丈夫でもプライベートでの付き合いは、避けたくなります。この「満たされていない男性性」に対して、どう対応するのかが私にとってテーマの一つだったのですが 今回、私の男性性がどれだけ満たされているのがよく理解できたので これから何かが変化しそうな気がします。そんなプロセスをやっている中、一人のリトリートの参加者の方からメールを頂きました。それには、その方は、最近、他の方のセッションを受けた後デトックスが出て、とても苦しくなり、絶望していた時になぜか、私の絵を描いてみた、というのです。その方のメールの一部から。私はアセンテッドマスターのエネルギーをまだ感じられないこともありまだ悲しみから抜けられなかったのですが思い立ってのりこさんの絵を描いてみることにしました。(えっ?て感じですよね、すみません・・) 12月に私をリーディングしてくださったときの聖母さま、女神さまのような慈愛に満ちたのりこさんを描いていると段々と落ち着いてきて、描き終わった頃には絶望感がなくなっていたのです。 何年もずっと縛られていた後悔ですし、抜けられた訳ではなく今ただ忘れることができているというだけなのかもしれませんが、すごく楽になりました。 数時間ずっとのりこさんのエネルギーを感じようとしていたからなのかなぜなのか分かりませんが、のりこさんのおかげだということに変わりないと思います。素人の、下手の横好きでお恥ずかしいレベルですが、完璧主義を手放して添付します。そして、描いてくださった絵がこちらです。 これを見た瞬間から、もう涙が溢れて止まりませんでした。 こんなにも優しく暖かく、女性性全開に、私を描いてくださるなんて。 私が持っている自己イメージや、私の女性性が男性性に追いついてない感覚が この絵を見ていると、溶けていってまるで「あなたの女性性は、大丈夫だよ」と天からのメッセージとして伝えてもらったかのようでああ、これは、今の私にとって、最高のギフトだなあと。これは、もちろん、私の中にこんな女性性のエネルギーを見出すことができる彼女自身の優しさや女性性であってこれは、彼女自身でもあるのでしょう。私に大きな癒しを与えてくださってありがとうこの方は、アセンテッドマスターのエネルギーを’感じれない、のではなくて多分「こういう風に感じることが、感じるということだ」と定義をされていると思うのですが、まさにこの絵を受け取ることや 絵を描くことを通じて、体感しているプロセスがあ アセンテッドマスターのエネルギーを受け取っていることだあなあと。ということで、様々な癒しや感覚を受け取りつつ リトリートまで、後2日。 まだプログラムはできてないのですが今回は、できる限り、目標達成型の男性性優位の仕事のやり方だけでなくその時々で柔軟に変化してゆく女性性のやり方で進めて行けたらなあと思っています。

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