2023/03/02(木)08:34
スピリチュアルエゴへの恐れ
さて、先日の復習会で、私自身の恐れをワークのプロセスをシェアしたのですがそれは「スピリチュアルエゴへの恐れ」でした。それは、根元を探って行くと人間の持っている愚かさへの怒りや悲しみであってだから、自分はそうなりたくないという恐れにつながっていたわけですが今回、その根本要因として出てきたのはチベットでの過去世でそのセッションで、大きな感情の解放が起こりました。では、このスピリチュアルエゴへの恐れは今生では、いつ頃から持っていたのだろう?と、思い返してみると小学校の高学年の頃にはもうすでに感じていたことに気づきました。子供の頃は、まだ「エゴ」という言葉すら知らなかったのですがでも、すでにエゴへの恐れは持っていて例えば、先生や親に褒められると「もしかすると、私は、褒められるために頑張っているのだろうか?』と自分に問うというのを無意識にやっていたのです。すると、私は勉強が楽しくてやっていたつもりだったけどその気持ちがあるのかもしれない、ということに気づき「もしそうだとしたら、なんと自分はずるくて汚いのだろう」と、だんだんと自分のことが嫌いになってしまった時期がありました。つまりは、その頃には、承認欲求がエゴから来ていることはどこかでわかっていてそれを子供の頃の私は
「何か純粋ではないもの」と感じていて自分が持つことを恐れていたのです。その当時、学校の授業でソクラテスの「無知の知」という概念を学んだ時に私の中で「ああ、これこそが真実だ」という衝撃を受けたと同時にどこかで安心感が生まれたのを思い出しました。その安心感は
「私は何も知らない」ということさえ知っていればエゴに陥ることから免れることができるというか。今から思い出すと、そんな感覚だったのです。(実際は「私は何も知らない」というのが不要な信念体系につながってしまうこともあるのだけど)だから、小学校の高学年の時が今までの人生で一番自分のことが嫌いだった時期で葛藤していた頃だったなあと。そのエゴへの恐れと抵抗から中学、高校、大学と進んでいく中で私は人から認められるためにこれをやっていないか?というのは、常に自問自答していてもし少しでも、その気持ちがあるものは絶対にやらないと決めてそれを実践するようになってからだんだんと自分のことが好きになっていったわけなんです。今回のスピリチュアルエゴへの恐れをワークした後やっと、小学校の頃の葛藤していた自分に寄り添うことができたのですがでも、これは、実際には、親や誰かの影響というよりも私がカルマ的に抱えていたことから来ていたものでした。NYに来て、こういうスピリチュアルなことに興味を持ち始めてからも最初に惹かれたのは、例えばキプロス島のヒーラー、ダスカロスなどで今はもうはっきりとは覚えていないけれど彼の言葉の「そのヒーラーが、自分は何かをわかっていると思った瞬間から、そのヒーラーは転落するだろう」という内容だったりまたは、エックハルトトールのエゴの構造に関する本だったり。(ある時からは、心に響かなくなったのだけど)だから、セラピストの意見や考えではなく相手の身体からの声に従って、セッションを行うというキネシオロジーに、私が強く惹かれていったのもその点からも納得で自分のエゴが入る余地がないところでヒーリングを行いたいというのは、もうずっと強く思っていました。私のサイキック嫌いも、そこから来ていて
(今はもう、それはかなり手放してきたけど)サイキックリーディングをやっている方たちが自分のエゴに気づかずリーディングしていることが多いのは経験上わかってきてだから、サイキックの力は使いたくないと封印していたのも、自分がスピリチュアルエゴに陥らないためでした。ところが、それだけ気をつけていたにも関わらずやっぱり、スピリチュアルエゴを持っていたことに自分のマルデュック遺伝を調整した時に改めて気づいて、ショックを受けたわけです。エゴという意味で言えばマルデュック遺伝だけでなくオリオン、アヌンナキ、アガルタ、デロス、
ネガティブ系のシリウスなど、いろんな遺伝がありもううんざりするほど、自分のエゴを見ることになったわけですがマルデュック遺伝は、エゴの中でも特にスピリチュアルなエゴにつながりやすい遺伝なのでヒーリングやスピリチュアルなことをやっていながらこの遺伝を持っていない人は、ほとんどおらずこれを持っていない人は
ほぼ奇跡に等しいと思っていました。で、同時に、エゴを許さない遺伝というのもあってそれがリラだったり、プレアデスのアルシオン遺伝だったりするわけです。私は、まだアルシオン遺伝を持っているのですが今回のチベットでの過去世のワークが終わってからようやく、そこを調整する準備ができたように感じています。これは、自分自身のエゴというだけでなく例えば、多次元の筋反射クラスを受けた方から「筋反射を学んで、私は覚醒しました」などと(冗談ではなく)周りの人に言っているなどという話を聞くとガーンとショックで、「これは、私が(宇宙系など)こんなことを教えているからこんなスピリチュアルエゴを生み出してしまった」と、その度に、自分の責任だと感じていました。一方で、自惚れとコンプレックスは裏表なので「筋反射ができません」などという人ほどできるかできないかに囚われたり(できないと劣等感、できると自惚れになる)特別な能力を求めていることが多く何かのきっかけで、一気に特別意識やスピリチュアルエゴに陥ってしまうのも見て人が根底に持っている「特別な能力が欲しい」とか「特別な体験をしたい」というエゴの根深さも実感して来ました。だから、このスピリチュアルエゴに関しては恐れていたというか、もう見たくないとうんざりしていたのですがでも、今回の過去世のワークの後で実感したことがあってそれは、マルデュック遺伝やエゴを持っているからこそよかったこともあるということでした。以前、クラスの中で「マルデュック遺伝を持っていていいことはないのですか?』というご質問を頂いたことがあってその時は、私は「特別意識で、自分の問題を見ることができずまあいいかと達観し、刺激を求めて、先走ってやるけど
現実を見れず、地道な努力ができずに続かない
という性質のマルデュック遺伝を持っていてプラスになることなんて何一つないです」と言い切ってしまったのですが一つだけ、マルデュック遺伝があるからこそいいことがあることに気づいたのです。それは、今回のアルクトゥルスメソッドクラスで今のところ、アチューメントの許可が降りている人たちはほとんどすでにプロとしてヒーリングや多次元を仕事として人に行っている人だったのですがその中で、アチューメントの許可は降りているけどまだ調整が必要だとガイドに言われた方が、お二人いてそのお二人とも、まだ人へのセッションを仕事としてやっていない方でした。その方たちは、マルデュックの先走りや自惚れや達観癖がないので、慎重になりすぎていてその能力があるにも関わらず、恐れの方が大きくて仕事として人にセッションができないでいるのが伝わってきたのです。もし、マルデュックが強ければ例え自分の問題は山積みであってもまあなんとかなるかと人にセッションを行うきっかけになるし人にセッションを行って行く中で自分自身の調整が必要なことを実感し自己調整して行く方もいるので最初の起爆剤としては、マルデュック的な性質がプラスに働く時もあるということに気付きました。(もちろん、同時に、地道に継続する遺伝や性質を持っていなければ、何かを始めてもすぐにやめてしまうことになりますが)スピリチュアルエゴや自惚れや先走りが
プラスに働くことがあるだなんてこれまで一度も考えたことなかったのだけど確かに、この遺伝を私が持っていたからこそ多次元キネシオロジーが生まれたとも言えるかもしれないなあと。2016年まで、私は様々なヒーリングを学び数多くのキネシオロジーのセッションを人に行ってきて自分なりのコンセプトや、やり方が
少しずつ形づくられてはいたもののまだはっきりとしたプログラムも内容もできていない段階で
その頃のクライアントさんからの「教えてください」という要望に応えてクラスの募集をし、日本での場所も予約してスタートしたので、そういうのはまさにマルデュック的だったと言えるわけです。
で、それから私自身が変化しながらどう教えたらいいのかどんなプログラムが必要なのかずっと試行錯誤してきた中でユニバーサルリトリートを行ったり
それから6年以上かかって、ここ最近、ようやく多次元キネシオロジーのベースとなるものが形作られてきた感じで
それは、もちろん、決して諦めない木星遺伝や
その他の性質を持っていたからですがそれだけでなく、最初の頃の
「まあ、なんとかなるか」と達観し「とりあえず、やってみよう」という勢いでスタートしたから
たどり着いたとも言えるわけです。この前のニューヨークオフ会で2016年の最初のクラスを受けた中で二人が参加してくれたのですがあの10人のクラスの中で
今も多次元キネシを続けているのはこの二人を含め3人だけで
一人は、もう多次元キネシのプロとして独立されているし
あの当時のプログラムであっても
よく、ここまで諦めずに
続けてきてくれたなあと。
それは、例え、マルデュックの先走りやエゴがあったとしてもそれだけでないものを持っていたからであってお互いに、ここまで一緒に成長してこれたことが
本当にありがたく、感謝でした。あ、ちなみに、こういうことを書くと「私はマルデュック遺伝が強くて特別意識もあるから、のりこさんに嫌われる」などということを思う方がたまにいるので念のためにお伝えしておくと私は、遺伝的な性質と、その人とを切り離して見ているので例えば「ああ、これは、レプ遺伝やグレイ遺伝から来ているな」とわかったとしてもそれは、その人の一部の性質でしかないのでその人自体を嫌いとか、そうはならないわけなんです。(自分自身もほとんど持っていたわけだし)今回、このスピリチュアルエゴへの恐れをワークしたことでクラスを受けられた方のスピリチュアルエゴを見ても自分の責任だとは思わなくなったしそれもその人にとって必要なプロセスだと安心して見守ることができるようになったこととリーダーとして、エゴで人を導いてしまうことへの
恐れも和らいだように感じます。(ここは、アルシオン遺伝があるせいかまだ完全になくなってはいないのも感じていますが)ベーシックや中級クラスを行うことの抵抗感はないのですが新アルクトゥルスメソッドクラスの内容は超スピリチュアルとも言えるのでこんなクラスを開いていいのか?参加者のスピリチュアルエゴを増幅させるようなことにつながるのではないか?そもそも、私自身が今これらの内容を人に教える段階にいるのか?という不安が、少し前まであったのですが今回のワークによってやっと、そこへの抵抗や恐れがなくなったのを実感しています。そして、不思議なことに、その後すぐに
その恐れを手放したからこそ
気づくことができるような事が起こって
本当に、世界は自分の無意識が反映されていて
何かの意識が変わると
見えてくる世界が変わるのだなあと。
あ〜実は、そのことをシェアしようかなと思って
書き始めたのですが、ここまでの
前振りが、えらい長くなってしまった😅
ということで、長々と私の抱えていた
面倒臭いプログラムの話を
読んでくださってありがとう〜