感覚の抑圧について
ここ最近、書きたいことは、次々と出てくるのですが今日やるべきことをやってから書こうと思っているうちに、寝る時間となり次の日には、また次の書きたいことがやってくるのでその前に思っていたことは、いつのまにか忘れてしまう、ということを繰り返しています。それで、これは、忘れないうちに書いておこうとマックに向かっているのが、「感覚の抑圧」について、です。これは、多次元キネシオロジーのスキャンリストや遺伝の性質として頻繁に出てくるので多次元を学ばれた方には、お馴染みのワードなのですがこの意味をよく理解されていない方がいてクラスでも何度か説明したのですがここで、もう一度、説明してみることにしました。(キネシオロジー入門編のカテゴリーに入れてみた)例えば「私は喜怒哀楽が激しいので感覚は抑圧してないと思っていました」と言われる方が、たまにいらっしゃるのですが「感覚の抑圧」は、「感情の抑圧」とは違います。簡単に説明すると感覚の抑圧とは「自分や他者の本当の気持ちやエネルギーを受け取っていない」ということです。むしろ、すぐに感情的になる人や頻繁にキレたりする人は感覚を抑圧しているケースがとても多いです。例えば、自分が相手の言動に対して何かしらの怒りを感じたとします。多くの人がやってしまうのは例えば、それがパートナーや家族など親しい人の場合怒りをそのまま相手にぶつけたりもしくは、以前、怒りをぶつけて関係が悪化してしまったことで今度は、怒りを我慢したり抑えたりすることです。これだと、何も自分の気持ちを理解しないまま終わってしまっているので、どんどん感覚の抑圧は加速してしまいます。怒りなどの感情は自分の本当の気持ちを理解するために起こっているヒントです。相手に怒りをぶつけてもまた、怒りを抑えこんでも本当の自分の気持ちは何も受け取っていないのです。この場合、必要なのは自分が何に対して怒りを感じているのか?を理解することです。私の場合、例えば、怒りを感じたとしたらまずは、自分が怒りを感じているのだということを受け入れることからスタートします。「おー、怒っているんだね。そりゃ怒るよね。よしよし、わかるよ、わかるよ」これを「感情の受容」と言います。これをやっていない人は、自分が怒っていることさえ、気づかないで大切な気持ちを受け取るためのヒントである感情さえも、受け取らないことになってしまうのです。次に、自分に対して伝えることは「本当は何に対して、怒っているの?」という問いかけです。すると、最初は「相手が〜〜なのに〜〜したから怒っている」などと、いろんな理屈が出てきますがそれは、怒りの本質ではありません。「うんうん、わかるよ。その言葉や状況が嫌だったんだね。でも、本当に嫌だったなのは、何かな?」と、さらに問いかけます。ほとんどのケースで、今、感じている感情は過去の焼き回しです。でも、すぐに過去の要因に行かないでまずは、自分は本当は何が嫌いなのか?とか何に傷ついてしまうのか?とか何に対して罪悪感を感じるのか?などと自分に問いかけるのです。「自分の感情をそのまま受け入れた後で、問いかける」これが内観するということです。本来ならば、これは、親が子供に対して行う必要があることと言えます。子供の頃、親が自分の気持ちを受け入れてそして、問いかけてくれたなら子供に感覚の抑圧は起こりませんがほとんどの親は、自分自身が親からやってもらってないため子供にもできないですから私たちの多くは、感覚を抑圧してしまうのです。私は、これらの言葉を実際に声に出す時もあれば心の中で問いかけることもあります。怒りだけでなく、悲しい気持ちや傷ついたという感覚や罪悪感であっても何かを感じたら、受け入れて、問いかけます。問いかけても、わからないこともありその場合、筋反射を使えばすぐに理解できるので、その瞬間に怒りも罪悪感も、すっと軽くなります。つまり、怒りも悲しみも罪悪感も自分の本当の気持ちを受け取るためのお知らせ機能なのでそれを受け取ったならその感情を出す必要がなくなるのです。キネシオロジーのセッションでその方の気持ちや感覚を紐解いていっただけでまだ何も調整していない段階でも多くの方が、安堵したり、落ち着くのは自分の抑えていた本当の気持ちや想いをやっと自分で理解することができたからです。そして、その後でそれでは、なぜ、自分はそれが嫌いになったのか?とかなぜ、それに対して罪悪感を感じてしまうのか?というなぜ、WHY、について、紐解いてゆくわけですが実際は、それは内観だけでは、かなり難しいのです。なぜなら、もう忘れている出来事からの感覚だったり遺伝的な性質だったり過去生からの要因だったり多くの要因は、顕在意識まで上がってこない上にいくつかの要因が重なっているからです。だから、身体の反応、筋反射で聞いてゆくということが有効なのです。まずは、自分が何をどう感じているのか?ということを理解した上でなぜ、そう感じるのか?を探り、解放していけばもし、同じようなシチュエーションになっても自分の気持ちや感じ方は全く違います。というより、同じシチュエーションはやってこなくなってきます。私は、最近「あ〜これは、以前だったら確実に罪悪感を感じていた状況だな」と思うことがあり自分の内面の変化を感じていますがまだ別のタイプの責任感みたいなものは感じているので紐解いてゆく必要があるなと感じています。あ〜、まだ全く書き足らないのですがもう文字制限になったので今日は、このあたりで。(なぜ、感覚を抑圧をするのか?についてもう少し、書きたかったのだけど)