ヒーリングはアートである
私は、もともと曲を作ったり絵を描いたりしていた人なのでヒーリングも、アートや音楽と同じようにクリエイティブな制作活動として捉えています。筋反射を始めて教えるクラスで私がみなさんによくお伝えしていることに「これで、あなたは絵の具や様々なツールを得ました。これからは、あなたは真っ白のキャンバスに絵を描いてゆくのであってそれは、人それぞれみんな違うのです」ということです。同じ絵の具を使っても全く違った作品が生まれるように多次元キネシオロジーというツールを使っても紡ぎ出される作品は千差万別です。先日、ある人が「のりこさんと同じようにできないならやっても意味がないんじゃないかとつい考えてしまうのです」というようなことを言われていたのですが例えば、アートで素晴らしいと言われている作品でも、実に様々なものがあるわけでもちろん、技術や手法の素晴らしさもありますが例えば、ヘタウマみたいなアートもあるしアートのよさは、上手いとか下手とかを超えたところにあります。だから、もしあなたが絵を描き続けていたならあなたはすでにアーティストであるといえるわけなので「アーティストになりたい」という言葉は私には少し違和感を感じるわけです。それと同じように「ヒーラーやセラピストになりたい」というのも、違和感を感じます。私は、ヒーラーになりたいと思っていた時期って全くなかったからです。ヒーラーになりたい、とも、またなれるとも全く思っていなかったけれどいつのまにかヒーラーだったなあと。そんな風にいうととても偉そうな感じがするけれど。アートは、自分が描きたい世界を持っていることがすべてであって、それさえ持っているなら技術は手法は、後からついてきます。それと同じようにヒーリングも、ヒーラーの持っている意識(エネルギー)がすべてなのです。私が今、使っている数多くのヒーリングやキネシオロジーの技術も知識も宇宙の叡智を使う手法もエネルギーを受け取る力や感性もすべて、後からついてきたものであってヒーラーとしての意識は(ここがなんであるのかはまた長くなるから別の機会にするけれど)最初から原型のようなものはどこかにあったのだなと。さて、すでにアーティストであっても「アーティストとして、生計を立ててゆきたい」というのは、また別の話です。アーティストであるけれどそれで生計は立っていなくて他のバイトをしているなんて、シチュエーションはNYには、ごく当たり前にあって昔、レストランでバイトしていた頃仲良くなったお客さんによく「で、あなたは何をする人なの?」と質問されていました。その時々で「絵を描いでいます」とか「曲を作ってます」とか答えてたのですがニューヨークでは、石を投げればミュージシャンかアーティストかダンサーに当たると言われているぐらいなのでごく普通の会話です。で、アーティストであってもそれで生計を立てれるかどうかは作品の良しあしはともかくまずは、圧倒的な作品の量が必要であるということ。これは、以前、NYの画廊にも働いていたアート界に詳しい友人も話していました。毎日のように制作し続けてたくさんの作品があるそれがプロとしての最初のスタートラインなのです。ヒーリングも全く同じです。「のりこさんと同じようにできないならやっても意味がないんじゃないか」と、言われていた人は間違いなく、私の10000分の1もヒーリングに時間やエネルギーをかけていないでしょう。それなのに、すでにいろんなことに気づく感性を持っているのだから私から見ると、天才なんじゃない?と思えるのです。すでに才能はあるのだから後は、どれだけそこに時間とエネルギー(情熱)を注ぎこむことができるかどうか。私には、彼女の中にある「ヒーラーとしての意識」のかけらみたいなものがすでに観えているのです。さて、アートでは、共同制作はあるものの基本的に一人で制作することが多いですがヒーリングを他の人に行う場合は必ずクライアントさんとの共同制作になります。他の人との即興的な共同制作ですから全く自分が計画していたようには進みません。一昨日は、対面セッションだったのですが前日にリーディングして大体のおおまかな流れを掴んでいました。「まずは、最初に、このエネルギーを浄化して次に、このサバイバルプログラムを紐解きながら、遺伝と絡めて深掘りしてゆく」みたいな、おおまかなデッサンを描くわけです。で、当日、その方がマッサージベッドに横になって私が、彼女の右腕を握った瞬間に何かが全力で抵抗しているのが伝わってきてそのデッサン通りにはいかないことを覚悟しました。私はもう何万回もセッションで人の腕を握り続けてきたのである意味、職人のように腕を握るだけでわかります。なので、とりあえずデッサンは傍においておいてまず、何が抵抗しているのか丁寧に情報をあげて、彼女に話を聞きながら少しずつ、紐解いてゆきます。最初「私がめちゃめちゃ抵抗しているよ」と伝えると、彼女は「え?私はすごくリラックスしているんですけど?」と言っていたのですがそのうち「あ〜右手だけが硬くなっているのがわかってきました」と感じれるようになってきました。対面のセッションのいいところはセラピストもクライアントもさらに、深くエネルギーを感じることができるところです。そうして、さっと終わるだろうと思っていた最初の浄化だけで、かなりの時間を要したのですが結局、それが、彼女の本質的な問題に直結しているのが見えてきたのした。そうして、ただ彼女の身体が導くままセッションを進めてゆくとそれは、最初のリーディング内容と大枠は沿っていたもののもっと濃厚で、深い様々な問題が複雑に絡み合っているのが見えてきたのです。セッションが終わって最終的に出来上がった作品は私が予想していたものを遥かに超えていました。これは、セッションごとに違っていてほぼデッサン(リーディング)通りに進む場合もありますがそうはならないことの方が多いのです。先日、別の方に行ったセッションの後に私は「なんだか、壮大な映画を1本身終えた感じがします」とお伝えしたのですがセッション毎にできあがる作品は、全く違うし中には、何一つ完成することなく「続く」で終わることもあります。もちろん、あるところまで、完成したとしてもやはり続いてゆくのは、間違いないです。そして、クライアントさんとの共同制作を支えているものはやはり、自己ヒーリングに尽きます。自分自身を深く紐解けば紐解くほど他の人を深く紐解いてゆくようになるのは間違いないからです。自己ヒーリングの場合はクライアントさんとの共同制作のような時間内に、瞬時に情報やエネルギーを受け取りつつ進めてゆくような緊迫感はないもののやったことのないアプローチも試してみることができるし別の創造性があるのです。「ヒーリングはアートである」これを理解していれば例えば、これができるとか、できないという発想自体がおかしいことが理解できるのではないかなと。アートでも、作曲でもそうなのですが作品をどんどん作ることができる時もあれば行き詰まって何も作れなくなってしまう時があります。ヒーリングも同じなのです。そんな時に、一旦、今やっていることから離れていろいろと試してみるのです。ヒーリングの場合(特に多次元キネシオロジーの場合)基本に立ち戻って行うことが、大きなヘルプになります。そうすると、何かまた突破口が見えてきます。基本的なことをしっかりやっていればいるほど新しい作品をクリエイトしてゆくことができるのです。さて、私の場合は、「どう教えたら、みんなが理解しやすいのか?」を思考錯誤していく過程でも新たな作品が生み出されてゆくのを実感しています。ということで、今日はこれから、12月に予定している2日間のワークショップのプログラムを制作する予定です。一体どんな作品になるのかしら?