羽生結弦が五輪2連覇、宇野昌磨は銀 フィギュア史上初のワンツーフィニッシュ 平昌五輪
平昌五輪は17日、フィギュアスケート男子フリーが江陵アイスアリーナで行われ、ショートプログラム(SP)首位の羽生結弦(23)は206・17点、合計317・85点とし、金メダルを獲得しました。☆ネ兄 +.オメデトウ (´・ω・)パチパチ (∩´∀`)∩バンザ─イ(嬉´Д`嬉) v(´・∀・`*)vィェィ♪1948年サンモリッツ大会、1952年オスロ大会を制したリチャード・バットン氏(ディック・バトン氏、米国)以来、66年ぶりとなる偉業を成し遂げました。わぁ~い゚.+:。(ノ^∇^) (*^v^*)bヤッタネェ♪同3位の宇野昌磨(20)が合計306・90点で銀メダルを獲得しました。v(@∀@)vィェ~ィ、フィギュアの日本勢では史上初めて2人で五輪の表彰台に上がりました。(*゚O゚)ノ スゴイッ!!! (v´∀`)ハ(´∀`v)ヤッタネ☆同2位のハビエル・フェルナンデス(25 スペイン)は予定していた3本の4回転のうち2度着氷し、フリーで197・66点、合計305・24点で銅メダルを獲得しました。 SP4位の金博洋(中国)は、フリーで4回転ジャンプを3度成功させて194・45点を出し、合計297・77点で4位でした。昨年末のグランプリファイナル王者のネーサン・チェン(米)が、フリーで6度の4回転ジャンプを試みて5度成功させるなど、215・08点を出し、合計297・35点で5位でした。チェンは、ショートプログラム(SP)でジャンプのミスが響き、82・27点で17位と出遅れていたが、会心の演技で巻き返しました。SP20位の田中刑事(倉敷芸術科学大大学院)がフリーで冒頭の4回転サルコーを決めるなどして164・78点で合計244・83点で18位でした。国際オリンピック委員会(IOC)の公式サイトは、羽生が獲得した金メダルが、冬季五輪史上1000個目となると発表しました。 記念すべき1個目は、1924年シャモニー大会で、チャールズ・ジュートロー(米国)がスピードスケート男子500メートルで獲得しました。それから94年をかけて、羽生が歴史に名を刻みました。優勝した羽生結弦(右)と2位の宇野昌磨優勝し、笑顔を見せる羽生結弦(右)と2位の宇野昌磨会見で笑顔を見せる羽生結弦表彰式を前に涙をふく羽生結弦笑顔を見せる金メダルの羽生結弦(右)と銀メダルの宇野昌磨フリーで演技する羽生結弦フリーで演技する宇野昌磨日の丸を掲げて笑顔を見せる金メダルに輝いた羽生(右)と銀メダルの宇野目頭を押さえる羽生結弦(左)と宇野昌磨表彰台で天を指差す羽生結弦↓メダルを手に笑顔を見せる(左から)銅のハビエル・フェルナンデス、金の羽生結弦、銀の宇野昌磨羽生は冒頭、注目の4回転サルコーを美しく降りると、続く4回転トーループも着氷しました。スピン、ステップを経ての4回転サルコーー3回転トーループも降りました。 4回転トーループからの3連続ジャンプは1本目で開いてしまったが、その後の2連続ジャンプを3連続にしてリカバーしました。スタミナが心配された終盤も3回転ループを降り、3回転ルッツをなんとか踏ん張りました。演技終了後は大歓声の中、雄たけびを上げました。技術点(109・55点)のうち16・99点は、GOEで稼いだものです。この数字は、4回転ルッツの基礎点(13・60点)をしのぎます。けがで4回転のルッツやループといった高難度のジャンプは回避したが「クリーンに演技をやれば勝てる」と試合前に語っていた通り、質の高さで勝ちきりました。 映画「陰陽師」を使ったフリーも2季目で、今まで滑り込んできた経験も生きました。羽生は優勝が決まった瞬間に涙で目を真っ赤にしました。表彰式前でも同門のフェルナンデスと抱き合い涙しながら健闘をたたえ合いました。表彰台の一番高い位置に立つとガッツポーズをしました。音楽のブレイク(途切れるタイミング)に合わせて決めポーズを取り、ちゃめっ気たっぷりに笑顔を見せました。 羽生は先に滑り終え、優勝が決定した瞬間は控室で涙流しましました。フリーは着氷で2回バランスを崩したが、持ちこたえ、転倒はしませんでした。右足首のケガから、ぶっつけで五輪連覇に挑んだが「右足が頑張ってくれた」「もう右足に感謝しかないです」と語りました。演技直後には一緒に闘い抜いた右足首にそっと両手を添えました。羽生結弦は金メダル獲得を決めると、人目をはばからず涙を見せました。銀メダルの宇野昌磨、銅メダルのJ・フェルナンデスと肩を抱き合いました。右足首の故障を乗り越え、圧巻の復活劇を遂げた羽生はこのときもまた、目を真っ赤にしました。 前日のショートプログラム(SP)と合わせ、合計得点が3人とも300点を超えるハイレベルの戦いでした。セレモニーで羽生は、表彰台の1番高いところにジャンプして飛び上がると、両手を力強く広げてファンにアピールしました。宇野とフェルナンデスの表情も、戦い切った満足感の笑みにあふれました。羽生結弦は試合後の会見で、北京五輪での3連覇については「今は特に次の五輪については考えていない。まず、足首が良くなってくれないと滑るのも難しくなる。完璧に治すのが一番」と答えました。 だが、達成すれば史上初の快挙となる3連覇については「そんなに甘くないのは知っている。この4年で相当レベル上がって、何回も何回もおいていかれた。頼もしい後輩もいるし、まだ辞めない素晴らしいスケーターもいるし」とし、「たぶん、もうちょっと滑ると思うけど、みんなと滑りながら、いろいろ考えていけたらと思う」と現役を続行しながら模索することを示唆しました。冬季五輪フィギュアスケート男子で初の2大会連続金メダルを獲得したディック・バトン氏(88)が17日の平昌五輪フリーの競技中に実況ツイート。自身に次ぐ66年ぶりの2大会連続金メダルを達成した羽生結弦に連日の賛辞を送りました。「4回転サルコウ。美しく造作なく軽い」「美しく音楽に寄り添った振り付け。素晴らしい劇場」 辛口で知られる同氏だが前日のSPから羽生に関しては称賛しか出てきませんでした。金メダルが確定した直後には「ブラボー、羽生。タイになる記録が誕生した」と祝福しました。トリノ五輪フィギュアスケート女子金メダリストの荒川静香さんが17日、日本テレビ系の平昌五輪ハイライト番組で、フィギュアスケート男子で羽生結弦が金メダル、宇野昌磨が銀メダルを獲得したことに「今でも手がしびれてる」と、感動が体にまで及んでいたことを明かしました。 同局の桝太一アナウンサーが「いやあ荒川さん、言葉になりません」と興奮の表情で話しかけると、荒川さんも「今でも手がしびれてるんですけども…」と打ち明けました。「すごい気迫が選手から伝わってきて。羽生選手はリベンジという思いも知っている中で見ていて。宇野選手は初めてのメダルを狙っての最終滑走であれだけ…。素晴らしい演技ということで、強い!」とうなり、「新しい歴史を作ったという瞬間を目にしました」と喜びました。また、2人の演技を「羽生選手の背負ってきたものの大きさが、演技を終えた直後の感情を爆発させるところにすごく現れて。その大きさを改めて感じたとともに、この場面で今できることを最大限にやり遂げたというすごさも感じました。(宇野は)緊迫したメダル争いの選手たちの演技の一番最後に滑るのは、尋常じゃない緊張なんです。一つ一つのものに集中して、最後までよく滑り込んでいましたね」とたたえていました。2大会連続となる金メダルを獲得した直後の羽生結弦を、日本テレビの五輪キャスターを務めている嵐の櫻井翔が直撃し、羽生は「自分も思っているよりも心配だった」と、金が決まった瞬間、涙した理由を打ち明けました。櫻井が「終わった瞬間に一番印象的だったのは、リンクをトントンとたたくようなしぐさをしていました」と切り出すと、羽生は「ソチオリンピックの時も最後ああいうポーズだったんで。なんかリンクにお礼したいなと思って」と説明しました。 櫻井が羽生自身やファンが見せた涙の意味を問うと、羽生は「みんな心配だったと思いますし、たぶん、自分も思っているよりも心配だったんだと思います。結果が取れたっていうことが全てだと思ってるんで、本当に良かったと思います」と心境を告白しました。「追われる立場って思っていなかったんですけど、それはケガのおかげかなって思ってます。ある意味、ケガのおかげで今シーズン1回も勝たないままここまで来られたので、ホントに追ってる立場だったと思いますし。ある意味、オリンピックを知っているという自信もあったし、本当に色んな条件に助けてもらったと思います」と、右足首のケガすらも前向きにとらえていたことを明かしました。櫻井が「(連覇で)オリンピックという大会、見え方は何か変わりましたか」と聞くと、羽生は「いや、何も変わらないです」とほほ笑みました。 櫻井は「特に印象的だったのが、追われる立場だとは思っていなかったという言葉でしたね。一方で、昨年のケガをすることで追う立場になったというお話が印象的でしたね」と、インタビューを振り返っていました。羽生は2017年11月、グランプリ(GP)シリーズ第4戦、NHK杯の公式練習でジャンプの着氷に失敗した際に右足関節外側靱帯(じんたい)を損傷しました。同大会を欠場し、5連覇が懸かっていた12月のファイナルも出場できなませんでした。今年1月にようやく氷上練習を再開し、五輪では団体への出場を回避しました。今回の個人種目が復帰後初の実戦でした。羽生結弦が2011年に被災した東日本大震災と、その被災者への思いも口にしました。当時を「本当に大変な日々でした」と語りました。自身は内陸部にいたことを踏まえ、「ガスや、電気、水道も止まって大変でした。それ以上に、苦しんだ人たちがたくさんいて、特に津波、原発(事故)の被害にあった地に行って思った」と、自分以上の被害を多くの人が受けたことをあらためて振り返りました。 ソチ五輪の際も震災を受けての質問をされたが、「どういう風に答えていいか分からなかった」ということです。「今でもその時の自分になんて声をかけていいか分からないけど…」としつつ「こうやって僕が1番大切にしている大会でまた金メダルが取れた。何より4年前に金メダルを持って言った時にたくさんの人の笑顔が見られた」と自分の活躍を喜んでくれる人がいることをかみしめました。「今度はちょっと自信を持って、皆さんに笑顔になってもらえたらと思う」と、一回り大きくなった姿で地元に明るいニュースを届けられることを望みました。羽生結弦と2位の宇野昌磨が、平昌のメダルプラザで夜に行われた授与式に臨みました。金メダルを首に下げた羽生は「ソチの時のがむしゃらさと違って、今回は取らなければいけない使命感があった」と苦しい戦いを振り返りました。表彰式で羽生の名が呼ばれ、満面の笑みで手を振る姿が大画面に映ると、観客からひときわ大きな歓声が上がりました。 羽生はやや硬い表情の宇野に手を振るように促し、表彰台へ。真ん中に勢いよく飛び乗ると、右手を突き上げて観客に応えました。冬季五輪通算1000個目の節目となった金メダルを受け取り、同じコーチ(オーサーコーチ)から指導を受けるハビエル・フェルナンデスとも肩を組んで喜びを分かち合いました。表彰式後は右手で金メダルをさすりながら、「冷たくて重い。早くサポートしてくださった皆さん(の首)にかけたい」と語りました。昨年11月の右足首負傷を乗り越え、過去の自分に言いたいことを問われると「『苦しめ』と言いたい」と笑顔で語りました。宇野昌磨は合計306・90点で銀メダルを獲得しました。曲はプッチーニのオペラ「トゥーランドット」でした。冒頭の4回転ループで転倒したものの、4回転フリップは成功、3回転ループも決めました。演技後半、イーグルからのトリプルアクセルは執念で何とかこらえました。4回転と2回転の連続トーループは2本とも着氷が乱れました。 最後の4回転となったトーループは成功、さらにトリプルアクセルからの3連続ジャンプ、サルコーとトーループの連続ジャンプと次々と決めて場内を沸かせました。演技後は残念そうな苦笑いを浮かべました。前日のSPは自己ベストに迫る104・17点をマークして3位でした。冒頭の4回転フリップを成功させると4回転―3回転の連続トーループもきれいに決めました。トリプルアクセルも踏ん張り、演技後は会心のガッツポーズをしました。フリーへ向けて「笑顔で終えられるような一日にしたいです」と意気込んで臨んだ舞台でしたフリーの勝負曲はオペラ「トゥーランドット」でした。くしくも2006年トリノ五輪でSP3位から逆転の金メダルを獲得した荒川静香さんが用いたのと同じ音楽でした。大トリの最終24番滑走だった宇野が名曲に乗り、歴史に名を刻みました。 2季前もこの曲をフリーで使いました。2015年世界ジュニア王者の看板を引っさげてシニアに本格参戦したシーズンで、グランプリ(GP)シリーズのフランス杯で優勝し、シリーズ上位6人で争うGPファイナルに進出しました、縁起のいい演目でした。演技を終えると大きく、うなずき、大歓声を浴びながらやり切った表情を見せました。ほんわかとした口調の天然発言が持ち味の宇野がこの日も宇野節をさく裂させました。五輪で銀メダル獲得したことについて「このメンバーで2位になれてうれしい。五輪で2位だからうれしいとかはない」「他の試合の銀メダルとあんまり違いを感じなかった」などとあっけらかん。さらに「(五輪は)羽生選手にとって特別な場所なんだなっていうのはあったけど、僕にとっては特別じゃない。最後まで1つの試合でした」と心境を語りました。 また「正直、あんまり今後のためにならないかな。あまり緊張もしなかったし、新たな経験もしなかった」とも話ししました。2022年北京五輪に向けても「先のことはあまり考えない。あまりこれといったことはない」とノープランであることを強調しました。一方「順位のうれしさよりも自分の演技ができたうれしさが強い」「最初から最後まで自分に負けることなく、いい演技だった」などと五輪での3回の演技が満足のいくものだったことに充実感を漂わせました。 また「ハビエル選手や羽生選手を見て、加点つくジャンプを跳ぶことが足りないなと思った」と今後の課題を挙げてみせるなど、自らの演技の質をどこまでも追求し続ける姿勢を見せました。トップスケーターに成長した陰には、子供のころ同じ名古屋市のリンクで練習した元世界女王、浅田真央さんの存在がありました。5歳の時、浅田さんから「一緒に滑ろう」と初めて声を掛けられました。 浅田さんが自らの「代名詞」だったトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)に何度も挑んでいた姿は、今でも目に焼き付いています。「トップアスリートになるには、あれだけの練習量が必要なんだ」。決して得意ではなかったジャンプを磨き、平昌でも大きな武器としました。元世界女王の浅田真央さんが17日、自身のインスタグラムを更新し、平昌五輪・フィギュアスケート男子でワンツーフィニッシュを決めた羽生結弦と、宇野昌磨との3ショットを掲載した上で「ゆづ君!しょうま!おめでとう!!すごい!すごい!すごすぎる!!最高でした!!」と、興奮した様子でつづりました。 羽生とは長く男女のトップスケーターとしてともに戦い、ソチ五輪にも一緒に出場しました。羽生は真央さんの引退の際「フィギュアスケートが大好きな浅田選手のスケートが大好きです。これからもずっと私の憧れの人です」と、メッセージを送っていました。宇野は5歳の時に真央さんに誘われてフィギュアスケートを始めました。真央さん引退直後に行われた表彰祝賀会では、選手を代表して花束を渡し、「スケートを始めるきっかけを作ってくれてありがとうございました!」と、感謝の言葉を口にしていました。それぞれにとって、憧れの存在でした。2015年の世界ジュニア選手権で優勝し、昨年はシニアの世界選手権で2位。国際スケート連盟の公認大会で初めて高難度の4回転フリップを決めるなど、世界屈指のジャンパーの仲間入りを果たしました。4回転ジャンプは着氷での衝撃が大きく、練習での本数を抑える選手が多いが、宇野は妥協しません。 大会中でも多い時には40分間の公式練習で30本以上。樋口美穂子コーチは「彼の半分も跳ばない選手はいる。けがが怖くてハラハラするけど、練習量があるから小さい体でもやっていける」と分析しています。引退した浅田さんは、前回ソチ五輪で大きな感動を呼び、国民的ヒロインでした。宇野は「真央ちゃんのように、僕の演技で人の気持ちを動かせられる選手になりたい」と語りました。宇野は「最後まで満足のいく演技ができた。どんな状態でも『跳ぶ』という練習をしてきたことが出せた」と話しました。最初のジャンプで転倒したが「失敗した途端に笑えてきた」と冷静さを失わなかったことを明かしました。宇野はフリーに進出した24人の最後に滑走しました。202・73点を獲得し、16日のショートプログラム(SP)と合わせ306・90点となりました その一方で、苦い思い出もありました。同シーズン最後の世界選手権ではミスが重なって7位に沈んでいました。当時と今では実力も積んだ経験も違います。最高峰の舞台で2年前のリベンジを果たし、羽生とともに表彰台の一角を占めました。宇野が長年指導を受けてきたのは、1992年アルベール五輪銀メダルの伊藤みどりさんや、2010年バンクーバー五輪銀の浅田真央さんらを育てた山田満知子コーチ(74)でした。名伯楽にとっても男子の五輪選手は初めてでし。山田コーチのアシスタントである樋口美穂子コーチ(48)の下で大きく成長しました。トリプルアクセルを代名詞にした先輩2人と同じ、五輪メダリストの称号を手に入れました。羽生と宇野はメダル授与式後、テレビ朝日系の平昌五輪中継に生出演しました。羽生は昨年11月に負傷した右足首のけがについて問われると、「1週間で戻せるかなと思ったけど、2カ月間休んでいたことによって、1回転でさえ降りることがつらかった。しんどいからこそ、最終的に絶対に幸せがくるんだとひたすら待っていた。明けない夜はない」と強調しました。 メインキャスターの松岡修造さんとプロフィギュアスケーターの織田信成からインタビューを受けました。羽生はフリーの演技終了後にガッツポーズした直後に発した言葉について「たぶん『勝った』と言ってます。『勝った』。『勝った』」と振り返りました。そして負傷していた右足に手をやり「ありがとう、本当にありがとう。本当にありがとう。そして氷にありがとうと言っていた」と明かしました。競技後に「勝った」を連呼した理由は「勝ちたい気持ちもありましたし、19歳のときオリンピックを経験したときとまた違って自分の時間が限られているのをちょっと感じていて、そういうことを含めて勝たねばと思っていました。だから自分自身に勝ち切れたと思ったのと、右足が最後の最後、なんとか耐えてくれたと思ってそういうことを含めて感謝した」と説明しました。羽生はフリーでけがの原因となった最高難度のルッツと、右足で踏み切って降りるループの4回転ジャンプは回避。確実性を求めながらもサルコー、トーループの4回転を計4度も跳ぶ執念を見せました。羽生 一問一答▽(昨年11月のNHK杯公式練習中に右足首を負傷したが)乗り越えましたね? 「何とか」▽どんな気持ちですか?聞かせてください。 「とにかく、本当にたくさんの方々がサポートしてくださって、何とかこうやって、まず滑ることができたんで。まずこの会場で滑ることができて、ホッとしているのと。あとはもう本当に自分がやり切れたなと思うぐらいの演技ができたことが、まずよかったんじゃないかなと思います」▽演技直後の吠えた、あそこにいろいろなものが凝縮されているように見えました。 「とにかく本当に右足が頑張ってくれたなと思いましたし、ケガのせいで練習できなかったところも含めて、いろいろたくさんの方に心配をかけたと思います。そういった意味では、今まで以上の強い応援、サポートがあったと思いますし、そういうものに本当に恵まれていたないうふうにと思っています▽(演技終了)直後に右足を少し触っていましたよね?あれは痛みですか?それとも? 「感謝です。感謝の気持ちだけです」▽この姿(金メダル獲得)というのは平昌に入る前、どのくらい自分の中でイメージできていたんでしょう?怖さだったり、不安だったりと闘っていたんじゃないですか? 「まず構成がまだ定かじゃなくて、構成どうですか?とずっと質問されていたんですが、自分自身も何かどういうふうにしたらいいのか、何がベストなのか分からなくて、いろいろ悩んでもいたんですけど、だからこそ、ちょっとフリーの方はイメージしづらかったところもあったりもして。ただ、こうやって最終的に集中して跳びたかったジャンプは跳べているので。とにかくよかったと思います」▽(最後の3回転)ルッツ、よく堪えましたよね? 「もう右足に感謝しかないです。はい」▽これでまた、これから4年間、オリンピックチャンピオンになります。 「ここまで来るのに、たくさんの方々に支えられながら生きてきました。本当にスケートだけじゃなくて、羽生結弦としてたくさんの方々に育てていただいたことを感謝します。ありがとうございます」▽涙の意味は 「ここまで来るのは本当に大変だった。4年間を考えると、あれ(ソチ五輪)から応援してくれた人も、ジュニアのころから応援してくれた方もいる。何よりチームや家族や育ててくれたコーチ、担任の先生、いろんなところで支えてくださった方への思いが込み上げてきた」▽この姿を平昌に入る前にイメージできたか 「『構成どうですか?』と質問されていたけど、自分自身もどういう風にしたらいいのか、ベストなのか悩んでいた。ただ、こうして集中し、最終的に跳びたかったジャンプは跳べているのでとにかくよかった」▽スタミナはあったのか 「幸いにもいろんなオプションを持っている。選択肢がたくさんある中で試合に臨めた。けががあったから、いろんなことを考えて試合に臨めた。スケートができない時期があったから、スケートを学び、ここに立てた」▽演技が終わった瞬間の心境は 「ソチ五輪は勝てるかなという不安しかなかった。今回は自分に勝てた」▽4回転ループを跳びたかったか 「跳びたい跳びたくないより、何より勝ちたい気持ちだった。勝たないと意味がない。この試合は特に。大事に大事に結果を取りにいった」▽連覇がかかる重圧はなかった 「特に。連覇より今回の試合で勝ちたいと思った」▽ソチ五輪の金メダルとの違い 「あのときは無我夢中で頑張っていた。何も恥じるものはないし、悔いもない。でも(フリーで)ミスがあったのは確か。今回そのミスを払拭することができてうれしかった」▽男子のレベルに関して 「僕が引き上げたとは思わない。最初に4回転ルッツの戸を開いたのは(中国の)金博洋選手で、それから限界を超えようとして彼を追いかけた。するとみんなも強くなって、(米国の)ネーサン(・チェン)という選手が出てきて、宇野(昌磨)選手という素晴らしい日本選手が出てきた。僕は時代に恵まれたスケーターだと思う」▽?もうすぐ東日本大震災から7年がたつ 「ソチでも同じように聞かれて、どう答えたら良いのか分からなかった。一つ言えるのは、五輪という大切にしている大会での金メダルをうれしく思う。ソチ後は金メダルを持って被災地に行ってたくさんの笑顔を見られた。今度は自信を持って、みなさんに笑顔になってもらえたら」▽この4年間は長かったのか、短かったのか 「短かったと思えば短かった。本当にいろんなことがあった。ソチ五輪が終わって、フリーのリベンジをしたいと誓い、そしてSPでミスをしてなんとかリベンジした世界選手権から始まった。次のシーズンは衝突から始まって、その後に手術をして、今度は捻挫をして、その次のシーズンはインフルエンザにかかって全日本(選手権)に出られなくて、また捻挫をした。今季は(SPで)自己ベストも出たけど、また大きなけがをしてしまった。なんか、けがばかり。でもそれだけフィギュアスケートに対して勇気を持って恐れずにチャレンジした。この4年間で、また(会見の)真ん中で話せるのは最高の瞬間」▽宇野とワンツーフィニッシュ 「彼をノービスのころから知っていて、一緒に戦っている。そんな彼と一緒にメダルが取れて本当に良かった。この結果を喜ぶ方がたくさんいる。頑張ってよかった」▽自分をどんな言葉で褒めたい 「ほめられる部分はない。まだ足りない部分ばかり」▽スタミナに不安がある中で構成をどう考えたか。 「とにかく今日起きた時点で考えようと思ってた。幸いにも僕は色んなオプションを持っていて、選択肢がたくさんある中でこうやって臨めたのは、ある意味ケガしてしまったからこうやって色々考えられるというのもあったと思うし。ある意味こうやってスケートができなかった期間があったからこそ、作戦ということを学び、こうやって勝つためにここにこれたというのもあると思います」 (続けて)「前半は丁寧にいった。6分間練習でサルコーが不安だったので、とにかくサルコーさえ降りれば前半の感覚で後半跳べると思っていた。何よりも昨日も言ったけど、やっぱりサルコーも、トーループもアクセルもトリプルジャンプすべて何年間もやってきてるので、やっぱり(体が)覚えててくれました」▽最後の3回転ルッツはよくこらえた。 「もう右足でやっぱり、ルッツ跳ぶのが1番大変なので、やっぱり右足頑張ってくれたなという思いが強いです」▽終わった瞬間は。 「勝ったと思いました。何よりもソチの時は勝てるかなという不安でしかなかったので、今回は何より自分に勝てたと思いました」▽構成決めたのは。 「朝です。もう自分で決めました。練習の前に。理由はいっぱいあります」▽ループは跳びたかったのでは。 「特に跳びたいとか跳びたくないとかはなく、なによりも勝ちたかった。勝たないと意味はないと自分の中で思っていた。この試合は特に。なによりもこれからの人生にずっと付きまとう結果なので、本当に大事に大事に結果を取りにいきました」▽連覇の重圧は。 「特に。とにかく連覇とかそういうのじゃなく、この試合に勝ちたいと思っていた」▽キャリアの中でどんな位置付けになるか。 「う?ん。単純に比較ができないですね。やっぱり。でも今思うのはずっと小さい時から描いていた夢。また、自分の人生設計の中で、ある意味やっと中間点ぐらいにきたと思ってる。そういう意味ではスケートを始めて、五輪で金メダルをとるってエフゲニー・プルシェンコさんを見ながら思っていた頃の自分に、本当にとれたよ、練習頑張れよって、いろいろあるけど、頑張れよっていいたい」▽プルシェンコを超えた? 「超えてないです。軽く超えてないです」▽ソチの金メダルの違いは。 「あの時は無我夢中だったし、あの時はあの時でいい演技ができたと思ってます。あの時の演技に恥じるものも悔いもない。ただやっぱりミスがあったことは確かなんで、なんとかそのミスを払拭できるような演技ができたことは、今回うれしかったことかなと思う」▽多種類の4回転への挑戦。 「それがあったからこそ選択肢があった。ルッツ、ループにずっと挑戦しつづけていなかったら、この構成が落としたといえない。構成を落としてやってきたという自信にならない。やっぱり一つとして無駄なことはないと、改めて実感させられました。なんとか通し練習はやっていました。ただ、やっぱり足の状況もすごく気になっていましたし、足の状況についてはまだ何も話すつもりはないですけど、本当に大変だったので、思ったよりも。最初に診断してもらったじん帯損傷だけでなく、本当に色んなところを痛めてしまっていて、氷上に上がれない日が長かったので、もう体力とかよりもスケートに乗ることへの不安の方が大きかったです」▽4回転時代を切り開いた。 「別に僕が引き上げたとは思ってないです。1番最初にやっぱり4回転ルッツの戸を開いたのはボーヤン(金博洋)だし、それから何とか僕も限界を超えようと思って彼を追いかけていただけだし、そしたらみんなも強くなっていって、そしてネーサン(・チェン)という選手が出てきて、そして宇野選手という素晴らしい日本の選手が出てきて、本当に僕は時代に恵まれたスケーターだなと思う」羽生結弦が金メダルを獲得し、前回ソチ大会に続く五輪2連覇を果たし、ましたね。連続優勝はフィギュア男子では66年ぶりで、冬季五輪の個人種目では日本勢初の快挙でしたね。今大会の日本選手団初の金メダルにもなりましたね。 宇野昌磨がフリー202・73点、合計306・90点で銀メダルに輝き、日本勢のワンツーフィニッシュとなりましたね。羽生は4回転ジャンプを相次ぎ成功させるなど安定した演技で206.17点をマークし、SPとの合計で317.85点としましたね。宇野は冒頭の4回転ジャンプで失敗したが、羽生を上回る技術点を挙げ、合計306.90点としましたね。にほんブログ村↑クリックよろしく、お願いします。ペコリ【池江璃花子、女子200メートル自由形で日本新更新 第34回コナミオープン水泳競技大会2018】「第34回コナミオープン水泳競技大会2018」は17日、東京辰巳国際水泳場で行われ、女子200メートル自由形で池江璃花子(17 徳巣鴨高)が1分55秒04の日本新記録を樹立しました。祝】ヤッタネ おめでとぅ自身が持つ1分56秒33を塗り替えました。↓200メートル自由形で日本新記録をマークし、笑顔の池江璃花子今年1月には短水路(25メートルプール)の競技会に出場し、200メートル自由形、50メートルバタフライ、200メートル個人メドレー、100メートル自由形と出場全4種目で日本新を叩き出したが、これに続く快挙となりました。(*゚O゚)ノ スゴイッ!!!レース後、池江は「予選の時から決勝は記録を更新したいと話していたので、しっかり前半から突っ込むこともできました。やっぱり前半突っ込んだ分、後半きつかったんですが、最後まで泳ぎ切ることができて、とてもホッとしています」と笑顔で語りました。 「55秒後半が出たらいいなと思っていたんですが、55秒04だったので、54秒台も見えてきたと思います。よくないところ、うまくいかなかったところもあったので、それを改善できたら、54秒台も出てくるんじゃないかと思います」と手応えを示しました。 池江は「予選の時から決勝では記録を更新したいと話していたので、しっかり前半から突っ込むこともできました。やっぱり前半突っ込んだ分、後半きつかったんですけど、最後まで泳ぎ切ることができて、とてもホッとしています」と笑顔で語りました。 「55秒後半が出たらいいなと思っていたんですけど、55秒04だったので、54秒台も見えてきたと思います。今、泳いでいて、自分がよくないところ、うまくいかなかったところもあったので、それを改善できたら、54秒台も出てくるんじゃないかと思います」と話しました。女子200m自由形で、池江璃花子が1分55秒04の日本新記録を樹立。自身が持つ日本記録1分56秒33を、1秒29も大幅に更新しましたね。 昨年7月の世界選手権銀メダル(1分55秒18)に相当しますね。今年1月には短水路(25メートルプール)の競技会に出場し、200メートル自由形、50メートルバタフライ、200メートル個人メドレー、100メートル自由形と出場全4種目で日本新を叩き出したが、これに続く快挙となりましたね。【錦織圭、R・アルボットを4-6, 6-3, 6-1の逆転で破り、ベスト4進出 ニューヨーク・オープン】男子テニスのニューヨーク・オープン(アメリカ)は16日、シングルス準々決勝が行われ、第5シードの錦織圭(28)が世界ランク91位のR・アルボット(モルドバ)に苦戦するも4-6, 6-3, 6-1の逆転で破り、ベスト4進出を果たしました。(*^v^*)bヤッタネェ♪↓錦織圭この日、錦織は第5ゲームでフォアハンドのパッシングショットやウィナーを決めてブレークに成功しました。その後はブレークが続き、第8ゲームからはアルボットに3ゲーム連取を許して第1セットを落としました。第2セットも序盤でブレークポイントを握られるも、バックハンドのウィナーなどを決めてピンチをしのぐ。そして、第2ゲームをサービスキープすると錦織は徐々に本来の力を発揮し、2度アルボットのサービスゲームを破ってセットカウント1ー1に追いつきました。ファイナルセットは第4ゲームでリターンエースを決めるなどでブレークすると、その後もリードを守り4強入りを決めました。準決勝では、第1シードのK・アンダーソン(南アフリカ)と世界ランク98位のF・ティアフォー(アメリカ)の勝者と対戦します。錦織は、今年1月のニューポートビーチ・チャレンジャー(アメリカ)で右手首のけがから復帰していました。翌週のRBCテニスチャンピオンシップス・ オブ・ダラス(アメリカ)では復帰後初優勝を飾りました。世界ランキング27位で第5シードの錦織圭が、同ランク91位のR・アルボットに4-6, 6-3, 6-1の逆転で破り、ベスト4進出を果たしましたね。【エンゼルスの大谷翔平投手、太っ腹オーナーから「欲しい物があれば何でも言ってくれ」】エンゼルスの大谷翔平投手(23)が、バッテリー組のキャンプ2日目で圧巻の二刀流調整を見せました。初めてブルペン入りし、カーブなど変化球を交えて36球投げました。 フリー打撃では35スイングで2度の3連発を含む12本のサク越えをマークしました。豪快な調整ぶりに、初視察した大富豪のアート・モレノオーナー(71)から「欲しい物があれば何でも言ってくれ」と太っ腹発言が飛び出しました。↓A・モレノオーナー(右)と談笑する大谷(左)二刀流練習終了後。大谷は、異例の視察に訪れたモレノオーナーに近づきガッチリ握手しました。ここで大富豪オーナーから思わぬ発言が飛び出しました。「本当に会えてうれしいよ。ショウヘイが欲しい物があったら、何でも言ってください。私がサポートします」。この太っ腹発言には自然と笑い声が漏れました。 エ軍の総帥を魅了するには十分な調整ぶりでした。まずはキャンプ初のブルペン。セットポジションから20球を投げると、約8分間のインターバルを挟んで16球。チーム方針で行われた、より実戦を想定した投球練習でした。「実際の試合で一気に50、60球を投げることはない。実戦向きでいい練習だなと思います」と語りました。エ軍では投球練習でも球速などをデータに取ります。この日は初体験でした。「1回1回勉強にはなると思うが、実際には打者を抑えること(が大事)。実戦にフォーカスして練習すれば、そういうデータも生きてくる」と手応えを口にしました。 フリー打撃はまさに圧巻でした。35スイングでバックスクリーンを越える150メートル弾を含む12本のサク越え放ちました。2度の3連発は、モレノオーナーにも豪快に映ったに違いありません。モレノオーナーは2003年にエ軍を1億8400万ドル(当時約219億円)で買収しました。しかもキャッシュで支払ったという逸話を持っています。大富豪オーナーは「ビューティフルだ。期待通り? いや期待以上だ。過去の選手と彼は比較できない。まだ23歳。すごく大きな将来が待っているだろう」と大絶賛しました。 投手では滑りやすいとされるメジャー球、硬いマウンドへの対応など課題はあります。それでも、これまでにシューメーカーやヒーニーら投手陣に助言を求めているということです。「聞いて勉強になることがあると思っている。簡単にできるとは思っていないが、繊細になりすぎずに打者と勝負出来れば」モレノオーナー 1946年生まれのメキシコ系4世。ベトナム戦争に従軍。帰国後アリゾナ大でマーケティングを学び、屋外看板の広告代理店から身を立てた。1998年に80億ドル(当時のレートで1兆1000億円)で自らの会社を売却。86年からマイナー球団を保持していたが、2003年にディズニー社からエンゼルスを1億8400万ドル(同219億円)で買収。ラテン系初の北米4大スポーツオーナーとなった。現在個人資産は25億ドル(約2650億円)、メジャーでも数少ない個人オーナーの一人。エンゼルスの大谷翔平投手が、バッテリー組のキャンプ2日目で圧巻の二刀流調整を見せましたね。初めてブルペン入りし、カーブなど変化球を交えて36球投げ、フリー打撃では35スイングで2度の3連発を含む12本のサク越えをマークしましたね。 豪快な調整ぶりに、初視察した大富豪のアート・モレノオーナーから「欲しい物があれば何でも言ってくれ」と太っ腹発言が飛び出しましたね。大富豪オーナーは「ビューティフルだ。期待通り? いや期待以上だ。過去の選手と彼は比較できない。まだ23歳。すごく大きな将来が待っているだろう」と大絶賛しましたね。【白鴎大 無期限で活動自粛 未成年部員、入部予定の高校生が飲酒】関甲新学生野球連盟・白鴎大の未成年部員と入部予定の高校生4人が飲酒し、14日から無期限で活動を自粛したことが分かりました。(怒`・ω・´) (`Д´)ノこらぁ! ナンテコッタ13日深夜、寮の部屋で1年生部員2人が高校3年生2人に歓迎の意味合いで飲酒させたということです。(*`エ´*)プンプン (〃*`Д´)カチーン部員が高校生に追加の酒を買いに行かせたところ、泥酔状態を不審に思った店員が通報しました。飲酒させた部員や高校生らは自宅待機。 19日から予定されていたキャンプは取りやめました。今春リーグ戦出場可否について、同大広報部は「全日本大学野球連盟の判断に委ねたい」としました。白鴎大の未成年部員と入部予定の高校生4人が飲酒し、14日から無期限で活動を自粛しましたね。13日深夜、寮の部屋で1年生部員2人が高校3年生2人に歓迎の意味合いで飲酒させたということですね。 19日から予定されていたキャンプは取りやめましたが、今春リーグ戦出場可否について、同大広報部は「全日本大学野球連盟の判断に委ねたい」としていますね。【フェデラー 史上最年長王者が確定】これまでの最年長世界ランク1位は当時33歳のアンドレ・アガシ(アメリカ)だったが、この日1時間19分で勝利したフェデラーは19日発表の世界ランキングで2012年10月以来 約5年4カ月ぶりに1位へ返り咲くことが決まりました。祝】パチパチ☆ (*^v^*)bヤッタネェ♪↓フェデラーフェデラーは2004年の2月から2008年の8月まで237週にわたり世界ランク1位に君臨し、これは最長連続在位記録となっています。 今年は全豪オープン(オーストラリア)で2連覇達成と歴代最多タイの6度目の優勝を果たし、男子では四大大会歴代最多優勝数を更新する20勝目をあげました。今大会で2012年以来6年ぶり3度目の優勝を狙うフェデラーは準決勝で、ラッキールーザーのA・セッピ(イタリア)と予選勝者のD・メドヴェデフ(ロシア)のどちらかと対戦します。フェデラーは19日発表の世界ランキングで2012年10月以来 約5年4カ月ぶりに1位へ返り咲くことが決まりましたね。 これまでの最年長世界ランク1位は当時33歳のアンドレ・アガシだったが、この日1時間19分で勝利しましたので、返り咲いが決まりましたね。【日本男子、チームスプリント 2位 自転車アジア選手】自転車トラック種目のアジア選手権は16日、マレーシアのニライで開幕し、日本はチームスプリントで男子(渡辺一成、河端朋之、長迫吉拓)が2位でした。 女子(前田佳代乃、太田りゆ)が33秒785の日本新記録で3位に入りました。女子ポイントレースの橋本優弥(鹿屋体大)は4位でした。ジュニアの女子オムニアムでは石上夢乃(横浜創学館高)が優勝しました。おめでとぅ 【祝】(=^_^=)゙☆パチパチ日本はチームスプリントで男子(渡辺一成、河端朋之、長迫吉拓)が2位でしたね。女子(前田佳代乃、太田りゆ)が33秒785の日本新記録で3位に入りましたね。 ジュニアの女子オムニアムでは石上夢乃が優勝しましたね。【小林陵侑、日本勢最高の10位 ソチ銀メダルの葛西は33位で2回目に進めず ジャンプ 平昌五輪】平昌五輪第9日が17日、アルペンシア・ジャンプセンターでノルディックスキー・ジャンプ男子ラージヒルが行われ、ノーマルヒル7位入賞の小林陵侑(21)が135・5メートル、128メートルの合計258点で日本勢最高の10位でした。史上最多8度目の冬季五輪出場となったソチ五輪銀メダルの葛西紀明(45)は1回目に121メートルの107・9点で33位に終わり、2回目に進めませんでした。ガーン(゚д゚;) (´・ω・`)ショボーン 竹内択(30)は124メートル、125・5メートルの合計234・2点で22位、小林潤志郎(26)は122メートル、122メートルの合計224・8点で24位でした。↓小林陵侑初五輪の小林陵侑は1回目、タイミングよく飛び出して、高いフライト。着地直前にも風を受け止めて距離を伸ばしました。テレマーク姿勢も取って、18から18・5の飛型点を獲得し7位につけたが、2回目は不利な追い風となりました。助走姿勢はすぐに決まり、踏み切り時の時速も90キロ台を確保しました。スムーズに踏み切ってすぐにV字を完成させました。しかし、空中でも風に恵まれず落下するような着地になりました。も~ 悔しい~ぃ高校までは複合とジャンプに出場していたが、2015年からジャンプ一本にしました。2016年にW杯デビューして31試合で最高は7位でした。葛西は1回目、踏み切り時の時速は90キロ台とまずまずながら、タイミングがやや遅れました。着地でもテレマーク姿勢を取ったものの左足のスキーが流され、飛型点も伸びませんでした。得点を確認すると、悔しそうに顔をしかめました。ノーマルヒル7位入賞の小林陵侑がラージヒルで135・5メートル、128メートルの合計258点で日本勢最高の10位入りましたね。2回目は不利な追い風だったので残念でしたね。 史上最多8度目の冬季五輪出場となったソチ五輪銀メダルの葛西紀明は1回目に121メートルの107・9点で33位に終わり、2回目に進めませんでしたね。着地でテレマーク姿勢を取ったものの左足のスキーが流され、飛型点も伸びませんでしたね。【イチロー「最も面白いFA選手10人」に 大リーグ公式サイト】大リーグ公式サイトは15日、FA市場の停滞で多数の有力選手が未契約の現状に「最も面白いFA選手10人」の特集を組み、イチロー(マーリンズからFA)も選ばれました。↓イチロー将来の殿堂入りが確実視される大選手に、同サイトは「さよならを言う準備ができていない」としています。 他に通算331本塁打のバティスタ(ブルージェイズからFA)、2015年サイ・ヤング賞の右腕アリエッタ(カブスからFA)らが名を連ねました。大リーグ公式サイトは、FA市場の停滞で多数の有力選手が未契約の現状に「最も面白いFA選手10人」の特集を組み、イチローも選ばれましたね。 将来の殿堂入りが確実視されるイチローに、同サイトは「さよならを言う準備ができていない」としていますね。【パドレス・牧田和久投手、キャンプ初日「毎日が興奮している状態」】↓牧田和久パドレスの牧田和久投手(33)がメジャー1年目のキャンプ初日を迎えました。 キャッチボール、ダッシュなど軽いメニューだったが「毎日が興奮している状態。ようやく始まったなと思う」と感慨深げに話しました。日本選手初の下手投げ大リーガー。ドジャースなどで活躍し、パドレスのフロントに籍を置く斎藤隆氏は「新しい形の投手として活躍してくれるんじゃないかな」と期待しました。練習中に同僚とハイタッチなどで交流した牧田は「分からなくても、積極的に話し掛ける」と意欲的でした。パドレスの牧田和久投手がメジャー1年目のキャンプ初日を迎えましたね。 パドレスのフロントに籍を置く斎藤隆氏は「新しい形の投手として活躍してくれるんじゃないかな」と期待しましたね。【マリナーズとマイナー契約の岩隈久志投手、キャンプイン「肩の感じは去年よりもいい」 昨年9月に右肩手術】昨年9月に右肩の手術を受け、マリナーズとマイナー契約の岩隈久志投手(36)もキャンプインし「肩の感じは去年よりもいい」と笑顔で話しました。↓キャッチボールをする岩隈現在キャッチボールは最長30メートルほどです。順調なら今月末にも捕手をつけて平地での投球練習を開始します。 首脳陣に5月頃の復帰を期待されるが「できれば開幕メジャーで。ゆっくりという気はない。でも焦らずに、という感じです」と話しました。昨年9月に右肩の手術を受け、マリナーズとマイナー契約の岩隈久志投手はキャンプインし「肩の感じは去年よりもいい」と笑顔で話しましたね。 首脳陣に5月頃の復帰を期待されるが「できれば開幕メジャーで。ゆっくりという気はない。でも焦らずに、という感じです」と話しましたね。【松本亮と28日対戦する、WBA世界Sバンタム級王者のローマン来日】【東京五輪の開会式、夜間実施へ 午後8時開始か】以上の日記は、この前の日記に記してあります。ニコン COOLPIX W100 マリン【製品特徴】■水深10mまでの防水、1.8mまでの耐衝撃、-10℃までの耐寒および防塵性能 ■有効画素数1317万画素、光学3倍ズームのNIKKORレンズを搭載。電子ズーム領域でも解像感を保ったまま6倍までの ズームが可能なダイナミックファインズームを使用可能 ■撮影者が顔を水につけなくても、水中の人物の顔を自動撮影する「水中顔フレーミング」や、カメラが主要な被写体を検出してピントを合わせる「ターゲットファインドAF」など、簡単かつきれいに撮影できる機能を搭載 ■撮影が難しい車のライトの流れや星の動きなどをきれいに撮影できる「光の軌跡をのこす」(静止画)を新たに搭載 ■Bluetooth low energyテクノロジーによって、ニコンのデジタルカメラとスマートデバイスを接続する「SnapBridge」アプリに対応 ■撮影が楽しくなる多彩な撮影機能、撮影後に色味を変えたり、効果を加えることができる編集機能搭載 ■動画撮影ボタンを押すだけで、高画質な動画を撮影できるフルHD動画撮影機能を搭載【製品仕様】●有効画素数:約1317万画素●ズーム倍率:光学 3倍、デジタル 4倍●焦点距離(35mm換算):30~90mm ●記録メディア:SD/SDHC/SDXCメモリーカード●液晶モニター:2.7型 約23万ドット●動画記録サイズ:フルハイビジョン(1920×1080)、ハイビジョン(1280×720)他●スマホ接続:Bluetooth、NFC ●質量:約177g(電池及びメモリーカード含む)