2004/09/12(日)14:34
9・11
9月11日。
全米同時多発テロの起きた日である。
3年前、
その時のコトは鮮明に覚えている。
普段、12時頃帰宅する私が、
たまたま早くに家に着いていた。
風呂を沸かしながら、つけたテレビ。
今日のように肌寒くはなかったと思う。
Tシャツ一枚でテレビに向かう。
何の番組だったろう。
しばらくして、画面が切り替わった。
・・・・・・!!?
あの映像だ。
なんだ!?
その直後、2機目の旅客機が突っ込む。
!!!!!!!!!!!!!!
これは現実の出来事のようだった。
テレビに張り付いた。
アメリカに知り合いが居たわけではない。
しかし、なぜか動転した。
次に浮かんだ言葉は・・・
「戦争始まる・・・」
脈拍のあがったまま、テレビに食い入っていると家族が帰ってきた。
「大変だ!」
興奮しながら、テレビの前に引っ張った。
それが、あの瞬間の私の様子だ。
あとのコトは覚えていない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日、事件に関する2つの番組を観た。
あれ以来、あの事件のことを特別意識したことはなかった。
巷で騒がれている映画「華氏911」
普段映画をあまり観ない私には、それほど興味の対象ではなかった。
だから、今朝新聞のTV欄を見て、
初めて、今日が9月11日であることを知った。
そして
いろいろ考えさせられた。
ここ数日の疲れた頭も、このコトに対しては働いてくれている。
一つは人の一生、命について。
昨日の観たドラマの最終回でも考えたが、
特に結論は出なかった。
考えたというコトだけでも意味があった思う。
もう一つは情報というものについて。
歴史を語る史料。
これも情報だ。
私は歴史の真相について考えることが多い。
するといつもぶち当たる壁。
史料の信憑性。
当時の人々によって残された記録であっても、
そこに、捏造の可能性が指摘される。
そして、現代。
イラクの状況に対する米国での報道。伝説・美談の捏造。
テレビから流れる北朝鮮国内のニュース番組の映像。
そして、今日の番組で観た、あの事件に対する疑惑。
今、私たちが見ている、見せられているものも真実でないのかもしれない。
伝え手というフィルターを通ってきたもの。
意図のあるなしに関わらず、
そこには、伝える側の感情、思想、思い込み、
ときには思惑、策略、陰謀が入り込んでいる。
ただ事実を伝えることから、はみ出し始めている報道。
一度、疑ってみる必要がありそうだ。
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この日記は、書き込むべき時に書き込めなかった日記です。
こちらで日記を書き始めて20日ほど。
戸惑うことが多いです。
楽天さんは何故、土曜の深夜にメンテナンスなんかするのでしょう?
それも、告知もなしに・・・
トラブルなら、仕方ないですが、
それならそうと明記して頂きたいものです。
それ以前より、少しアクセスしやすくなった気がしますが、
時間帯のせいかも知れません。