無題

2013/07/28(日)04:35

苛々鎮静化|精神疾患のきっかけ

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前の記事の続きです。 東京生まれJ-POP育ち・・・【送料無料】Grateful Days [ Dragon Ash ] (別にZEEBRA好きではないから…Dragon Ashとkjは好きだったが…) 、団地暮らし→企業に開発された住宅地に育ち大きくなり・・・ 高校時代は近隣公立校で同じ中学出身者が多かったにも関わらず、 高1のクラスには、おな中がおらず… その頃は、まだ引っ込み思案だったので、 周りが話しかけてくれて友達が普通に出来た。 でも、高校卒業するまでは、あがり症で人見知りだった。 予備校時代は同じ予備校に通う高3時の同級生とつるんでいた。 在学中は特に仲が良かった連中ではなかったが、 自然とつるむ様になった。 大学は家から2時間かかる場所にあったが、、 たまたま高校の同級生が1人、同学部同学科にいたのだが… 氏名順の学籍番号も遠く入学直後のオリエンテーションでも別だったので… これは自分から友達を作らなければ…と思い、 バスで隣の席だった人に、私から話しかけた。 幸い、そいつは、かなりの好人物だった。 人脈も広く… 彼の幹事で大学1年夏前の人生初合コンには、 男女合わせて50人が集まった。 私も副幹事的に集金とか手伝いをしたのだが、 さすがに収取付かなかった… その辺りを切っ掛けに人見知りがなくなり… 当時、それほど自己主張も強くなかったので、 色々な人から誘われ… 当時は誘いを断れないというか… 楽しそうなところには、どこにでも顔を出していたので、 クラス内(学科の人数が多かったので、クラス分けされていた)はもちろん、 他のクラスから、友達の高校時代の同級生まで… 地方から出てきてる友人の友人が東京観光に行きたいって時に、 案内をさせられたりと… かなり友達の多い学生生活だった。 プライベートで遊ぶ友人だけでも、 30人くらい居ただろう… スキー旅行に行くとなれば、 10人以上集まっちゃうしね… 当時の私は、当たり障りのない人間だったんです。 その後… 社会に出て7年程、都心のど真ん中で働き… 人間関係に疲れたんですね… この記事で、ここまで書いてきたように、 私は、根っからの人嫌いではないんです… 実際、動物が苦手だけど、人間の子供は大好きですからね。 姪っ子や友人達の子供たちからも基本好かれます。 まぁ、自分の子供を産んで育てる自身はありませんが… 鬱病を発症しはじめた頃から、そうなったんだろうなぁ… 7~8年前、テレビ番組で誰かが、 「子供を育てられるかどうか知りたかったら、  まず犬を飼って育ててみなさい。  犬1匹、責任を持って育てられないような人間には、  子育ては絶対無理だから」 というようなことを言っていた… 犬が苦手な私が犬を育てられるわけもなく… 昔から責任の重さってのから逃げ出す癖があったんですよね… 話を戻します。 本来、人見知りのはずの人間が、 10代の終わりから20代まで、あまりに多くの人間と接し過ぎた… 特に都心で働いてた時代が一番悪かったのかな… 都会ってところは、 本当に色々な人が集まっていて… 人が多すぎて、いろんな見えない力が飛び交ってるんですね… まぁ、見えるものにも、いっぱい嫌なものがあった。 その筋の人相手に仕事をしなきゃいけないこともあったし… 世の中の裏側というか、ダークな面を一気に見過ぎたんですねぇ… 今、振り返ると、 うつ病と過敏性腸症候群を発症したのって、その頃ですからねぇ… 同時に人間不信という社会不安障害も発症していたんだと思う。 病院にも言ってないし、症状はあっても病名はわかってなかったけど… その前から神経性胃炎と胃酸過多はあったので、 その症状で調子が悪いんだと思ってたんです。 その反面、楽しいこともいっぱいあったんですけど… 我々世代が社会に出たのってバブル崩壊後なんですけど、 私は一般的なバブル景気より、バブルが遅れて来た業界にいたので… 仕事も遊びも、かなりバブリーだったんですね… 創業して間もないベンチャー企業で、 会社規模は大きくないけど、 他業種に手を広げていって… 私は、その会社のメインの仕事に従事していたのですが… 仕事の拘束時間はハンパないけど、残業手当は青天井だし、 忙しい時は、本当に1日中休む暇なしだし、 能力が認められれば、それなりの裁量権は与えられるし… 仕事ぶりが評価されれば、給料は上がっていくし… その上、朝まで飲むことも、それほど珍しく無かったし… ほんの数か月間ですが、 残業手当がつかない上司より、手取りの月収が多かったですからねぇ… その前に昇格の話もあったんですが… 若い頃の私は、先のことなんて考えてなかったし、 その時が楽しかったから、 仕事の内容が変わるのが嫌だったんですよねぇ… 責任が重くなることに対しても自信がなかったし… 一旦は断りました。 (入社直後にも新規事業へ誘われてるから2回断ってるんだな…) この時に受けていれば、管理職としてのスキル、 ベンチャー企業の経営への参画経験が身に付いていたのかもしれない… そうすれば、それが土台となって、 今の精神的な不安定さは和らいでいたのかもしれない… その後、しばらくしてからですねぇ…受けたのは… 結果、バブルがはじける寸前だったんので、 敗戦処理をする羽目になりまして… 本業は持ちこたえていたのですが、 社長が海外(新興国)の不動産開発に手を出しまして… それが見事に失敗… 日本の常識が通用しなかったんです… そして会社は倒産… 団塊Jr.世代の私ですが、 もしかしたら、私はある意味「バブル世代」なのかもしれない… 実際、請求すればタクシー代出ましたからね… だから、同世代の友人達と考え方が離れていったんだな… でも、バブルは必ずはじける… そんな生活をしていたから双極性障害になったんだろうと思う。 新入社員なら誰でも経験する苦労の一種ではあるけど、 ちょっとだけズレがあったんですね… そのズレを切っ掛けに歯車が狂い始めた… 多忙でも、頑張ってれば報われる。って経験をした。 それ自体は悪いことではないが… 時代が変わった今、会社勤めで大事なのは、 個人としての仕事を頑張ることよりも、 対人折衝能力が大事になってくる。 まぁ、当時の私はも、それが無かったわけじゃないですけど… 20代半ばと30代半ばって、私にとって「モテ期」でしたからねぇ… 20代半ばも時は、男にもモテた。 (変な意味じゃなく。職場におかまさんもいたけど…笑) 30代半ばの時は、男からは、あまり持てなかったですねぇ… あと同世代の女子からも持てなかった… 自分に対して一番無理をしていなかったというか… ありのままの自分を受け入れられていた時期だったんでそうねぇ… でも30代で同世代からモテなくなったのは、 精神年齢が周りに追い付かなくなってしまっていた結果で… バブルな業界に身を投じ、それがはじけ、 歯車が狂った結果… 私の病状は、波を繰り返し、 一時的には回復しながらも、徐々に悪化していった… パニック発作を初めて起こした時も、 実は、私は敗戦処理の最中だった… この話は別途。 いい加減、寝ます。 さすがに今夜は酷いですねぇ… 認知行動療法の@「認知」は出来てるけど「行動」は出来ていない。 鬱は改善したし、パニック障害の改善にも多少の効果は感じてるけど… 実際、昨日今日と夕方デパスを飲んでないし… 躁に関しては、何の成果も出ていない… (デパスを飲んでないから暴走してる?) 躁に対する対処法はブログを書かないことになるみたいですねぇ… 付けている記録から見ても、 ブログを再開して、7月に入って毎日書き始めるようになってから、 確実に就寝時間が遅くなってる… 結局、夕方から、 入浴、食事を挟んで、 合間にテレビを観たりしながらも、 9時間にわたってブログを書いた。 現在、午前4時半… これは身体にも神経にも、かなり無理をさせている… 明日、1日寝てれば、少しは精神状態が落ち着くかなぁ… そろそろ、完全オフ日を作らないと、 私の身体、本気で崩壊しそうですからね… この締め方でも、わかる通り、 既に苛々は完全に治まっています。 でも、朝になったら、 自分の今現在の行動に後悔して、 自己嫌悪に陥って、自分に対して苛々するんだろうなぁ… 明日は寝てよう… でも、1か所行きたいところがあるんだった… それを早くに思い出せてれば、 少しは早く寝ようとしたのに… まぁ、後悔先に立たずです。 今の私、後悔してもスイッチ入ると忘れちゃいますから…

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