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「源義経黄金伝説」 飛鳥京香・山田企画事務所           (山田企画事務所)

義経黄金伝説ーー作者独白ーー


義経黄金伝説●西行黄金伝説●改題
@第1章@ーー作者独白ーー
日本版三国志の物語。時代は,源平の争いから、鎌倉幕府が成立しょうとしていた時期。瀬戸内海荘園群を経済地盤とする、後白河法王を頂点とする貴族制西国王朝。新興勢力である東国騎馬武士団を率いる源頼朝。古代よりエミシの血を受け継ぐ奥州に黄金・仏教王国を構える藤原秀衡。この三者にあって糸を噤む、当時最大級文化プロデユーサー西行法師。最大級武人、源義経。日本の背後に潜む闇のカタチなく存在する住民、道々の輩。ケッシテ歴史小説ではありません。時代アクション小説です。歴史用語の間違いなどお許しを。ともかく1186年、鎌倉八幡宮、静の舞より、舞台の幕は上がります。、、、
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■西行黄金伝説(さいぎょうおうごんでんせつ)■第1回 歌の聖人西行上人の名は日本の歴史に深く刻まれている。
これから、500年後、徳川家康は、頼朝を敬慕し、吾妻鏡を熟読、その
政治方針の参考とした。現在に残る吾妻鏡は欠損部が多いといわれるが、これ
は徳川幕府の施政方針の一環ともいわれる。
徳川光圀は、その「大日本」編纂事業のひとつとして、「義経」に関する故
事来歴を全国各地から収集させた。

それより後、明治時代になり、明治政府および帝国陸軍参謀本部は、また、大
陸政策を立案するべく、東京帝国大学の満州探検の奨励、満鉄調査部の研究も
奨励した。いわゆる有名な研究資料「笹竜胆印の探求」全書である。むろん義
経遺跡の探求を目的とした、ツングース族の口承伝承をも仔細に研究したとい
われる。この小説の資料は、東洋文庫及び皇室に保管されている資料を基本と
する。GHQがその占領政策にあたって、日本人の精神構造の研究家としてそ
の著書「菊と刀」で有名なべネデイクト女史の指導により、持ち帰ったともい
われている。現時点では、この完全版資料の行方は、行方不明であり捜索中で
ある。この小説は、大阪島本町にある中州興業大学歴史資料館の御協力によ
り、その現存する貴重な資料の一部部分を使用している事を付記しておく。

1990年盛夏、著者は、鎌倉にある頼朝に関する遺跡の数々を訪れていた。
頼朝公事跡の裏山にそれは合った。大江広元公の墓である。
ごねん江戸時代末期、長州藩家老周布が江戸賛府のおり記念の碑を作っ
ている。また、島津家もこの大江家を祖とする。大江は、この国の形を鎌倉幕
府で作り、明治維新は、長州・島津家協同の日本革新作業であったとすれば、
すべては、やはり、鎌倉に始まるといえよう。

小説「義経黄金伝説」は、大江広元公墓に出会ったこの瞬間に生まれた。
これは12世紀日本の3つの都市と、京都王朝につかえる3人の騎士の物語で
ある。

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