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「源義経黄金伝説」 飛鳥京香・山田企画事務所           (山田企画事務所)

第4回■後白河法皇の跳梁と深謀は?


■義経黄金伝説 第4回 
作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所
http://www.yamada-kikaku.com/    

第1章4 一一八六年 京都・後白河法皇(ごしらかわほうおう)の宮殿

後白河は望みもせず、運命のいたずらでこうなってしまった天皇であり、上皇であった。

 若い頃より今様に打ち込み、政治のことなどはまったく知らぬ政治を治める天皇の器には程遠い、ほうけもの、不良少年、不適格者であると見なされていた。

 このあやまって天皇になってしまった男が、日本最大級の政治家になろうとは、京に住む公家の誰もが思わなかったに相違ない。
「あの、ほうけものが…」というのが、貴族の一般的な反応であった。

 遠くに見える比叡山を背景に人々のざわめきや歌声が響いていた。 
後白河の宮殿である。
この時期、法皇はよく宮殿を移動している。部下の貴族の邸宅をそれにした。

法皇はもの想いにふけっている。
法皇にとっては、頼朝は、単なる地方の反乱軍のひとつにすぎす。
平家六波羅政権を打ち倒す方策にすぎなかった・それが坂東平家・北条にとりこまれ、
このような大勢力になるとは、思いもよらなかったのである。

法王が仕掛けた手紙による爆弾は次々に効果を産み、日本全土を混乱のちまた。
京都王朝始まっていらいの動乱へと導いていた。

朕が悪いか?
いやいや、そうではあるまい。
崇徳(すとく)じゃ。
あの兄の怨霊が、戦乱・地震・飢餓を次々と呼び起こしているのだ。

保元元年(1156年)兄崇徳を讃岐に流し、8年後亡くなっている。
世に言う保元の乱である。

京都鴨川の河岸には鳥べ野で処理できない死体の山がはみだし、川が氾濫する度に腐乱した人間であったもの腐乱した肉片が陸地におしもどされて腐臭を放ち、犬や烏が群れをなしてがそれをついばんでいる。
混乱の京都から何人かの貴族流れものが行った。
得にに大江家がこれほどはまるとは、、法皇はため息をつく。

それに比べて朕の傍には、、、よほど才能というものが、この京あたりには枯渇しておるらしい。
いつも考えているのは坂東・奥州のポジションニングの問題なのである。

征服王朝である京都王権にとっては、この両地方のバランスが大切なのである。

源頼朝はこの両地方を手にいれようとしている。それは許しがたい。何らかの方策が、、ひとつは西行。
もう一つは義経。どう転ぶか。予断を許さない。
ましてや、西行の計画は法王自身の精神問題にもつながっている。
怨霊である。
近頃崇徳ののろいが、、苦しめている。
憂さ晴らしとして、今様を歌ざるを得ない。騒がざるを得ない。

しかし、時代は代わってしまったものよ。
法皇は京都政権を守らねばならなかった。
武士はとは、殺人をないわいとする職業集団。いみ嫌うその集団を、北面の武
士といういわば、親衛隊をつくり自分を守らねばならない。
その矛盾はある。


26年前、頼朝の事は覚えている。父を、この平安京始まって以来。殺人刑に処した。
あの折の頼朝の表情は覚えている・たぶん、朕をうらんでいるであろう。文覚もあの折には、、、 

今、後白河は、白拍子たちを集め、宴を開らこうとしているのである。
白拍子は流行歌手であり、一種のアイドルである。今様は流行歌であった。

「殿下、もっと見目形のよい白拍子を呼ばれた方が…」
 関白九条兼実が、その甲高い声で言った。
「乙前のことか。兼実は不思議に思うであろうな。あの八十才にも手が届く白拍子を俺が呼ぶのを。が、兼実よ、人の値打ちは見目形や身分や年ではない」
「で、何でお決めになると」

「才じゃよ」
「はっ」

「才能じゃ。あの乙前は、今様を数多く謡えることにかけては、当代並ぶものもあるまい。この才においては、兼実、お前ですら、及ばないであろう。それに…」


 後白河は、思わず言い捨ててしまいそうになる。
氏が何になろう。
人間の世は才能よ。
それも天賦の才に加えて、才を磨くことに長けたものが生き残ることができる。

現に朕がそうだ。

 その才能という武器に、お前は気付かぬのか。兼実、所詮、お前は藤原の貴族よのう。

「それに、何でございましょう」
 やや、惚けた顔で、兼実が尋ねた。
「よいか、今様は、民の心の現れだ。民の心知らずして、何ゆえにこの俺は頼朝や秀衡と比べても、民の心がわかっておるだろうて。ましてや、この民の心の歌を書物に纏めて後の世に残して置こうと思うのだ」
「ご立派なお心でございます」

 民のことを考えるだと、恐ろしいことを言う方だ。
この法皇は、今までの院の方々とは少しばかり違う。
考え方が桁外れだ。私も考え方を変えねばのう。
いままでの院や天皇のように扱うことはできぬ。

「よいか兼実、殿上人は申しているであろう。
法皇は下々のこともとてもお好きじゃとな。
が、この世の中は殿上人や武家だけのものではあるまい。
世の中は民で成り立っておるのじゃ。後の世に名が残るのは果たして朕か、頼朝か秀衡か」

「それは法皇様でございましょう」
 兼実は追従を打った。
が、後白河はにやりと笑い、その大きな目を向け、大きな声で言った。

「いや、むしろ兼実、お前かもしれんのう」
 法皇は笑みを兼実に返した。
が兼実は心の奥底にこの冷たいものを感じた。
しかし、法皇はもう兼実を見てはいなかった。

西行は、奥州に旅立つ前に、法皇を訪れて何かを相談していたのだ。
 その西行が出て行った後、京都公家政治の代表的人物である後白河法皇とその寵臣の関白、藤原兼実は、西行に頼んだ企みを毎日のように話し合っている。

「どう思う兼実、あのはかりごとの可能性は」
「あくまで平泉の秀衡殿の心次第でございましょう。秀衡殿の黄金と東北十七万騎、加えて義経殿のあの武勇、三つ揃いましたなら、鎌倉の頼朝殿も危うございましょう」
「そちは義経びいきじゃからのう。が、安心はできまい」
「と申しされますと」
「鎌倉の頼朝には、大江広元という知恵袋がついているからのう。まあ、よい、いずれに転んでも、朕に腰を屈せねば、この日の本の政権は維持できまい」
「誠にその通りでございます、法皇様」
「ふふう。さよう、頼朝ごときは俺を大天狗とか呼んでおるようじゃが、俺は天狗どころではないぞ」
「が、法王様、天狗といえば、あの弁慶はどうしておりましょう」
「さよう、弁慶もくせ者じゃ。何しろ、あやつの背後には、全国の山伏の群れがついておる」

「あの弁慶はたしか、法皇さまの闇法師だったのでは……」
「そうじゃ。昔はのう」
「あの弁慶は、どちらの味方をするか、決めかねておるのでございますね」
「さよう、あやつら山伏も、古くは持統帝の頃より情報網を、この日本中張り巡らしておるから恐ろしい奴らじゃ」
「彼らの唐より伝わる武術書・『六闘』からあみだした武闘術恐れねばなりますまい」
「そうじゃ。ともかくは西行の報告をまとう」
 
法皇は院御所に植わっている桜の木を見て言う。
「ところで、兼実、桜がなかなかきれいじゃのう。一節歌うてみるか」

「はっ、これ、誰か白拍子をこれへ。ほんに法皇様は今様がお好きじゃ」
 白拍子の一団が、庭に入ってきた。
「兼実、これも我が書物、梁塵秘抄のためじゃ、書物のためじゃ。皆歌え」
 梁塵秘抄は法皇がまとめている今様の歌集である。
 白拍子も、法皇も歌い始める。

「おお、これは乙前、朕が師匠殿、一節たのむぞ」
 白拍子の乙前が目の前にいたのである。
「乙前、今日はどんな歌じゃ。はよう謡ってくれ」
 乙前はろうろうと歌い上げた。年を感じさせない。
「おお、それはどんな者が謡っておのるだ。詳しく聞かせてくれぬか」
 
法皇は今までの兼実に見せていた顔と、違う面を見せている。それが、兼実には恐ろしくもあった。
この法皇は底知れぬ。
「ほほ、ほんに法皇様は歌がお好きですこと」
「乙前、この世の中で、今様が一番好きなのはこの朕だ」
「ほほう、殿下はおもしろいことをいわれますなあ」

 乙前は、ほとんど歯の残っていない口をみせた。
 突然、乙前は歌を急にやめる。
「法皇さま、西行さまは、、、」怪訝な顔つきである。
「そういえば、乙前と西行とは知り合いじゃったのう」
「さようでございます。西行殿の外祖父様、源清経殿は我が母を囲っておりま
した」
「そうじゃった。が源清経もわしの今様の師匠じゃ。悪ういうではない」
 源清経は目井とその養女乙前を囲っていたのだ。


(続く)
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