「源義経黄金伝説」 飛鳥京香・山田企画事務所           (山田企画事務所)

2009/10/11(日)15:17

源義経黄金伝説■2009-第11回

源義経黄金伝説(2009年版)(84)

源義経黄金伝説■2009-第11回 ■源義経黄金伝説■2009-第11回 作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 山田企画事務所 ナレッジサーブ「マンガ家になる塾」 第1章4 一一八六年 京都・後白河法皇(ごしらかわほうおう)の宮殿 後白河法皇は望みもせず、運命のいたずらでこうなってしまった天皇であり、上皇であった。  若い頃より今様に打ち込み、政治のことなどはまったく知らぬ政治を治める天皇の器には程遠い、ほうけもの、不良少年、不適格者であると見なされていた。  このあやまって天皇になってしまった男が、日本最大級の政治家になろうとは、京に住む公家の誰もが思わなかったに相違ない。 「あの、ほうけものが…」というのが、貴族の一般的な反応であった。  遠くに見える比叡山を背景に人々のざわめきや歌声が響いていた。  後白河の宮殿である。 この時期、法皇はよく宮殿を移動している。部下の貴族の邸宅をそれにした。 法皇はもの想いにふけっている。 法皇にとっては、頼朝は、単なる地方の反乱軍のひとつにすぎす。 平家六波羅政権を打ち倒す方策にすぎなかった・それが坂東平家・北条にとりこまれ、 このような大勢力になるとは、思いもよらなかったのである。 法王が仕掛けた手紙による爆弾は次々に効果を産み、日本全土を混乱のちまた。 京都王朝始まっていらいの動乱へと導いていた。 朕が悪いか? いやいや、そうではあるまい。 崇徳(すとく)じゃ。 あの兄の怨霊が、戦乱・地震・飢餓を次々と呼び起こしているのだ。 保元元年(1156年)兄崇徳を讃岐に流し、8年後亡くなっている。 世に言う保元の乱である。 京都鴨川の河岸には鳥べ野で処理できない死体の山がはみだし、川が氾濫する度に腐乱した人間であったもの腐乱した肉片が陸地におしもどされて腐臭を放ち、犬や烏が群れをなしてがそれをついばんでいる。 混乱の京都から何人かの貴族流れものが行った。 得にに大江家がこれほどはまるとは、、法皇はため息をつく。 それに比べて朕の傍には、、、よほど才能というものが、この京あたりには枯渇しておるらしい。 いつも考えているのは坂東・奥州のポジションニングの問題なのである。 征服王朝である京都王権にとっては、この両地方のバランスが大切なのである。 源頼朝はこの両地方を手にいれようとしている。それは許しがたい。何らかの方策が、、ひとつは西行。 もう一つは義経。どう転ぶか。予断を許さない。 ましてや、西行の計画は法王自身の精神問題にもつながっている。 怨霊である。 近頃崇徳ののろいが、、苦しめている。 憂さ晴らしとして、今様を歌ざるを得ない。騒がざるを得ない。 しかし、時代は代わってしまったものよ。 法皇は京都政権を守らねばならなかった。 武士はとは、殺人をないわいとする職業集団。いみ嫌うその集団を、北面の武 士といういわば、親衛隊をつくり自分を守らねばならない。 その矛盾はある。 続く090901改訂 作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 山田企画事務所 ナレッジサーブ「マンガ家になる塾」

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