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カテゴリ:源義経黄金伝説(2009年版)
源義経黄金伝説■2009-第85回
作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・Manga Agency山田企画事務所 ナレッジサーブ「マンガ家になる塾」 「マンガ家になる塾」ドリル ■ 終章 正治元年(一一九九)、源頼朝、落馬の怪我がもとで死亡と、鎌倉幕府正史 「吾妻鏡」には記されている。 印地打ちの石には、鉱山で使われる丹毒が、塗られていて、緩慢なる死を源頼朝に与えたらしい。 源頼朝の死は平家滅亡より、十四年後である。 源義経の存在が、日本の統一を可能にした。 源頼朝は、源義経のおかげで、追捕師として、日本全国に守護地頭を置くことを可能とした。これが律法の世、貴族の世である日本を、革命においこんだ。 黄金大仏の再建は、平安黄金国家の終わりを意味し、新しい征夷大将軍が続いて いく。 西行法師は文覚に、黄金のありかをつげ、先に運び込んだ黄金を源頼朝の名前で、勧進を行った。その代わりに源義経をこれ以上追捕せぬ事を約束させたといわれている。 西行の残りの黄金は、結縁衆、山伏たちによって、蝦夷・恵庭岳の山林中に隠 されてるという伝説が存在する。 宝物を埋めた目印として、笹竜胆の家紋が浮き出る、義経石が配されている。 笹竜胆は、西行えにしの藤原北家の家紋である。 当時、満州、東蒙古、華北地方を領有していた、女真族の国は金である。 追捕行も、母静ともともに吉次の手づるにより、金に渡っていると伝えられた。 源義経は、その子、義行とともに、金朝に仕え、功績は抜群で、父子相次いで 範車大将軍に任じられたと「金史別伝」にある。 文覚は生き残り、鎌倉幕府により再び佐渡に配流された。1199年3月の事 である。 夢見、こと、明恵は文覚の跡目となり、京都神護寺の事跡をつぐ。 この後、承久の変の後北条泰時が、明恵に深く帰依し、「御成敗式目」という法律をつくる。この中に明恵のあるがごとくの思想は反映され、民間の知恵(あるがまま)を、条例化する手助けをした。式目は明治時代まで日本人のこころのよりどころとなる。明恵の40年間書き綴られた「夢記」が今に残る。 東大寺勧進職は、栄西に受け継がれる。法然は鎌倉仏教を立ち上げていく。 鬼一法眼は伝説の人物となった。 西行のゆかり紀州田仲庄は後、源頼朝の預所となり、高野山との土地争いは解決された。 藤原定家編纂の歌集「新古今和歌集」には西行の歌が94首が治められ、 入選歌集筆頭である。 歌の聖人、西行上人の名は日本の歴史に深く刻まれている。 戦国時代。大江広元の子孫、毛利家は中国地方の戦国大名となり、大江広元にちなみ、広島という土地をつくった。毛利家は、世界有数の石見銀山という「しろがね」を巡り、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康とその支配権をあらそう。 徳川家康は江戸を開府するに当り、京都の移しを行った。江戸の守護神、神田明神は平将門を祭り、今も江戸城に存在する。 ■明治元年(1868年) 白峯神社(京都) 京都市上京区今出川通り飛鳥井に京都市上京区に白峯神宮はある。 祭神は崇徳上皇。日本の大魔王といわれている。 幼き明治帝の手を外祖父、中山忠能がかしづき、新しく出来た神社に詣でている。 「さあ。御君、ご先祖帝さまにお願い申し上げてくだされ。 これからの、御帝さまを中心とされる新しき政府に、崇徳様の怨霊がたたらぬよ うに、あたらしき政治をお守りくだるようにお願いつかまつれ。 代々、我が家、藤原本家に伝わりし、西行法師殿との約束を使え下させ」 幼き帝は、手を合わせ、御願いを、なされた。 「崇徳上皇様、お許しくだされ。我が王朝が武士から世辞を取り戻すに700年 かかってしまいました。今にいたり、大江広元が縁の2家、島津。毛利両家をもって、武士どもの町、江戸と政庁江戸幕府を倒し、武士どもを根こそぎ退治いたします。この長き屈折したりし日々をお許しくだされ。 そして、陰都(かげみやこ)でございます。平泉王国は、いにしえに滅びました、それゆえ、代わりに江戸を陰都といたします。平将門を祭る神田明神を持って、陰都の守神といたします。 が、本来は、崇徳上皇様が祭神でございます。どうぞ、我が王朝が、江戸城をもって皇居といたす事をおゆるしくだされ」 御年十六歳の帝は、深く頭をさげた。白峰稜前にある白峰寺木像(白峰大権現)が讃岐から運ばれて来ていた。先帝孝明帝が望み、できなかった事をなしとがている 。 「今、奥州東北の各藩が、列藩同盟とか申し、昔の蝦夷どものように反乱を起こそうとしております。我が王朝の若い貴族を持って先頭に立ち、荒恵比寿どもをたいらべます」 帝は、再び深々と、頭を垂れた。 崇徳上皇は、保元の乱の首謀者の一人である、後白河に敗れ、讃岐に流され、 そのちでなくなり、白峰山に葬られた。 讃岐は京都の南西の方角、つまり裏鬼門であり、平泉は、京都から見て鬼門 にあたる丑寅の方角である。 空から、独白が落ちてきて響き渡る。 「西行法師よ、長くかかったのう。いつまで朕をまたせたことやら。 がしかし、その陰都もいつまでも、安穏とするかや。 所詮は、東京幕府、 所詮は、荒夷ども街じゃ。 朕が情念は、いつしか吹くだすやもしれぬ。 見ておれ」 (完結) 20090915版改稿原稿 作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・Manga Agency山田企画事務所 ナレッジサーブ「マンガ家になる塾」 「マンガ家になる塾」ドリル お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.11.14 10:04:30
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