源義経黄金伝説■第4回
源義経黄金伝説■第4回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所第1章永暦元年(一一六〇)今年42歳となった西行は、北面の武士当時、同僚であった平清盛を訪れている。京都六波羅かいわいは、まるで平家の城塞都市である。平家親戚一同が甍を並べ、藤原氏をはじめとしての貴族を睥睨している。平家にとって武力は力であった。 清盛と話す西行から、奥座敷の方に、幼児と母親がかすかに見える。(なにか、面白い話か、あるいは、わたしを陥れる奸計か。くえぬからのう、清盛は、、)こう考えていた折り、大きな陰が現れている。今、飛び鳥を落とす勢いの男が、仁王がごとく立っている。「おひさしゅうござる。西行法師殿、巷の噂、ご高名聞いておる。これがあの北面の武士、当時の佐藤殿とはのう」 今42歳同年の清盛は、若い頃、詩上手の西行に色々な恋歌を代作してもらったことを思い出して、恥じらい、頭を掻いている。「いやいや、北面の武士と言えば、あの文覚殿も」文覚も同じ頃、北面の武士である。「いやはや、困ったものよのう、あの男にも」「今は、確か」「そうじゃ、あの性格。、、よせばいいものを、後白河法皇にけちをつけ、伊豆に流されておる」文覚は摂津渡辺党の武士である。「あの若妻をなで切りにしてからは、一層人となりが代わりよったな」話を切り出してきた。背後から若い女御が、和子を清盛の腕にさしだしている。「のう、西行殿。古き馴染みの貴公じゃから、こと相談じゃ。この幼子、どう思う」「おお、なかなか賢そうな顔たちをしておられますなあ。清盛殿がお子か」「いや、違う。この常盤ときわの子供だ、名は牛若と言う」「おう、源義朝がお子か」 西行は驚いている。(政敵の子供ではないか。それをこのように慈しんでいるとは。清盛とは拘らぬ男よな。それとも性格が桁外れなのか)西行の理解を超えていることは確かなのだ。「そうじゃ、牛若の後世こうせい、よろしくお願い願えまいか。西行殿も確か仏門に入られて、あちらこちらの寺にも顔がきこうが。それに将来は北の仏教王国で、僧侶としての命をまっとうさせてくれまいか」「北の…」 西行は、少しばかり青ざめる。「言わずともよい。貴公が奥州の藤原氏とは、浅からぬ縁あるを知らぬものはない」にやりとしながら、清盛は言う。西行は恐れた。西行が奥州の秀衡とかなり昵懇な関係があり、京都の情報を流していることを知れば、いくら清盛といえども黙っているはずはない。西行は冷や汗をかいている。「……」「それゆえ、行く行くは、平泉へお送りいただけまいか。おそらくは、藤原秀衡殿にとって、荷ではないはず」しゃあしゃあと清盛は言う。西行の思いなど気にしていないようだ。「清盛殿、源氏が子を、散り散りに……」「西行殿、俺も人の子よ。母上からの注文が多少のう」 相国平清盛は、頭を掻いていた。母上、つまり池禅尼いけのぜんにである。清盛も母には頭があがらぬ。池禅尼が、牛若があまりにかわゆく死んだ孫に似ているため助けをこうたらしい。が、相国平清盛は、北面の武士の同僚だった折りから、食えぬ男、また何やら他の企みがあるかもしれぬが、この話、西行にとっていい話かもしれない。あとあと、牛若の事は交渉材料として使えるかもしれぬ。ここは、乗せられみるか。あるいは、平泉にとっても好材料かもしれぬ。ここは清盛の話を聞いておくか。この時が、西行と源義経のえにしの始まりとなった。平清盛はゼニの大将だった。平家の経済基盤のひとつは日宋貿易である。奥州の金を輸出し、宋の銭を輸入した。宋の銭の流入は日本の新しい経済基盤をつくろうとしていた。むろん、ここには平泉第の吉次がからんでいるのはいうまでもない。無論、西行もまた。新しい経済機構が発達しょうとしていいる。新しい職業もまた始まろうとしている。日本の社会が揺れ動いているのだ。続く2014改訂作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所