「宇都宮氏一族の群像」宇都宮武将。 川村一彦
*「宇都宮 隆綱」(うつのみや たかつな、寛永4年(1627) ~- 元禄13年(1700))は下野の戦国大名宇都宮氏の嫡流の子孫で、水戸藩家老。宇都宮義綱の子。室は徳川頼房の十二女、梅子(浄雲院)。子に宇都宮宏綱。弥三郎。官位は下野守従五位下。取次役として1000石を賜り、のちに家老、城代となる。元禄3年(1690)10月、家督を子の宏綱に譲り隠居する。元禄13年、74歳で没する *「宇都宮 宏綱」(うつのみや ひろつな、寛文4年(1664)~ - 正徳元年(1711)5月)は下野の戦国大名宇都宮氏の嫡流の子孫で、水戸藩家老。宇都宮隆綱の子。子に宇都宮寿綱。弟に宇都宮陳綱(兵庫、尾羽城之介綱栄、綱英)、尾羽綱利(尾羽平蔵)。経歴、貞享4年(1687)正月、小姓頭列となる。元禄3年(1690)10月家老であった父が致仕し、家督を継いで700石を賜る。そののち、書院番頭、大番頭、大寄合頭を歴任して、宝永4年(1707年)44歳で家老となり、計1000石を給される。 ※「宇都宮氏も一時は一族は隆盛を誇ったが、内紛と周辺大名らに翻弄され、豊臣秀吉に理不尽な改易に没落を余儀なくされた。しかし、嫡流は細々血脈を繋ぎ江戸時代まで残ったらしいが、他の庶流はそれぞれ宇都宮家を受け継ぎ残った。了