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杉浦屋敷とも。平塚市真土の一帯は戦国時代には後北条氏家臣・杉浦藤左衛門なす人物が居住し、天正18年(1590)小田原戦役で徳川氏と戦い、この地で討ち死にしたという。 また、「新編相模国風土記稿」によれば、大山明王祠(みょうごさん)や首塚などがあり、周辺からは度々に亘って刀剣が出土したという。「みょうごさん」の付近は微低地と帯状の土盛があり、屋敷の遺構と推察されているが、今回の訪問では、どこにあるか探しきれなかった。 なお、屋敷が存在したのであれば、近くに城郭があっても不思議ではない。現在の「真土神社」(平塚市東真土3丁目)が比高15mほどの高台となって周辺を見渡せ、街道を扼する位置取りゆえに、ここに何らかの施設があったと感じられてならない。(城の古戦場) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
こんにちは。初めまして。
遺構は湘南新道関連遺跡群の調査で報告されていたように記憶しております(かながわ考古学財団)。 現地表面では、砂丘列の上にいる事が意識されるぐらいですね。 (2020.09.02 13:34:00) |