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2019.06.15
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2011/7に始めたこの城めぐりは、訪問した城を紹介してきましたが、城跡を関東に絞ったので、予定の城は、残り茨城県の数カ所となり、近々訪問の予定です。一方、「東国の城址から想う戦国時代に生きた人々」のタイトルで、城址から出来事から武将達の行動を調べた結果をHPにする計画があり、ほぼ原稿は出来て、今年中には公開します。そこで、これからはそのHP原稿の城址についての 記事を順次公開することにします。
 地図:
 鎌倉城は通常の形態の城ではないが、平安時代には、三方を馬蹄形に囲まれた大きな谷を都城と称したようで、鎌倉以外には、 平安京、近くは衣笠城があるようです。私事ですが、私の住んでいる横浜市磯子区氷取沢から尾根づたいにハイキングコース があり、鎌倉の裏山ともいえる天園(六国峠)まで歩くことがあります。茶店のそばに小さな岩の展望台があり、そこから鎌倉 の街と稲村ケ崎付近からの相模湾がよく見えます。鎌倉が一方が海に開けていて、三方が山に囲まれている地形がよく理解 できます。この鎌倉城の範囲は、稲村ヶ崎から極楽寺切通、大仏切通、葛原岡、亀ケ谷切通、巨福呂坂切通、鷲峯山、朝比奈切通、 天台山、名越切通を経て飯島崎にまで連なる丘陵に東・西・北の三方を囲まれ、南は相模湾に面する地域内であるとされています。 鎌倉の七か所の切通は、戦時の防御施設となっており、ある程度はその機能を発揮したようですが、三度も外部からの侵入を許 しているのは、守る範囲が広すぎるからでしょうか。また、鎌倉時代にには、朝比奈切通を破って鎌倉に侵入した敵をふせぐために 築かれた「杉本城」や石橋山の合戦後の三浦氏と畠山重忠との小坪合戦に出てくる「鐙摺城」も鎌倉とその周辺にあった城です。
 遺構:
 室町時代後期の合戦などの舞台としては、鎌倉から稲村ヶ崎を経て江ノ島までの海岸線や藤沢の遊行寺なども入れて良いでしょう。 この時代の城としての遺構は、確認できませんが、里見氏が六浦湊から、朝比奈切通を通って鎌倉に攻め入った際の荏柄関など。 室町時代の鎌倉府の館跡。鎌倉防衛のための切通。
 歴史:
 上杉禅秀の乱(神奈川){応永23年(1416)~応永24年(1417)}、 足利持氏の暴走{応永24年(1417)~応永30年(1423)}、 将軍足利義教と足利持氏の対立{永享元年(1429)~永享4年(1432)}、 足利持氏と上杉憲実の対立{永享9年(1437)~永享10年(1438)}、 足利持氏、幕府軍に敗北する{永享10年(1438)~永享11年(1439)}、 鎌倉府再建の動き{文安4年(1447)~宝徳元年(1449)}、 江の島合戦{宝徳元年(1449)~宝徳2年(1450)}、 足利成氏、上杉憲忠を謀殺し、享徳の乱が始まる{享徳3年(1454)~享徳4年(1455)}、 堀越公方足利政知の下向{長禄3年(1459)~寛正4年(1463)}、 里見義尭の鎌倉攻め{大永6年(1526)}、 北条氏綱による鶴岡八幡宮修造事業{天文元年(1531)~天文9年(1540)}、 足利義氏の鶴岡八幡宮参詣{永禄元年(1558)}、 長尾景虎の関東管領就任{永禄4年(1561)}、
 関連武将:
 上杉禅秀、上杉憲基、足利持氏、足利満隆、上杉憲実、岩松満純、山入与義、武田信満、武田信長、今川範政、 長尾景仲、長尾忠政、今川範忠、上杉持朝、上杉清方、岩松家純、上杉憲忠、上杉顕房、結城成朝、太田資清、足利成氏
 <出典>日本城郭大系</出典>






最終更新日  2019.06.15 06:02:21
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