|
テーマ:ココロ(1186)
カテゴリ:心やストレス
13日の日記に書いた病院での出来事の続きで、思ったことがあります。病院に行って症状を上手く説明できない感じがするときに、それでもその感覚を上手く感じ取ってくれる方と、その感じを勝手に解釈して進んでいく方がいるなーと。そこで自分なりになんとか説明をしようとすると、後者の方だとその話を遮って解説にはいったり、処置を始めたりとなっていきます。
結局時間がないとか、聞く側としてはもうわかっているということなのだと思うのですが 話が終わっている場合ならともかく、その時に感じている患者の気持ちに焦点があたっていないような気がしました。患者ってわがままなので、そんなこと聞いていられないといわれればそれまでだし、物理的に無理があるのはわかりますが、聞いているよと姿勢を示すことなんて簡単にできるのになーと少々残念。 今頃そんなことに気がついたのか・・・と言われる方がいらっしゃったら、その方はきっと聞き方の上手な方に、すでに巡り会っていらっしゃるのでしょう。私も最近ようやく、そう言う方に巡り会ったのですが、転院されてしまいました・・・とほほ。 どんな場合にでも、話を聞くということに焦点が当たっていると、こころの扉は開き始めると思います。こころとからだは1つなので、心が聞いていないとからだも聞くふりだけかな。 しかし逆に考えると、伝えることの責任というのもあって、ここのところはしっかりしないといけないな、と今回思いました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005年05月16日 07時16分37秒
コメント(0) | コメントを書く
[心やストレス] カテゴリの最新記事
|