今日は・・
今日はダイヤ改正前日でした。明日のダイヤ改正では、たくさんの車両が引退します。ここで引退する車両について紹介します。103系1963年に山手線の路線事情を考慮して開発された車両である。山手線への導入以降も日本国有鉄道(国鉄)に於ける通勤用の標準車両として大量に製造され、直流通勤形電車は基より国鉄の所有車両としても最大両数を誇り、昭和40~50年代(1970~1980年代)の東京や大阪など日本の大都市圏の通勤輸送を支えて来た。全車が普通鋼で製造。103系の関連系列としては、地下鉄東西線乗り入れ用のアルミ車両である301系や、地方電化路線用の105系、飯田線用の119系、国鉄末期に四国地方に投入された121系が製造された。一部は72系や101系といった他系列からの編入も行われた他、奈良線や和歌山線電化開業用などの105系に改造されて転出した車両もある。1990年代から初期車の廃車が始まり、既に首都圏では主要線区の1つ常磐線のみでE231系に混じり最後の活躍をしていたが、2006年3月18日のダイヤ改正を前に3月17日上野発松戸行きを最後に定期列車から引退した。2006年4月8日のさよなら運転が最後になる。また鶴見線にも3両が在籍しているが、現在は休車状態にあり、営業運転に就いていない。JR東日本の103系は数編成が保留車として残っており引退後も数編成を動態保存または静態保存することが予定されている。関西や広島地区では現在でも多くが使用されているが、片町線(学研都市線)・東海道本線・山陽本線(JR京都・神戸線)・福知山線(JR宝塚線)からは既に撤退しており、大阪環状線と桜島線(JRゆめ咲線)についても201系が転入して来ており、引退が近付いている。113系1962年に先行開発された111系を基にモーター出力を強化したもので、1963年から1982年までに約2,900両もの多数の車両が製造された。主に本州内の平坦で温暖な地域の路線で広く普通列車から快速列車に用いられた。兄弟形式として、寒冷・急勾配路線用の115系がある。JR移行後の現在も、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東海旅客鉄道(JR東海)・西日本旅客鉄道(JR西日本)・四国旅客鉄道(JR四国)の各社に多数在籍しており、主に普通列車に運用されている。小田急9000系帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄)千代田線乗り入れ用として1972年(昭和47年)から1977年(昭和52年)に掛けて製造された。1973年(昭和48年)鉄道友の会ローレル賞受賞。当初は4両編成と6両編成で各10本ずつの計100両が製造される予定だった。まず4両編成10本(40両)を製造させ、次に6両編成の製造が開始されたが、後に千代田線への乗り入れ本数を変更する事となり、6両編成の製造を8本(48両)で打ち切り、4両の9010編成に中間車2両(付随車)を追加製造して組み込み6両の9409編成としたため、6両編成と4両編成がそれぞれ9本ずつの計90両となった。4両編成は全車電動車で小田急初の界磁チョッパ制御車。主電動機出力は他車と比べて小さめで110kW。ブレーキは回生・発電ブレーキ併用の電磁直通ブレーキで、75km/h以上でブレーキを掛けた場合、また他形式と連結時は発電ブレーキが作動し、逆に75km/h以下でブレーキを掛けた場合は回生ブレーキが作動する。前面はそれまでのいわゆる小田急顔ではなく「額縁スタイル」とも呼ばれる窓を1段へこませたデザインとなり、小田急は基より他社でのその後の鉄道車両の前面デザインに影響を与えたと言われている。またその形状から「ガイコツ電車」とも呼ばれる。このスタイルは後に製造された1000形・2000形まで継承された。車幅は千代田線乗り入れ対応のため2.86mで、小田急標準の2.9mより0.04m小さい。2005年後半から車両自体の老朽化に伴い廃車が発生している。