カテゴリ:娘たちとその家族
2020年10月5日(月)
しょぼしょぼ雨が降っている朝です。 それも8時ごろには上がったので、夫は散歩に出掛けていきました。 私は、ネットから探したセーターを編むことにします。 後ろ見頃から編み始めていますが、メリヤス編みなのでサクサク編めて夕方までには編めちゃいました。 前身頃に取り掛かりました。 次女から、ほっぺちゃんとヒカル君のハロウィン姿の写真が送られてきました。 ほっぺちゃんは魔女スタイル。 ヒカル君は、何とかぼちゃ!! 二人とも楽しくって仕方がないというように、笑顔満開です。 多分覚えてはいないだろうと思いながら、昨日撮った昔住んでいたアパートの写真を送ってみました。 案の定、次女からはアパートのことで反応は無し。 私がお友達と会えたことは、喜んでくれましたが。 次女は4歳でしたものね。 記憶にないですよね。 長女と次女は、年の差6歳もあります。 そのころの次女にとって、長女はお姉ちゃんというよりはママみたいな感じだったんでしょうね。 忙しかった私にかわって、長女はよく次女の面倒を見ていてくれました。 当時はいつも出張でいなかった夫、出張でないときはお付き合いといっては夜遅くまで帰宅しなかった夫、男性は企業戦士だった時代ですものね、致し方ないことですが、今で言うワンオペ育児でしたね。 フルタイムで働いていた私は、長女にたくさん助けられました。 皮膚湿疹で次女を登園させられなかったとき、仕事を休めない私に変わって夏休み中の長女が次女のそばにいてくれました。 かゆくって身体を掻きたがる次女をバスタオルにくるんで抱きしめ、守ってくれました。 幸い勤務していた会社が徒歩圏でしたので、昼休みには走って帰宅し、娘たちに昼食を食べさせたりできましたが。 次女は覚えていなくっても、私はママ友のことをよく覚えていますよ。 国連の出先機関に勤務していたママ友は、故郷の大阪に帰ってしまったんですが交流が続きました。 大阪の自宅にたずねて行ったとき、美々卯のうどんすきを用意して待っていてくれたのを覚えています。 いつも普通に世間話をしていたのですが、実は国連の関係機関に勤務できるほど語学堪能の方だったんです。 能ある鷹は爪を隠すというけれど、彼女が保育園などで英語を話すことはありませんでしたから、英語を話せるだなんて全然気が付きませんでした。 当時世田谷区の保育園には帰国子女もいて、英語で子供たちにこれ見よがしに話しかけている母親もいたんです。 保育士さんが困った顔をしていましたっけ。 でも彼女はそんなことはしません。 いつも滑らかな大阪弁で話していました(笑) でもね、勤務先ではすべて英語だと聞きましたよ。 思い出は尽きなくって、会いたい人の顔が次々と浮かんできます。 昔のことばかり思い出して、私もヤキが回ったのかしら・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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