映画「恍惚の人」
2026年4月22日(水)整形外科に診察に行って、帰宅。録画してあった、1973年制作の古い映画「恍惚の人」を観ました。原作は、有吉佐和子さん。なんとこの映画、白黒です。「恍惚の人」は、有吉佐和子さんが生み出した言葉なのでしょうね。老人性痴ほう症がまだ世間に認知されていない時代、有吉佐和子さんは高齢の老人を抱える家庭の問題点を鋭く描きました。まだ日本が高齢化時代を迎える、少し前でした。「立花茂造(森繁久彌)」は84歳。妻の突然の死あたりから、記憶があいまいになってしまい奇行を繰り返すようになります。自分の息子「信利(田村高廣)」のことは、認識できないどころか暴漢扱いで大騒ぎをしてしまう。孫の「敏(市川泉)」も、ほぼ認識していない。母親の葬儀のために上京してきた娘の「京子(音羽信子)」のことは、まったく認識できなくってよそのうるさいおばさんだと思っている。ただ嫁の「昭子(高峰秀子)」のことは、認識していて甘えてくる。茂造は夜中に何度も起きて騒ぐようになり、その世話は昭子に押し付けられる。信利は、自分は勤めているからと親の面倒を見ようとはしない。昭子だって、弁護士事務所にタイピストとして勤務しているのに。今食べたことも忘れて、何度も食事を要求する茂造。夜中に何回も起きて騒ぐ茂造。昭子は疲れ果ててしまって勤務先の弁護士に相談するが、それは老人性うつ病という精神病で、隔離するには精神病院に入れるしかないと言われてしまいます。病院に入れれば自費で高額の出費が伴う・・・そんな時代でした。この映画の特筆すべきは、森繁久彌さん。森繁久彌さんの、とても演技とは思えない痴呆ぶりがすごい!!!!いつもならおっとりとした美しい日本女性を演じる高峰秀子さんが、時にヒステリーを起こしたりするのも見ものです。だって昭子は、嫁に来た当座から茂造に意地悪されいびられていたのに、痴呆になった茂造は昭子以外受け付けないという、昭子べったりの存在になってしまったのでたまったものではありません。息子の自分を暴漢扱いする父親の態度を良いことに、妻にその一切を押し付けて知らん顔の信利に昭子の怒りが爆発するのも当然です。ええ、ここいらも有吉佐和子さんの時代を描くすごさです。少し前のに日本女性なら、夫に文句を言ったり怒りをぶつけるなんてことはできませんでした。でも昭子はタイピストという職業を持った女性ですから、夫に怒りをぶつけることができちゃうんです。新しい日本女性の先駆けですね。それでもなお、老人の介護は嫁のするものという時代が描かれます。有吉佐和子さんは10年もかけて取材を重ねこの小説を書かれたというのですが、発表された1972年ころには「認知症」という病名がまだ一般的ではなかったし、もしかしてその言葉もなかったのかもしれません。老人福祉の考え方も、まだ始まったばかり。訪問看護もまだまだの時代のお話ですから、老人の世話は嫁に押し付けられてしまうという日本独特の構図になってしまいます。昭子は自分の親なのに面倒を見ない夫にイラつきながらも、茂造の生活を支えます。でも限界があり、茂造は湯船で溺れかかったり徘徊したり。そしてだんだん茂造の状態は悪くなり、排泄物をあちこちにこすりつけたりトイレに閉じこもったりと奇行がますますひどくなり・・・。問題の解決は、茂造の死というやりきれなさ。救いのない、それは恐ろしい映画でした。身近な問題であるだけに、逃げようのない恐怖があります。昭子がそれでも何とか茂造を支えようとする姿が、唯一の救いですが。今から半世紀も前に書かれた小説。もちろん現在の老人福祉は全く違うのでしょうが、それは有吉佐和子さんのこの小説が認知症老人の介護ということにスポットを当てたことに、大きな進展の理由があります。有吉佐和子さんの作品が大好きで、片っ端から乱読していた若き日を思い出させてくれた映画でした。もう一冊、1975年に発表された「複合汚染」という小説で、有吉佐和子さんは環境問題を取り上げられました。まだ「環境汚染」という言葉もない時代に。日本の環境問題を鋭く指摘され、その後の私たちの考え方を変えていった1冊であったのではないでしょうか。ストーリーテラーとして数々の作品を世に出しながらも、こうした鋭い社会考察作品も書かれた有吉佐和子さん。もう一度浸ってみるのも、悪くないですね。