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れんげそう畑

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2002.11.20
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今日は病院でした。珍しく、用事を作ったので、早めに終わらせたいと思い、看護師さんにお願いして、先に点滴できるように先生に指示をいただいてました。点滴は右手の手首近くのところにしてもらったんですが、最近、元から手がしびれてます。母はピアノのせいだなんて言うんですけど(笑)。そっちは十分気をつけてますし~。バッグを肩にかけるだけで、しびれてますもん…。

で、点滴中にトイレにも行ったんですが、いくら水で洗ったからと言っても、あまりにも手が冷たいんです。とにかく、今回ばかりは、いつもの内科症状に加えて、これは言わねば、と思い、先生に言ったんです。頸肩腕症候群のあることは、今の先生が前いらした時に少しは言ったかもしれませんが、こんなにもひどくなったことは言ってなかったような気がして。

正確には、ひどくなったけど、手をかばった生活をしてるので、今の先生が転勤した後ほどではないんですけどねー。
「整形に行かないといけませんねー、手術はしなくていいんですか ?」とか言われてしまいまして…。すでに行って、もう望みは捨てました(笑)。逆に、手術したほうがいいかもしれないのは、関連ある別の病気だと思うけど、怖いし行ってません、と答えておきました。

まあ、それはいいとして、今日はいつもの診察に加えて、その「手の冷たさ」をしっかりと片手ずつ握りしめて確認していただきまして(笑)。先生の手はとってもあったかかったです~。私は左手は先生より冷たいけど、自分では正常範囲(笑)。で、右手がだめなんですよー。しかし、普段、「動悸が」とか言っても、脈も取られないことが多いので、感動しました~(笑)。

不整脈も、病的というほどではないし、脈は取らなくても、心音聴けばダイレクトなんでしょうかね(笑)。うーん、分からないけど。とにかく、今日は「初めて手を握ってもらった、あったかかった~」という感動でした(爆)。クールなハンサムな先生でございますよ。

しかーし! それより先に11月からの新しい先生を見てしまっのです。点滴する部屋は、診察室が足りない時に診察に使うので、ベッドの横のカーテンがちょっと開いている時は、閉めるんですけどね。今から診察があるなーという気配がしたので、先生が椅子に座った時点で、自分で閉めたんですけど、点滴してる右手でやったのもあって、うまく閉められなかったんですよ。で、その時に、新しい先生の顔の左半分だけですが、見えました。

見るからに優しそうで、割かし若い。で、普通の先生は、黙ってサーッとカーテンを閉めることが多いんですけど、その先生は、私の顔を「笑顔で」見て、それから私が閉め残した分のカーテンを閉めたんです。

転勤になった先生も、かなり優しい話し方だったのですが、顔とのギャップが…。今度の先生は、顔は半分しか見てませんけど、なんか合ってる~! で、とっても分かりやすく、じっくりと説明してるわけです。患者さんも「○○先生の時は、そんな説明は聞いてませんでしたー」と感謝&納得の様子。他にも他人の私が聞いてても「おおっ!」でした。

顔も声も癒し系。説明は詳しい。きちんとインフォームドコンセントできている。いいなー(笑)。これは看護師さんにしっかり名前と独身かチェックしておかねば!と思ったのに、
帰る時には別の「おなじみの」先生がまた別の患者さんを診察していたので、そんな不謹慎な話はできませんでした(笑)。

うんうん、主治医と患者はまずいので、これは看護師さんに探りをいれよう! もちろん、専門も違うし主治医交代とかじゃなく。ちなみに、私の主治医は既婚です(笑)。
根は優しいのに、話し方とか表情がクールなんで、あの優しさを理解するのにはかなりの期間がかかります…。その点、今日見た先生は初対面で「優し~」と思ったもんね。はー、出会いないかしら…。仕事中にも、以外とクールな先生が私を見て笑顔だったりすると「おっ!」と嬉しくなるんですよねぇ。それは仕事での「流れ」ってもんなんですけど(笑)。

そして、あと1つはとても残念なことでした。私が長崎に出てくるきっかけにもなった、専門学校の恩師が、田舎に帰ってしまうことになりました。もともと、大阪の大きな病院の事務長なんかやっていて、当時なんにもなかった、私の卒業した学校で、「医療秘書科」を立ち上げ、卒業生を送り出して来た先生。すごいやり手で、数年前に学校はやめてしまったのですが、会社経営なんぞして。

それが、昨日突然「帰るわ~」って電話が…。ずーっと送別会続きで、引っ越しもあるのに、私が電話に出なかったんで、かけ直したのがその送別会の席で、長話できなくて。今日、病院が早く終わったら行く、と言ってたんです。それで今日は、早く帰れるようにお願いして、2時には病院を出てました。だって、恩師は6時からまた送別会って言うんだもん…。同級生に連絡して、みんなで集まりたかったけど、23日には引っ越してしまうということで、メールを1人だけ出しました。あとは、地元にはいなかったり、連絡先も分からなかったり。

私は、卒業してからもずーっと御世話になってました。検定受けたり、ただで教えてもらったり、奥さんの仕事のお手伝いをさせてもらったり。そして、皮肉にもその奥さんは去年病気で亡くなりました。入院してるのは知っていたけど、まさかそんな病気とは知らず…。お見舞いにもいかないまま、
葬儀も終わってから、訃報を聞きました。当時、体調が悪かった私は、すぐには行けませんでした。そして、今年の1周忌。これまた、「何かしなきゃ」と思いながらも、やっぱりあまり体調が優れず何もしてなかったんです。

たまたま新聞を見て訃報を知った同級生は、葬儀に出たらしいんですけどね。そういうのもあって、まだ荷物がある間に、奥さんに最後のお別れをしないと…、と。中学生の娘さんが、風邪ひいて、遺影のある部屋に寝てたんですけど、先生が「いいよ」って言われたので、娘さんには悪かったんですが、寝ている部屋におじゃまして、最後のご挨拶をしてきました。

ほんとに人気のある先生だったから、私より4~6年後の卒業生たちが、集まって送別会してくれてたみたいです。結婚式にもよく呼ばれてるみたいです。私も何年後か分からないけど、遠くになるけど、来てくださいよ~としっかり言いました。私はまだ医療秘書科ができて間もない頃の学生だったので。「卒業生で…」って先生がある人の自慢話をしているのを聞いて、私も語り継がれるような学生になろう!と決心してたのです。先生のお陰で、それなりに実績は残したと思ってるんですが。問題は、就職してからでしたけど(笑)。

私のクラスでは、他の人には連絡してなかったそうで。「○○も毎年年賀状くれてたんだけど、もう荷物箱に詰めてしまったもんなー」と。私も、自宅に卒業名簿とかどこかにあるのに、どこか分からない。そして、私たちのクラスの謝恩会の写真を、カレンダーにして取ってありました。私は、もうその時には仕事をしていたので、早く帰ってその写真には映ってなかったんですよ。でも、みんな若かった(笑)。そして、綺麗でした。お洒落してたもんね。

転居先の住所も聞いてきました。でも、娘さんがまだ2月期の途中なのに、いきなり引っ越しするなんて、よほどの事情があるのかなーと思ったんですけど、さすがに聞けませんでした。ただ、田舎のお母さんが一人暮らしだから…ということで戻るということだけは聞きました。まさか、こんな日が来るなんて、夢にも思ってなかったし、いきなりだったから。
「また年に1回ぐらいは来るから連絡するから」って言ってましたが、やっぱり心の支えを失ってしまった気がします。

私がここまでやって来られたのも、学生時代はもちろんのこと、卒業してからまで、指導していただいたから。そして、高校はガチガチの進学校で、とにかく厳しくて、毎日辞めたくて辞めたくてしょうがなかった。でも、専門学校時代は、
「あー、今日も学校に行ける! さあ、頑張るぞー!」とほんとに充実した毎日を送ってました。それも、先生のお陰です。暗~くなってしまいました…。積もる話もあるようなのに、ため息混じりで。他の友達と一緒に行ければ良かったけど、なんせ1人だと、お互いしんみりしてしまって。

「大阪の病院を辞めて長崎に来る時も、部下たちはこんな気持ちだったのかなー ?」と言ってみましたけど、きっと、部下より寂しいんじゃないかと思います。私は、高校で進路を決める段階で、学校説明会でその先生と会って、医療秘書科に入れば、必ずその先生が担任で、教えてもらえるのは分かっていたから、安心して愛する故郷を捨ててきた…と言っても過言ではありません。そして、卒業したらさっさと地元に帰るつもりが、帰れなくてズルズルいます。

先生と一緒に働きたい、長崎で医療関係の事業を新展開するような話をしていたので、私も是非と思っていたんです。なのに、なのに…。せめて、向こうで新規だったらなんですけど、田舎みたいで、雇われる立場になりそうです。まあ、上司にはなるんでしょうけども。すでにできている人間関係の中に、長崎にもまだ慣れきっていない私が、入る自信もないし。医事ができるとは限らないし。本当は、できることなら
ついて行きたいです。でも、今の私にはそれは出来ません。
長崎に引き止めるものが多すぎる。

でも、「医事に意地になっている」私も、もう医事の時代は過ぎてしまったのかなーと悲しくなりました。ちょうど、私が卒業する年ぐらいに脚光を浴びだした仕事です。あと1年遅かったら、もう人気がありすぎて、就職もどうなったのか ?
今は、介護の時代になってしまいましたね。でも、やっぱり
介護より医療に携わりたいのです…。私の体がこんなだから。せめて同じ症状で苦しんでいる人の理解ができたらと思います。介護は、実感もわかないし、なんかピンと来ないんです。

先生は、最後まで「体大事にしろよ、お袋さんにもよろしく」って言ってくれました。はー、つらいです。年数を言ったら年がバレてしまうので言いませんけど、肉親以外で、こんなに長くおつきあいしている人は他にいません。「おつきあい」って、そういう仲じゃないんですけどね(笑)。でも、
学生時代から憧れてました。でも奥さんに会った時、初めて会った気がしなくて、あんな奥さんになりたいと思った。
…そして、今、先生は独身です…。でも結婚したいとは思わないんです…。

亡くなった奥さんみたいになれるわけもないし、私はいきなりおばあちゃんになってしまうんですよ~。先生がもうおじいちゃんだなんて、知りませんでした。





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Last updated  2002.11.21 03:43:56
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れんげそう@ Re[1]:叔父の急死(11/30) 人間辛抱さんへ ずいぶん古い記事にあり…
人間辛抱@ Re:叔父の急死(11/30) どうもお久しぶりです。 新型コロナウイル…
れんげそう@ Re:おじゃまします!(04/28) 長崎県民さんへ 訪問とコメント、どうも…
人間辛抱@ Re:酢豚=スーパイコ(04/28) コメントを頂きまして、 誠にありがとうご…
れんげそう@ Re[1]:10月の 風鈴(10/05) 人間辛抱さんへ まめなコメントをありが…

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