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この前のピアノレッスンの日記を書こうとしていましたが、初めて「下書き」機能を使った10日の通院の日記の反響が凄かったので、それ関連でいきたいと思います。
たくさんの皆様に、私の主治医は「真面目で誠実」だという感想を持っていただき、自分のことのように嬉しいです☆ 実は、一緒に働いているスタッフの評価は、そうではないんです(笑)。 今の病院では、まだそんな話をする仲ではないんですけどね。 物静かな感じがします。私の第一印象は「クールなハンサム」でした。 もう11年前のことですけどね(笑)。銀縁眼鏡と、私服の上に羽織っている白衣が、とても似合う先生でした。(過去形?) そして、ナース達含め、私がお世話になっているスタッフによると「ボソボソしゃべる」。 同じ大学の同じ内科医局に複数いる、珍しくない苗字の先生。大柄な先生のあだ名は 「ジャンボ」らしいです(笑)。私の主治医は細身で。フルネーム言って、確認が入るのは「ああ、あのひょろっとした先生ね」 自分もひょろっとしている先生が言ってました(笑)。 でも「痩せた」とか「細身の」とかじゃなく、「ひょろっとした」がなぜかハマるのです。 周囲に聞こえるほどではなく、その場にふさわしい声でしゃべっているだけだと 思うのですが、なぜか「ボソボソ」という表現も、ぴったりしていて笑ってしまうのです。 お年寄りの患者さんの時に、大きな声で話していたのを聞いて、 「あの先生、大きな声出るんだ」と思いましたし…。 前にも書いたかもしれませんが、私は11年前、この先生に一目惚れしました。 診察室に入った瞬間「どーしよー…!」と逃げたくなりました。 それまで、好みの先生に当たると、「やったー」と思っていたのに、なぜだか。 高校生からずーっと、もっと言うと子供の頃からずーっと通院しているのに。 一番嫌だったのは、思春期でした。体が大人になっていくのに、子供扱いされるし、 まだブラなんてしてませんでしたから。それからすれば、今はビキニと思えばいいし。 それなりに気を遣ってもらえるので、聴診は恥ずかしいというよりは、 大丈夫なことを客観的に証明してもらえる安心でした。 それでも、恥ずかしかったんです、あの時。とってもとっても好みで、この先生の聴診は 無理、って逃げたくなってしまったんです。入り口で立ちすくんでいる私に「どうぞ」と どちらかというと事務的な口調で椅子を勧められましたねぇ。 実はそれまで、「やったー」と思った時の先生が開業医になっていたので、 そこに通っていたんですけどね…。専門ではなかったので、2人の間にある日、 溝ができて来たと思ってました。それが川になり、湖になり、最後にはもう海ぐらいに 広がってしまってました。 優しい先生でしたが、たまたま地元テレビで「生活習慣病の話をするから見てね!」 と言われたその頃のことでした。もうダメだ、と思ったのは…。 高校生の時に出会ったその先生は、当時20代でした。独身で、私は本気で好きでした。 看護科があったうちの高校に講師としても来たことがあったようです。そのうちに、看護科の友達から年齢を聞きました。30だと。「あの先生、婚約したって」とも聞きましたが、 信じたくなかったんです。 それにまだ結婚したわけではないから…。婚約破棄なんていうのも聞くし、って。 願ってたわけではありませんけど、まだ好きでいても罪じゃないよね、って…。 私が地元を離れることになり、挨拶した時、「何もしてあげられなくてごめんね」と 言ってくれました。そのイケメン先生に診てもらえたのは、当時同級生のお母さんが婦長をしていて、そこの高校の厳しさも分かっていて、通院は授業中に抜けるしかなかったので、手の空いている先生にお願いしてくれたら、たまたま私好みだったんですよね~。 気に入ったので、その先生の外来日に行くようになりましたが、専門外で、 当時喘息のひどかった私は、「専門医に相談する」ということになり、「相談」って、 聞いてみるだけだと思ったら、交代になってしまったんですよね~。これまた思春期の私には、イケメンの若い先生から、不潔そうな頭まで薄い、何やらスケベそうな…というと失礼なんですが、大ショックでした。 ひどい言い方と思われるかもしれませんが、当時入院していた友達にも「かわいそうに」と同情されるぐらい。友達も「私もあの先生は嫌だ~」と言ってましたよ。 今風に言えばキモイ…でしょうか。ギャップがなおさら辛かった。 だから、担当の先生の外来は週に2度あったので、イケメン先生がウロウロする日に通院の曜日を変更して、会えるようにしてました。 それで、最後に謝られたんです。私を見つけるたびに、「調子どう?」とか必ず声をかけてくれて、明日生きているか分からない私にはそれだけでも十分でした。これだけひどかったら専門医にまわされても仕方ないと思えました。 専門の先生ですら「入院してもすることがないから」と、薬の使えない私は、外来通院してました。そして、学校は厳しいし、休めないし…。私も真面目すぎたんでしょうが。 学年集会では先生が「這ってでも出てこい」と全員に向かって言ってましたもん。 担任の先生は、個人的には「体大事にしろよ」と言ってくれていたのに、 学年集会がそれだから、学校の方針は「ホームルームだけでも出てこい」だったし、ホームルームに出たら帰れないし…。 ま、苦しい話はいいとして、それだけ苦しい中での恋でした。 それから数人の熱心な先生と出会い、治療の甲斐あって、割と元気になって、正社員として病院勤務もやれて。でもこれまた当時の主治医と合わなくて、困ってしまって。 「もう専門外でもいいや」と、イケメン先生が家を継いだのを知っていたから、しれっと行ったら覚えてくれてましてね~。「久しぶりですね」って。優しくて、いつも笑顔で、 しかも私好みで、嬉しかったです。 ただ、若い頃と変わってしまってました。椅子を温める暇もなく、「調子どうですか?」と簡単に聞いて、問診をするだけで「じゃあ薬出しておきます」って感じで、 待ち時間もない代わりに、診察も3分診療。 そして、決定的に「ダメだーっ!」と思うその日が来たのです。今はもう死人が出て製造中止になっている吸入薬を処方されました。いえ、高校生の時には使ってましたが、その後、「同じだけどこっちが動悸がしなくて楽よ」と他の先生が変えてくれたので、 そっちが良かったんです。 当時はまだ先生にもそんな認識もなかったんだと思います。 私が「それよりこっちにして欲しい」と楽に使える薬を希望したら投げやりな感じで半ば ため息混じりに「同じだと思うけどね~」って。 調剤薬局になかったのか、取り寄せになったのか、よく覚えていませんが、面倒だったのは確かです。ほんとに面倒そうに言われてしまいました。そんなこだわらなくてもさ、って感じで。優しい先生なのに…。失望しました。 遠く離れていた、これまた良くしてもらった先生に電話して、元の病院に戻って専門医に診てもらうことを勧められました。なぜか教えてもらった先生の名前は違ってました(笑)。 でも、行き場がない、今まで経験したことがないような病状に困っていた私がすがるような思いをして、戻った病院。 そこで出会ったのが、今の主治医でした。 それから10年が経ち、今に至りますが、機会があれば続きは今度。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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