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レンゲローズDiary

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2007.06.23
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カテゴリ:IN THE LIFE



首都高から関越道→上越道を通って
今年の地区委員の研修旅行先は
草津でした。


この山並みは横川SA辺りだったでしょうか。




出発して約4時間後 佐久ICに到着。
「おぎのや」で釜飯の昼食。
ここからまた1時間で小諸に。


懐古園です。
園内のガイドさんに説明を受けながら
苔むす石垣などを観て廻りました。




皆さまもご存知のように
山本勘介が築き仙台秀久によって完成された小諸城です。

白鶴城や酔月城とも呼ばれた小諸城の跡で
入り口の三の門(重文)には徳川家経(いえさと)公の筆による
懐古園の額が掛かっています。


城下町よりも低い位置にある「穴城」として
全国的にも珍しい存在で天然の要塞となっている
深い空掘りや苔むした野積みの石垣が昔日を偲ばせてくれます。

園内には
藤村記念館をはじめ
小山敬三美術館、懐古館、郷土記念館、
郷土博物館、動物園、遊園地など多くの文化施設が点在し


二の丸の石垣には若山牧水歌碑
千曲川を望んでは藤村詩碑が建てられています。




武田の軍師、築城の名主・山本勘介ゆかりの小諸城は
天文23年(1554年)甲斐の武田信玄の侵攻で
武田氏の手に落ち、以降30年間武田氏の城代によって
支配された鍋蓋城以下諸城。
信玄はこの地の重要性にかんがみ
重臣の山本勘介と馬場信房に命じて鍋蓋、乙女城を
取り込んだ新たな縄張りをして
城郭を整備し、総合的な大城としました。


それが
小諸城の原型です。
勘介が縄張りをした小諸城は
「攻めるに難しく守るに易い城」で
いわば難攻不落の城だったことは有名です。
小諸城址本丸跡には
勘介が小諸城築城のときに研磨したと伝えられている
鏡石があります。


勘介は朝夕この鏡石に自分の顔を映しては
反省したと伝えられています。
続きます。



能登半島地震 義援金です。
9月28日まで






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最終更新日  2007.06.29 02:30:12


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