上海小姐or福建小姐
05年の10月にY里と知り合ってから、小生と彼女の仲は急速に近くなっていった。それはまるで、C絵とのことは夢ではなかったろうかと勘違いするほどであった。そしていつしか「LN」に行くと小生の隣はY里の指定席となった。それと同時にKeiは小生のことを見向きもしなくなってきた。けれど、Keiにお客が付いていないと時折、Y里を他の客のところ付かせて自分が小生の隣に座った。ちょっとしたイジワルのつもりなのだろう?この「LN」には3つのグループがあった。ひとつはL美ママをはじめ北部出身の小姐のグループひとつはY里をはじめ他2人の上海出身の小姐のグループそしてもうひとつはKeiをはじめとする福建省出身の小姐のグループであった。表面では互いのグループどうし中が悪いわけではないが個々人には「あわない」メンバーもいた。KeiとY里がそうだったかは不明である。意外と上海どうしで仲が悪かったりして。。。。。それから福建省出身の小姐はなぜか福清市からばかりでC絵とA紀、それにKeiがそうであったように、同じ市庁舎であったりした。しかも、中国にいるときはまったく知らなかったのが店に勤めて知り合って、出身を聞けば「福清市」でしかも、偶然にも目と鼻の先に住んでいたなどザラにあるのが福建小姐の特徴であった。一方、Y里のほか2人の上海小姐たちは、Y里の上海での住まいは中心街に近く、徐家匯の近くだと聞いた。もうひとりの上海小姐は上海といっても「はずれ」らしく、最後のひとりにいたっては実は上海じゃない隣町だとそれぞれプライドたかく話しているのを聞いた。そんなY里だが、脚が長く見た目は元ピンク○ディのMIEに似ている。カラオケも上手く「しゃべるはあまり日本語うまくない」けど歌う日本語も上手かった。それよりも、C絵やKeiとちがって、食事にさそっても焼鳥屋やヨシギュウですみこともあった。すし屋でないぶん財布は楽であった!そのY里の趣味は、こまったことに「麻雀」であった。休み前になると「明日、友達と麻雀遊びする・・・」とメールが来た。余談だが「マージャン」は日本では「麻雀」と書くが中国では「麻将」と書く。日本で書く「麻雀」は中国語で「ma2que4」と読み「すずめ」のことである。彼女は次の日が休みの土曜の夜などは、店を0時であがれるというのに、友達に誘われると日曜の正午までもマージャンをやってしまう。しかし、惚れた弱み、その辺は気にならない。また、C絵と違って彼女の滞在ビザは結婚ビザであった。当然、結婚ビザではあるが滞在するための手段である。それもまた、以前の小生なら理解できなかったはずなのに、好きになった相手がそうであれば仕方ない。ったく男っていいかげんである!!(笑)*****************日曜日限定で『小姐と中年男のそれから…』を再開いたしました。