*人はかわれるかもしれない*

2014/12/30(火)09:24

他人の幸せがあなたを不幸にしているのではない

感じたこと・知ったこと(184)

ご無沙汰していました。年末の気忙しさもありなかなか パソコンに迎えませんでした。 これは何ヵ月か前に、図書館でたまたま手にとって読んだ 本の中にあったフレーズです。 題名は『過食症に苦しんでいるあなたに』(さかもと聖明著) です。私はストレスが貯まってくると、過食ぎみになるので 「ひょっとして過食症?」と思ったりすることが何回かあり ました。それでこの本を手にとったのかな? この著者は男性ですが過去に過食症で、その体験をもとに書か れています。今はカウンセラーをされてる方のようです。 本を読み進めてみると私の場合は、一般的な過食症とは少し違う ようです。大量に食べては吐くことを繰り返してはいないから。 ただ心の中に満たされない何かがあって、それを食べることで発散 させようとしているのかな。過食症になる芽はあるのかもですね・・ そこに「他人の評価がとても気になる」とか「自分に完璧を求める」 とか「今の自分をどうしても認められない」とか「無力感」とか等々 の要素が加わると、「もっと美しくなって認められたい」と思うの でしょうか?自分が嫌と言う自己否定がとても強くなるのかしら。 過食症について詳しくはないので、間違ってたらご免なさい 話が少しそれてしまいましたが、ここで過食症について書こうと今回 思った訳ではないのです。 今回は「人を羨む」と言う感情について、書いてみたかったのです。 自分の中に確かにある感情ですが、普段は蓋をしていると言うか、 押し込めてることが多いから。 自分のなかのちょっとブラックな部分ですね~ またまた本からの引用になりますが、最近借りてきて読んだ本の中に 片田珠実さんと言う女性の精神科医の方の『正義という名の凶器』と 言うのがありました。その中にこんな記述があります。 自分が大切だとみなしている領域で他人の優越性を思い知らされ たり、他人の成功や幸福を見せつけられたりすると、我々は羨望 にさいなまれる。これは非常につらい。自尊心や自己愛が傷ついて、 ときには自分は生きている価値も存在理由もないのではないかと いう思いにとらわれるからである。 つまり自分の人生が順調にいってると思うときは、他人の幸福には 寛大になれるけれど、自分が不幸だうまくいってないと感じている 時は、そうは思えないと言うことなのでしょうか? それも自分のアイデンティティに深くかかわると思える部分で・・・ それなら私は非常に馴染みのある感情です(笑)いくら人と自分を比べ ないと思っていても、人間どうしてもそう出来ない時もありますものね。 正しこう言った羨望や嫉妬心は、誰でも抱く感情ではあるとはいえ、 「陰にこもった恥ずべき情念」なので自分の中にあることを皆認めたが らないと片田さんは書かれています。それでそこに「正義」の仮面を 被せてお相手を攻撃したり、怒りに変えたりしてしまいがちだと。 そして自分に対する過大評価が大きいと(自己愛が強すぎると)さらに そこに拍車がかかるのだそうです。なんとなく納得です 私は今は自分のことを不幸だとばかりは思っていません。幸せなところ もたくさんあると思っていますが、確かに自分の中にもある感情なの だと思います。以前はそれを認めることが怖かったから、無理に無い ものにしようとして、押し込めて余計増大していったように思います。 今は「しゃあないな」「どうしてもそう思っちゃうんだものね」と認め てあげられるようになりました。たまに「ついてないだけ」と思ったり する時もありますが・・・ これから年末年始で親類の方とも会う機会が多くなります。年賀状も あります。誰しも切れない関係と言うか、しがらみもありますものね。 どうしても自分の中に沸いてきてしまうこう言った感情は、大切に認め て、よしよししてあげようと思っています。そうできる自分になれたこと も成長だと感じています。すんなりとそう思えないときは、題に書いた 言葉を呟いてみようかな。今は「境界線」と言うよりしっくりきます。 自分の感情は自分が作り出したものだから。 それを手放そうと思えるのも、また自分の感情なのですよね      今年はお家のクリスマス会も年末の大掃除も、さくさくと動けました~まだ全部は 終わっていませんが・・・年内にブログもあと1度くらい更新出来るかしら? これは昨晩書いたものです。アップするのは今日になりましたけど 皆様よいお年をお迎えくださいね

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