*人はかわれるかもしれない*

2015/04/19(日)18:26

悲喜こもごも

いろいろ(216)

って一人の人におこったことを言うって最近知ったのです~恥ずかしながら・・・例えば あの人はこの場合成功して喜んでるけど、この人は失敗して悲しんでいると言う場合には この言葉は当てはまらないらしいですね。個人的に喜びや悲しみが交互に訪れることに当 てはまるらしいですね~喜びも悲しみもずっとは続かないとも言えるかしらね。 それを知って「なるほど」と思ったし、この言葉が好きになったような気がします。喜びも 悲しみも人との比較じゃない。その人が嬉しいと思えば喜びだし悲しいと感じれば悲しみだし それに、大きいも小さいも比べるものではないのですよね~ ここ最近と言うかずっとと言うか、悲喜こもごもの人生ですね~いや割合から言うと、 悲悲喜悲悲こもごもぐらいかしら?(笑)多分自分一人のために使う時間があまり無い ことが一因だとは思うのですけど・・・幸せを感じる感度も鈍っているのかもしれない。 でも何とか生きてるので大丈夫です。多分。 この春息子も娘も2年に進級しました。でも元気度で言うとまだまだです。息子は少し元気 になったようにも思うし、自分のすることはしてるし、家の手伝いもしてくれるけど、まだ あまり動けないようですね。少し動いては止まりまた動くと言う感じかな?彼なりのペース なのでしょうね。様子は穏やかです。よく寝てよく食べてるし。でもまだエネルギーを溜めて いる途中のような気が私はしています。年齢は関係ない。その子その子で選ぶ道もペースも 違うと、どこかで聞いた言葉を、ひしひしと実感しています。 娘もこの春少し動きがあったのです。あまり外に出られていないのはずっとなのですが、 それについて娘自身の口から「人がこわいし過去に言われて嫌だったことが忘れられない」 等の吐き出しがぼつぼつあって(不登校になってから2年近くたってやっと)聴いていた のですが、本人から「カウンセリングを受けたい」と言う希望が出て先日から通っています まだ数回ですが表情は軽くなってきたかしら?私との会話も増えました。家で吐き出しを聴 く時間も長くなりましたね~お喋りになりました。 私がカウンセリングを受けているカウンセラーさんは「吐き出しを聴くことは大事だけど 聴き過ぎないようにすることも大事」と仰っていて、これがおとねさんがよく言われる 「軽くなく重くなく聴く」と言うことなのかな?と感じています。 大事な愛する子どもだけど自分とは別の人間。共感はするけれど同化してしまわないよう に気持ちを受け止める。これがなかなか難しいですね私は。修行中です。聴かせて頂くと言う 気持ちが、まだまだ足りないのかな?負の感情は特に反応してしまう。聴くのがこわくなる 庭の椿のお花がとても美しいです。活けてみました。 子どもとの間はそんな感じですね。私が出来ることと言えば送ってほしい場所まで送ったり ご飯作ったり、話を聴いたりするぐらいかな?あとは買い物が主な仕事。頼まれないこと はしないように気を付けています~でも子どもとそうしていたら、他の家族にもそうなって きて、今まで「良かれと思って」その人が望んでもいないことをやってたのかしら?と思い 出していますね。例えば義母や実家の親に対してそうなっていなかったかな?と感じています。 で、そこを変えて行くのは難しいですね。昨日も実家に用事があって行ってたけれど、 私の方からも親の方からも「こうしてほしいから」と言うことが言いにくくなってると 感じました。意思の疎通がうまくいってない。親も老いてきてこちらに頼らざるを得なく なってきてるけど、どこをどう手伝ってほしいのかが上手く言えない。私の方からも 上手く言えない。圧倒的に話し合うことが欠けている~暗黙の了解の中身の確認が出来 ていないんですよね・・・ここはもうちょっと時間をとらなきゃなあと感じましたね。 それは義母や夫に対してもそうなんでしょうね~今まで避けてたつけですね~きっと。 自分のカウンセリングも受け始めて、それと一緒に色んな家族との関係も見え始めて 正直どうなっていくのかしら?と感じたりもするのですけど、これも時期かな 悲喜こもごもと感じるときも「それは誰の問題なのか?」は意識したいです。私はいつも この確認が必要ですね。私個人の人生を生きるためには。

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