2015/04/19(日)18:26
悲喜こもごも
って一人の人におこったことを言うって最近知ったのです~恥ずかしながら・・・例えば
あの人はこの場合成功して喜んでるけど、この人は失敗して悲しんでいると言う場合には
この言葉は当てはまらないらしいですね。個人的に喜びや悲しみが交互に訪れることに当
てはまるらしいですね~喜びも悲しみもずっとは続かないとも言えるかしらね。
それを知って「なるほど」と思ったし、この言葉が好きになったような気がします。喜びも
悲しみも人との比較じゃない。その人が嬉しいと思えば喜びだし悲しいと感じれば悲しみだし
それに、大きいも小さいも比べるものではないのですよね~
ここ最近と言うかずっとと言うか、悲喜こもごもの人生ですね~いや割合から言うと、
悲悲喜悲悲こもごもぐらいかしら?(笑)多分自分一人のために使う時間があまり無い
ことが一因だとは思うのですけど・・・幸せを感じる感度も鈍っているのかもしれない。
でも何とか生きてるので大丈夫です。多分。
この春息子も娘も2年に進級しました。でも元気度で言うとまだまだです。息子は少し元気
になったようにも思うし、自分のすることはしてるし、家の手伝いもしてくれるけど、まだ
あまり動けないようですね。少し動いては止まりまた動くと言う感じかな?彼なりのペース
なのでしょうね。様子は穏やかです。よく寝てよく食べてるし。でもまだエネルギーを溜めて
いる途中のような気が私はしています。年齢は関係ない。その子その子で選ぶ道もペースも
違うと、どこかで聞いた言葉を、ひしひしと実感しています。
娘もこの春少し動きがあったのです。あまり外に出られていないのはずっとなのですが、
それについて娘自身の口から「人がこわいし過去に言われて嫌だったことが忘れられない」
等の吐き出しがぼつぼつあって(不登校になってから2年近くたってやっと)聴いていた
のですが、本人から「カウンセリングを受けたい」と言う希望が出て先日から通っています
まだ数回ですが表情は軽くなってきたかしら?私との会話も増えました。家で吐き出しを聴
く時間も長くなりましたね~お喋りになりました。
私がカウンセリングを受けているカウンセラーさんは「吐き出しを聴くことは大事だけど
聴き過ぎないようにすることも大事」と仰っていて、これがおとねさんがよく言われる
「軽くなく重くなく聴く」と言うことなのかな?と感じています。
大事な愛する子どもだけど自分とは別の人間。共感はするけれど同化してしまわないよう
に気持ちを受け止める。これがなかなか難しいですね私は。修行中です。聴かせて頂くと言う
気持ちが、まだまだ足りないのかな?負の感情は特に反応してしまう。聴くのがこわくなる
庭の椿のお花がとても美しいです。活けてみました。
子どもとの間はそんな感じですね。私が出来ることと言えば送ってほしい場所まで送ったり
ご飯作ったり、話を聴いたりするぐらいかな?あとは買い物が主な仕事。頼まれないこと
はしないように気を付けています~でも子どもとそうしていたら、他の家族にもそうなって
きて、今まで「良かれと思って」その人が望んでもいないことをやってたのかしら?と思い
出していますね。例えば義母や実家の親に対してそうなっていなかったかな?と感じています。
で、そこを変えて行くのは難しいですね。昨日も実家に用事があって行ってたけれど、
私の方からも親の方からも「こうしてほしいから」と言うことが言いにくくなってると
感じました。意思の疎通がうまくいってない。親も老いてきてこちらに頼らざるを得なく
なってきてるけど、どこをどう手伝ってほしいのかが上手く言えない。私の方からも
上手く言えない。圧倒的に話し合うことが欠けている~暗黙の了解の中身の確認が出来
ていないんですよね・・・ここはもうちょっと時間をとらなきゃなあと感じましたね。
それは義母や夫に対してもそうなんでしょうね~今まで避けてたつけですね~きっと。
自分のカウンセリングも受け始めて、それと一緒に色んな家族との関係も見え始めて
正直どうなっていくのかしら?と感じたりもするのですけど、これも時期かな
悲喜こもごもと感じるときも「それは誰の問題なのか?」は意識したいです。私はいつも
この確認が必要ですね。私個人の人生を生きるためには。