再生核研究所声明 738(2024.1.18) ゼロ除算の理解の難しさ、ゼロ除算の奇妙な事実
再生核研究所声明 738(2024.1.18) ゼロ除算の理解の難しさ、ゼロ除算の奇妙な事実 ゼロ除算を発見して、ゼロ除算に気づいて 間もなく2月2日で10年目を迎えてしまう。しかるにその理解の遅れに 世にも奇妙なことと繰り返し思って来た。 厖大な記録を保存、また公表してきたが 率直に表現していきたい。誤解を解き、世の理解を求めたいからである。その意図、大義は歴然である。恥ずかしい数学は改められ、当たり前の 在るべき世界、確かな世界を拓き、明るい世界を拓きたいからである。 数学も、世界も 現状を 未だ夜明け前 と確かに考えている。アリストテレス以来、ゼロで割ってはいけない、ゼロで割れないと されてきたが、自然な 割り算の意味で、ゼロで割れる、そして新しい世界を拓いていると述べて来ている。しかしながら 最初の この意味が 世では理解されていない。できないことができるようになった、数学ではそのような事件を沢山経験しているが、世間では難しいようである。ゼロで割れないことは、普通の数学者ならば 3秒くらいで 確信をもって理解できるだろう。 ところが世間では毎日のように当たり前のことをYouTube 等で解説されている。 天才的な河野玄斗氏ですら解説されているから驚きである。 それは、そもそも数学の教育が 如何にいい加減になされ、問題解きや知識偏重の形式的な学習に偏り、論理や基本的な考え方の学修が疎かにされているかを示していると言えるだろう。本当のことを知りたい、真相を究めたい、真理を追究する態度など ないがしろにして、 どうでもいいような問題が 出来た 出来ない などと 点取り競争などにうつつを抜かしている、はしっている様が見える。 ー 研究ですら そのように見える。 大学の数学辺りまでは、数学など既に決まっている、もうやることなど無いように思わせる教育(型にはまった教育)がなされているのではないだろうか。 ー 大学に入学して 数学とは そのようなものだとは 思わなかったと気付く人は 多いようである。 2000年以上もゼロで割れないとしてきたゼロ除算、それができるようになった とは 確かに表現に大いに気を付けるべきだったと反省される。数学界では当たり前で、その意味は 考え方、概念等を拡張して出来るように成ったと発想する: 再生核研究所声明 712 (2023.3.7): ゼロ除算とゼロ除算算法 そうでなければ 不可能が可能になるはずがない。 そこで、当然そこはもっとも大事な観点であるから 考えた割り算の 分数の定義を きちんと宣言しているが、最も大事なところを飛ばして、可笑しいとか、考えられないと誤解されている。 ゼロ除算の場合には世界の指導的な数学者でさえ公言して、誤解されているから驚きである。それが 何年もその誤解からぬけられない現実がある。 大きな大学の数学の教室の責任者で ここ50年間で世界でもっとも大きな影響を与えた数学者の面白いメールを受け取っている: In the last fifty years, X has been one of the most famous, influential and successful figures in the field of Mathematics. In academia, people typically find their place either as good researchers, mentors, editors, or managers.ところが、我々の分数が新しい意味での分数、割り算であることを忘れて最初から誤解されている。問題は 永い議論を、交流を持って来た数学者である事実である。これで歴然と理解したことは、初めからゼロ除算は真面目に考えず、少しも新しい考えを学んでいない事実である。すなわち、ゼロ除算はダメ、だから始めから考えない、興味も 関心もない そのような 発想が世に多いと判断するに至った。そこで題名に問題が存在したと気付いた: 再生核研究所声明 737(2024.1.9) まずい用語、虚数とゼロ除算 素人の方は、割り算の意味を変えて、ゼロで割る 割り算が出来るようになったと説明すれば理解されたかも知れない。しかしそのように説明すればそれでは割り算と言えるだろうかとの疑念が湧いたろう。 新たな問題が生じる。 ある自然な意味での割り算であるとか、ゼロで割る意味を説明したりしてきた。こう考えるとゼロ除算は数学者にとっては自明の筈なのに、なかなか難しい問題であることが分かる: 再生核研究所声明 726(2023.10.21): ゼロ除算における黄金律、 ゼロ除算は 黄金律によって確定、絶対的な存在である。 ところがゼロ除算は数学的に、論理的に理解しても、更に驚嘆すべき観点が存在する。 それを聞いて多くの数学者は興ざめ、顔色を変えたものである。ある大きな国際会議でのplenary lectureの最後に立ち上がって destroy 現代数学を破棄するもので 全て認められないと公然と叫んだ数学者がいた。 参加していた妻は その言葉を聞いて、何時もその情景を回想している。事実のために言及して置くが、同時に開催責任者の指導的な数学者は ゼロ除算の講演は国際会議で最も刺激的な発表だったと言明して、著書の出版計画を提案されていた。その衝撃的な観点とは 上記の数学者の次の文に表されている: I am surprised to have your mail again. I am happy and fully convinced with the great work of scholars Brahmagupta, Bhaskara II, Mahavira, Aristotle, Cauchy, Weierstrass, Euler, Newton, Bernoulli, and their numerous followers. They laid the correct foundation of Mathematics by showing that 0/0 is indeterminant, i.e., it is defined only in the limiting sense. のように: アリストテレスの 世界の連続性の概念 に反する、不連続性がその原因である。 突然の変化、飛びの現象を表しているからである。 そのため、あるドイツ人は 車中の議論の中で、数学が正しくとも そのような数学は興味も、関心もない、議論を打ち切りたいと述べたものである。同じ様に発想した数学者は 世に多い事実が存在する。そこで それを打ち破るために 証拠、現象を広く探し、1000を越える例を公表、記録に残してきた。歴然とした証拠を提示してきている。このような事は、50年を越えても無かった事である。歴然とした証拠を示しても、 分かったと多くの人が言明しないで、 無反応になってしまうことである。言えることは 我々の新数学に対して、正当な反論は一切なく、理解された方は可笑しいことは どこにもなかったと言明されていることである。京都大学数理解析研究所の関係研究集会で、ゼロ除算について、共同研究者 奥村博氏と分担で講演を行った。著名な数学者がまるで 宗教的な講演だったと批判的に述べ それをツイッター上で公表したので、 誤解に対する 反論を行なったが 議論は一方的に打ち切られ、友人は反論の論文を出版しようとしている。 ところが他方、永く尊敬してきた数学者は我々の講演を理解し、数学界の盲点であったと称して、理解には相当な時間が掛かるだろうと 励まされた。 面白いのは 普通は研究集会の内容は、講究録に出版されるが、 我々が精魂を込めて作成した原稿は、研究集会開催責任者によって出版を拒否された。 講究録の出版でそのような目に会ったのは 人生で初めてのことだった。日本数学界が公然と我々の研究を無視して、逆に研究活動を積極的に押さえて来た事実は 相当に歴然であるが、ポテンシャル分科会の方だけが公然とゼロ除算を取り上げて議論してくれたのには 高く評価し、熱烈に感謝している。 それで真理を追究し、数学の教育と研究に責任を持つ立場から、学界の在りようについての疑念を深めている。 日本では言論の自由さえ押さえられている状況ではないか、どうしてかと 問うている: 再生核研究所声明 725(2023.9.27): 日本数学会の問題点、知的財産を活用できない状況、その背景についての考察 以 上 2024.1.17.10:18 昨夜から書き始めた。 雪上がりの美しい日。2024.1.17.22:02 最期に声明725を入れて、一応完成。2024.1.18.06:34 良い、出来ている。 関係素材は事欠かないが?2024.1.18.08:40 少し追加をした。2024.1.18.09:09 声明712を挿入する。天気予報より良い。2024.1.18.11:05 楽しい買い物から帰って精読、良い、完成、公表。美しい日に成った。2024.1.18.20:56 気になって精読した。 2字文章を整えるため修正。 良い。2024.1.19.21:11 確認する。