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カテゴリ:情況論
どうしたことだろう。殺人事件が連日のように報道される。しかも、多くは死体をバラバラにし、遺棄するものばかり。今回は30代の妻が、30歳の夫をバラバラにして都内のあちこちに、死体を遺棄した。死体が重いのでのこぎりで切断し、バッグに入れて、あちこちに捨てたという。
その生活ぶりは別として、相手への怒りが抑えきれずに、前後が判断できなくなり、憎悪を抑えきれずに、家族を或いは夫婦が殺し合う。昨日は兄が妹を殺害し、バラバラに。今日は妻が夫を。その報道の一方では、茨城でまたバラバラ殺人が起きているという。 全ての事件の関係者の日常の様子や動機を調べないとはっきりしたことは言えないが、最近のいくつかの報道では、犯行に及んだ容疑者は、等しく自身の存在感をないがしろにされるような誹謗中傷の発言が日々向けられ、その苦痛に耐えきれず犯行に至っているようだ。解決手段が話し合うことではなく、心にため込んで一気に憎悪を爆発させ、前後の見境を失い、殺人という凶行にブレーキを掛けられず、何度も暴行を加えて死に至らしめている。死後は、肢体の処理に困り、凶行を隠蔽しようと、死体をそのままに隠すのではなく、体をノコギリで切り離して個々に処分していくやり方は、報道から学習しているように思われる。 直情的憎悪の爆発が、個人のアイデンティティーを壊されたと思うことで引き金になっている。殺人は世間にばれ、日本中に報道され、1人の存在が忽然と消失することに周囲が不信に思い、事件も発覚してしまうことも予想できないままの抑制やコントロールができない直情的な怒りの噴出行為である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007年01月12日 14時25分46秒
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