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帰ってきたきゃべつ!

自分史

自分史・・・はじめに・・・

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これからいろいろ書いて行きます。まずある日の日記のコピペから・・・。


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どーせ、前のHP閉鎖時に、過去に縛られて生きてると指摘されたから、過去のことを少しずつ書いていきます。

私は幼稚園時代までは活発な、人見知りのない子供でした。
息子もそれを受け継ぎ更にパワーアップしています。
しかし、小学校に入ってからいじめに遭い(罵倒される、村八分にされる、物を隠される、言葉や力での暴力)、すっかり自分のクラスでは、暗い子供になってしまいました。
学校嫌いだし、友達も少なく、本ばかり読んでいました。小説・ノンフィクション・歴史・詩歌。歩きながら呼んで通学していた中学校時代は二宮金次郎と影で言われていました。
でも芝居・音楽などが好きで、演劇クラブに入ったり、落研クラブに入ったり、フォークソング部に入ったりと潜在的に人に見られるクラブ・部活を選んでいました。

両親と弟との4人家族。
父は、職場をいくつも転々としました。
職場の同僚と合わなくてやめたり、賃金の良いところへということでいろんな仕事しました。痛風で働けず、仕事をしていない時期もありました。一番多かったのが、病院・役所・予備校の守衛さん。
最後に勤めていた予備校の時は丁度交替の時間に通りかかりました。夕日に照らされて、同僚の方に敬礼する姿は、チビでぶで、スイカ一個入ったようなお腹の父がかっこよく見えました。7年ほど前に他界しましたが。
母は弟が軽度の自閉症で、多動児だったので、近隣の幼稚園でなくちょっとはなれた、障害児と健常児の統合保育を行っていた幼稚園へ通園の付き添いをしていました。
私が小学校を卒業してから3年位前まで、病院関連の仕事(洗濯)をしていました。
私がバイタリティがもしあるとしたら間違いなく母の影響です。母は割りと楽天的な人です。
私は本来ならそうだったのかもしれないけど、いじめでゆがんでしまいました。
あ、弟は人付き合いは苦手ですが、ちゃんと社会の中で生きています。一般企業に就職できたのは幼稚園時代の訓練会の仲間では弟だけです。

私は、高校に入って県内に唯一の学科の県立高校(今はありません)の衛生看護科に入学。准看護師の資格を取り、今は老人病院で働いています。

今日はこのくらいにしておきます。
もう少し細かいことを今後書いていきます。(8月12日の日記より)


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