290219 ランダム
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帰ってきたきゃべつ!

文豪気取りのきゃべつ

遠い日の記憶
作・なつのひまわり

突然の電話

仕事から帰ってくると、突然電話が鳴った。
出てみると小五になる息子のカイの同級生、山本モモコちゃんの母親からだった。
・・・・カイが、モモコちゃんを、
「のろまだねぇ。」
とからかったというのだ。
カイは、そんな覚えはない、という。
詳しく聞いてみると、モモコちゃんは、走るのが苦手、動作もゆっくりしておっとりした性格だと思われている。
今日の体育の授業でリレーがあって、モモコちゃんは気が進まないまま、自分の順番を走ったそうだ。
案の定、ほかの班の子にぬかされて、せっかく一等になるはずが、三等だったという。
四班中の三等だから私はまあまあだと思ったのだが、
同じ班のダイチくんに、
「お前のせいでリレー、ビリ2(びり・に)になっちゃったんだよ。
オレ、アンカーだったけど差が開きすぎてばん回できなかった。もっと練習しろよ。」
とか、サクラちゃんにも
「せっかく一等だったのにもったいなかったね。」
とか、
みんなに言われたらしい。 
モモコちゃんの母親の話では、本当は負けず嫌いで、のろまだとか言われるのがつらいと常々言って気にしているのを、
いろいろ言われて、くやしかったらしく
「もう明日から学校に行かない、はずかしくって学校に行けないよ。」
と母親に泣いて訴えたのだという。
その同じ班にいたカイが、ふだんはモモコちゃんに何も言わないのが
「のろまだねぇ。」
と、ぽつりともらした言葉がとどめの一言になったようだ。
母親は、同じ班の他のメンバーの家にも電話したそうだが、
相手にしてくれたうちはなかったそうだ。
何度も何度も、同じことの繰り返しを言われた。
モモコちゃんもくやしかったと思うが母親もかーっとしていたのだろう。
母親が冷静になるまで・・・延々三十分。
正直、うんざりした。
その母親にカイの不用意な言葉をわび、
「また、あした、学校で子どもに一言おわびをさせるので、これからも仲良くしてください。」
といって電話を切った。

私が子どものころにはそんなのよくあることだったような気がする。
そこまでむきにならなくっていいと思ったりした。
反面、モモコちゃんの気持ちもわかる気がした。

夕飯の時間、私はカイに、
「ねぇカイ、人にはそれぞれ得意・不得意、気にすること・気にならないことがあって、思わぬところで人の心を傷つけることがあるんだよ。」
と、私の子供時代の話をした。

思い出したくない。
封印したい記憶を引っ張り出すのはつらかった。
特に運動会のシーズンには思い出していやな気分になる。
でも、思い切って話すことにした。

さっきの電話のモモコちゃんと同じくらいか、もっと悩んでいた。

正直、学校も嫌いだった。


  昔のこと


私は夏野ヒナタ。カイの母親でシングルマザー。
さかのぼること二十数年前・・・
私は、背は低くて太っていて、運動はいっさい苦手。
父の仕事の都合で引越し・転校を数回した。
学校ではみんなと早くなじみたいと思って係の仕事とか、日直とか一生懸命やった。

楽しいときもあった。
自分を仲間として認めてもらって、遊ぶときなど誘ってもらえるとなんだか安心できた。

でも中にはたまたま前に引っ越した先の言葉のなまりが残っていて、からかわれたことがあった。
でも、そこはすぐに引っ越して、長く苦しまずに済んだ。
ちょうど、カイと同じくらいのときのクラスの時のこと。
そこではいろんなことがあった。
転入して早々、学校帽をかくされて、買いなおした。
するとしばらくして、男子トイレの流しの蛇口にゴムがぐるぐる巻かれた状態で出てきたり、掃除道具入れから出てきた。
くつを片方かくされたり、体そう服をかくされたり、教科書にらくがきされたりするのはしょっちゅうだった。
なぜか『きたない』とか直接言われたり、バイキンを見るような目でみるクラスの人もいた。
針のむしろに座っているような気がした。

また、あるときは・・・・

そう・・・・。

今回のようなリレーをクラス対抗でやったときに、1位をとりそこねた。
すると、
「ヒナタ、お前のせいで1位じゃなかったよ。お前の顔なんか見たくない。」
といわれて後ろから上ばきで頭をたたかれた。

私が今のカイと同じ年ごろの時のこと。

私が大嫌いな運動会。

紅白に分かれての戦い。

自分のチームが負けた。

すると、
「ヒナタがいたから負けたんだよ。これで連勝記録が止まっちゃったじゃないか。」
「お前なんかいなきゃよかったのに。」
口々に私の心につきささる言葉を投げかける同じクラスの人。

・・・・責められてつらくって、死んでしまおうと思った。
三階にある教室の窓から飛び降りようとした。
クラスの女子数人に止められて、窓わくから引きずりおろされてしまい、結局死ねなかった。

みんなに会いたくない、

学校に行きたくない、
そう思って次の日から学校を休んだ。
外へ出る気もしなかった。
うちの中で寝たり起きたり。
母は、無理に学校へ行かせるでもなく、
他愛のない話などして和ませてくれた。
そして、
「ヒナタ、世の中にはいろんな人がいるから、お前の居場所もみつかるよ、きっと。」
そう励ましてくれた。

何日か休んでから、久しぶりに学校に行ってみた。

死に損ないの無様な姿で、いやだったが。
なかなかクラスになじめない上に、クラスのふんいきを壊してしまったようで、みんなに話しかけるのがこわかった。
みんなも私に話しかけてくることはなかった。

いわゆる、仲間はずれ。村八分。

しばらくその状況は一向に変わらなかった。

遠足などのグループを決めるときは必ずあぶれてしまい、人数の足りないところが仕方なしに入れてくれるのがとてもみじめに感じたこともあった。

つらかったが、それでも母の励ましの言葉を信じて、
いつかはクラスになじめる、みんなの仲間になれるきっかけができるはずだと思い、その後も学校に行った。

そのときのクラス担任は、私がいろいろ言われたりしているのを静観しているだけで何もしてくれなかった。
むしろ厳格な感じで相談すること自体が怖かった。

しかし、私がくやしくて大声で号泣していたことには、先生は多分気がついてなかっただろう。
『弱虫がメソメソ泣いてる』
・・・・としか思ってなかっただろう。

そして、クラスの中で器用だったり、賢い子をひいきしているように思えた。
ますます近寄りがたく思えた。


忘れられない思い出・・・・


あるとき担任に、
「クラスで好きな人、嫌いな人を紙に書いて、先生に出しなさい。」
といわれた。
今の世ならそんなことを聞いてきたら多分問題になり、苦情を言う親が出るだろう。
私は何と書いていいかわからず、てきとうに書いて出した。

・・・・結果はどうなったか。

担任は何にそれを活かそうとしたのか。

いまだに何でそんなことを聞いてきたのかはわからない。

しばらくそのことは忘れていた。

いや、忘れるようにした。

その後、クラスで意地悪されたことはあったが、
少し長くいられたために、なんとか少しはクラスになじむことができた。
学校にもがんばって通った。
たとえば、運動会の行進で、きれいに整列して、拍手かっさいをあびたり、合唱コンクールに出たりと楽しいこともあった。

練習はきびしかったが
それなりに達成感も味わうことはできたと思っている。

しかし・・・・。

学年末に教室の大掃除をしていたときのことだ。

そのとき、「好きな人・嫌いな人」アンケート用紙の束が出てきた。
最初の一枚が、転入してすぐ、友達になってハルコちゃんだった。
見たくはなかったが嫌でも目に入ってきた小さな紙の束の一番上の紙。

嫌いな子のところにはっきりと、私の名前、
『ヒナタさん』
と書いてあった。
涙があふれてきた。後から後から止まらなくなった。
その下の数人のものも見てしまった。
やっぱり、嫌いな子のところにはみんながみんな
『大庭ヒナタ』(大庭は私の旧姓)
『ヒナタさん』
『大庭さん』
と書いてあった。

ショックで教室を飛び出したくなった。
また、ショックと同時に、わき上がるクラス担任への憎しみ、そして一時は信頼していたのが裏切られたような悲しさ・・・・。
そんな感情がわきあがってきた。
でも体が、心が、凍り付いてしまったように動けなくなってしまった。

・・・・しばらくその場に立ちつくしていた。

次第に、
『やっぱり、あの運動会の後に死んでいればよかった』
と頭の中がぐるぐるとうずを巻く感じがしてきた。

でも生きている自分。

なんでだろう。


『どうしてこんな人に知られたくない・知りたくないような残酷なアンケートを教室に保管していたのか』

・・・・今もなぜなのかはまったくわからない。

もっとも、今の私だったら、すぐに多分クラス担任に詰め寄って理由を聴こうとするだろうし、怒りや悲しみの感情を素直にぶつけたと思うが、その当時の私にはそれができなかった。

そして、私はひとつの疑問をもった

『なぜ私は、生まれてきたのか。』

こんな私がなぜ生きているのかわからない。

親を憎んだこともあった。
父を
『なぜ私が生まれたのか、なぜ生きてなくちゃいけないのか』
と責めたことがあった。
父は、
「自分が望まないのに親の都合でこの世に産んでごめんよ、ヒナタ。
自分で生まれるか生まれないか決められたら良かったのかもしれないなあ。」
と私に謝ってきた。

私ははっとした。

たとえ周りがなんと言おうと、私は両親に望まれてこの世に生まれてきたのだ。
生まれたくてもこの世に生まれることのできない命、望まれずに生まれた命が大切にされずに消えてしまう、いや、消されてしまう事もある。

私は恵まれているほうなのだ。
父を責めたことを恥ずかしく思った。
そして、
それ以来、父を責めることはしなくなった。

その後は、さらに、みんなに負けまいと一生懸命、学校に通った。
みんなほど上手にできないが、自分が得意なもの、
自分に向いているものが徐々にわかってきた。

手紙や文を書くことがすきなのに気がつき、
いやなことがあると、書いたり、空想したりして忘れるようにした。
楽しいことが学校にないときは公民館などへいって違う学校や年上の友達を作った。

みんなに負けないように・・・・

ただそれだけで生きてきたような気がする。

負けてばかりだけど・・・・。

でも中には、耐えられずに死んでしまうこともある。
生きていても心が死んでしまう、そんなこともある。

・・・・ある学校に転入したとき、やはりみんなから意地悪されたり、仲間はずれにされて、とうとう学校に来なくなった子がいたことを思い出した。

その子はたしか、トキオくんという名前だったと思う。
もともと病気がちで、顔色が悪く、やせていて、よく学校を休んでいた。
トキオくんも私と同じように運動が苦手だった。
私は途中で転校してしまうので同じクラスに長くいたことはほとんど無かったが、トキオくんは私が転入してくるまえから
『ゆうれいみたいにぼーっと立ってると気味が悪いよ』
などとからかわれていたようだった。
かばってくれる幼なじみもいたようだがクラス替えで離れてしまったために、ひとりぼっちでいることが多かった。
今思うと、病気だけでなく、みんなと仲良くしてもらえず、つらくって学校に来なくなったのだろう。

しばらくして、急に亡くなったとの知らせがあった。
最初は交通事故で亡くなったと先生は言っていたが、
おそうしきの日に、本当は走っている車の前に自ら飛び出し、自殺したのだということを知った。

私は、トキオくんに何もしてあげられなかった。
何か一言、声をかけてあげればよかった。
何かしてあげられることはなかったのだろうか・・・と。
もしかしたら私でも何か役に立てることはなかったのだろうか。
今でも、後悔している。

私はそれから、かろうじて、みんなに負けたくない一心で生きてきた。
多分、トキオくんのぶんも・・・。
そして、望んで自分の子どもを生み、育てているのだと。

でも、なかなかいじめや仲間はずれの記憶やみんなから受けた心の傷は消えないし、今でも時々苦しむこともある。
たとえば新しいことに挑戦するときなどは、自信がもてずに迷うこともいまだにあるのだ・・・・と。


  子どもとの会話


そこまでカイに話しかけると、
「モモコちゃんの得意なこととか、何かないの?」
と、カイに聞いてみた。
「・・・女子とはただでさえあんまり口きいたことないからよくわからないよ。」
「じゃあ明日、モモコちゃんに聞いてごらんよ。得意なこととか・・・。」
カイの返事に私が口をはさむ。
するとカイが
「だって、また傷つけちゃったらかわいそうだもん。
どうしたらいいの。わからないよ。」
「そしたら、班のみんなでリレーの練習してみたら。他にも原因があるかもしれないでしょ。」
「・・・・うん、そうしてみるよ。」

私自身も、はっきり言って自分の生き方に納得できているわけじゃないから、えらそうにはいえないが、モモコちゃんの気持ちを多少代弁したつもり。

「できることからはじめてみてごらんよ。そうしたらうまくいくかもしれないでしょ。」
「うん、そうだね。一人になっちゃうのはつらいよね。
わかったよ。今度、班のみんなと相談してみるよ。
母さん、ありがとう。・・・・ごめんね。」

こんな会話をして、数日。
私は仕事が忙しく、そのことを忘れていた。


それから・・・


カイは、その班の班長をしていた。

学校では案の定、ここ数日モモコちゃんは班のみんなとはちょっと気まずい感じでずっと下を向いたまま黙っていた。
みんなもなんとなく話しかけるのが気まずかったし、
仲間はずれにするつもりはないのだが、
モモコちゃん自身もみんなとの輪の中に入れないでいた。

そのうちに班のみんなのひそひそ話がカイの耳に入ってきた。

リクくんがひそひそ声で
「昨日、うちに山本んちのママから電話があって、
うちのママにしかられちゃった。親に言いつけるなんてずるいよね。」
と、ショウくんに話しかけていた。
ショウくんは、
「・・・・うん、くやしかったら自分で何とかしてみろって思うよな。」
と答えた。するとユリコちゃんとサクラちゃんが、
「私もそう思うわ。」
「私も。」
と同調した。それを聞いてダイチくんが、
「おれ、いやだなぁ。あいつと口きくのやめようよ。」
そのうちに、ダイチくんがモモコちゃんにむかって、
「お前といるとのろまがうつるから仲間に入れてやらないよ。」
と言うと、教室がざわついてきた。
モモコちゃんはとうとう机に顔をふせてしまった。
(これか、母さんが心配していたことは・・・)

考えたあげく、カイは思い切って、『班会議』として、昼休みの時間に班のみんなと話し合ったそうだ。
もちろん、モモコちゃんも交えて。
まず、カイがモモコちゃんに、
「きのうは、負けてくやしかったからちょっと言い過ぎたかもしれない。ごめんね。」
と素直にあやまった。
そして、私との話をちょっとして、班のみんなになんとかしようと話しかけた。
「みんな、昨日はくやしかったよね。ぼくもそうなんだ。
山本、きみはどう思う。くやしいだろ。」
モモコちゃんはうなづき、じっと下を見つめていた。
その表情はいつものおだやかな感じではなく、真剣な顔だった。

「くやしい。すごくくやしい。
でも、どうしたらいいのか、私、わからないの。」

モモコちゃんの眼から涙がにじんでいた。

班のみんなはびっくりした。
昨日、
『お前のせいでリレー、ビリ2になっちゃったんだよ。
オレ、アンカーだったけど差が開きすぎてばん回できなかった。もっと練習しろよ。』
と言ったアンカーだったダイチくんはすまなそうに
「ごめんよ、山本の気持ちも知らずに、昨日はわるかったな。」
とあやまった。
それを聞いて、いつも冷静なツバキちゃんがこう言った。
「言えなかったけど、私もおしいなぁと思ったの。
みんながもっとチームワークがよかったら、勝てたんじゃないかって。」


しばらく沈黙がつづいたが、ダイチくんが
「・・・よし。おれがなんとかしてやるよ。
みんなでいっしょに休み時間とか放課後に練習しょうよ。
な、夏野、いいだろ。」
とカイに言ってきた。
「もちろんだよ。」
カイは大きくうなづいた。
最初は気の乗らなかったショウくん・リクくんも、サクラちゃん・ユリコちゃんそしてツバキちゃんたち女子も、
だんだんとモモコちゃんを助けてあげようと思うようになってきた。

「じゃぁ、今度の体育のリレーのときにリベンジできるようにがんばろう。」
カイがいうと班のみんなが同時にうなずいた。

こうして、班のみんなで休み時間や放課後に練習をするようになった。

その日の夕飯時、またカイと話をした。
カイは今日の出来事、『班会議』のことを話してくれた。
「・・・・そう。よかったね。みんなも協力してくれるし、モモコちゃんもやる気満々だね。
カイ、明日からみんなでがんばってね。」
私は心からカイたちを応えんしたくなった。
それから毎日、カイは私にリレーの練習のことをはなしてくれた。

練習の内容はこうだ。

・・・まず走る順番を変えた。
ツバキちゃんが、
『最後のほうより最初のほうが、みんなで協力して助けてあげられる』
・・・と考え、モモコちゃんを始めに近いほうにしたそうだ。
走るのが早いダイチくんは走るときの手や足の動かし方を教えた。
「腕は速く大きくふり、足も速く、大またで走るんだよ。」
と手足を大きく動かしながら話すダイチくん。
バトンの渡し方がうまいショウくんはバトンの渡し方を教えた。
「バトンをもらうときは少しずつ前に進みながら後ろに右手を出しておくんだ。
そしたらバトンをもらって走る。
走りながら・・・・山本、ちょっとめんどうだけど・・・・走りながら左手に持ちかえるんだ。」
ショウくんはすばやくバトンを持ちかえて見せた。
「渡すときは次の人・・・リクが少しずつ前に進んでいるから、リクの右手にしっかりとバトンを渡すんだ。バシッとね。」
ショウくんがまたアドバイス。
実際にリクくんにバトンを渡して見せた。
リクくんは
「なるべくトラックの内側に近いほうを走るといいよ。外側だと余計に走るからその分ムダになる。だから、トラックの線ぎりぎりで走るといいよ。特にカーブのところはね。」
といった。

班の八人みんなで、相談しながら、毎日毎日、繰り返し練習をしたそうだ。

カイは家に帰ると必ずリレーの練習の様子を話して聞かせてくれた。
・・・・その話の様子から、練習は順調に進んでいるように思えた。

だんだんと、みんなの息があうようになり、モモコちゃんも、早く走る走り方や、バトンをスムーズにわたすわたし方などを教わるうちに、少しずつ自信を持ち、上達してきた。

一生懸命練習するすがたをみて、もう、だれもモモコちゃんをばかにすることはなかった。

班のみんながまとまってなかよくなった。
学校の帰り、みんなでいっしょに帰るようになった。

・・・・もうモモコちゃんは仲間はずれじゃない。
リレー以外の話も、できるようになった。


そして、リベンジ・・・・


その月末のある日の体育の授業で、また班対抗リレーがあった。実は練習の様子を見たカイたちのクラス担任の先生がリレーのリベンジのチャンスをカイたちにくれたのだ。
もっとも、これは後で懇談会へ出たときに先生から聞いた話なのだが、私はカイの担任の先生には心から感謝した。
私のような、長年にわたって心に深く傷を負わないうちに、モモコちゃんを救えたし、カイたちもなんだかちょっと大人になれるきっかけを作ってくれたのだから。

モモコちゃんは、一人には抜かされてしまったが、なんとかがんばり、みんなで少しずつ差を縮めて、アンカーのダイチくんがラストスパートでもうダッシュ。
みんな必死でがんばり、見事一等を取った。

「班のみんなががんばってね、一等になれたよ。
山本もぬかされてもがんばって、バトンをわたすところの近くではいつもよりも早く走れたんだ。
それでね・・・・。」
その日の夜、カイはその時の様子をうれしそうに話しだした。私も一緒に走ったような気になりながら聞いた。
班のみんなでモモコちゃんに
「よくがんばったね。練習してよかったね。」と
声をかけてほめてあげたそうだ。
クラスのみんなも拍手してくれたそうだ。

カイは私に、続けてこう言った。
「山本は、あやとりが得意なんだ。ちょうどクラスではやっていてさ、教えてもらうことにしたよ。
母さん、毛糸か、何かひも、ないかな。」

もう、モモコちゃんをからかったり、馬鹿にする子はいなくなったそうだ。
私もあやとり用のひもをさがしながら、なんだか自分のことのようにうれしくなった。
自分の居場所・いい仲間ができてモモコちゃんも、カイも、クラスのみんなにもよかったと心から思った。
ちょっぴりうらやましくもあった。
『この世からいじめがなくなるといいなぁ』
としみじみ思った。

私は今、いちばんひどいいじめにあった当時と同じ年ごろのカイを育てながら、時々つらかったことを思い出し、胸がしめ付けられるほどくるしくなる。

でも多分、カイと同じ班のモモコちゃんは、もうそんないやな思いはしないだろう、と願わずにはいられなかった。

もちろん、カイにもいやな思いをしたり、させることがないといいなぁと思う。

そして・・・・

その、遠い日の記憶を引っ張り出してみて、よかったのかもしれない。
そう思えるようになった。


(小川未明文学賞応募作品・・・1次審査で落選・・・)


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