2004/08/23(月)20:18
人の死についての考察
今日、ぷーさんのお友達のkazuくんのお父さんのお通夜に行きました。
なぜだかわけがわからない私は、呆然と参列しました。
いつもパワフルなkazuくんママ、流涙・・・お子様3人は無邪気に家族席に座っていました。
お父さんの仕事関係、kazuくんのお兄ちゃん・kazuくん・妹ちゃんのお友達関係・幼稚園・学校・ママ関係の人々が沢山きていました。
付き合い・もあるかもしれないけど、子煩悩のお父さんという印象でした。
kazuくんママは気持ちを切り替えて、働いているとか・・・。えらい、というかそうでもしないと生活のこともあるけど、気持ちが前向きになれないと思う。
うちの場合、父が亡くなったけど、母は仕事続けていました。私が最後を看取りましたが、その場に母はたまたまいなくて、なんだか、まだ入院しているような、(当直のある仕事もしていた父なので)仕事にいってるのかなという感覚で死んだという実感がなかったし、父が亡くなる前にしていた諸手続き関係がなれないので必死にやっていていつの間にか悲しみを乗り越えていたようです。
私はしばらく父が亡くなる瞬間の、痰を取っている光景が頭から離れず、痰の吸引が恐かったです。この患者さん、吸引したら死んじゃうんじゃないか・・・って。
いまは痰がつまらないように吸引は、恐れずやっています。
仕事柄、人の死は何人かみてきました。
辛い・悲しいけど、ほかの患者さんの手前、顔に出せないから、感情を出さないようにすることに慣れてしまいました。
一度だけ、感情を出したことがあります。
訪問看護のとき、訪問していたおばあさんがなくなったときに、もう一度、最後に会いたかったのに会えずに、言葉もかけれれずになくなったので、病室で対面したときに思わず号泣してしまいました。
昔何かの雑誌に、死んだ人の生まれ変わりがあると書いてあったことがあり(死んだ人に持たせたお守りを持って生まれてきた子供がいる?)、なんとなく信じていました。
だから、きっとどこかで、生まれ変わっておられるのではないかと、思うようにしています。
・・・ね、メトロン星人さん!