その1 母は下手な謙遜をする

●母は「下手な謙遜」をする。

☆「なんだかこっちが悪者みたい?」
 少数派母達の孤独

先日から掲示板でも問題になったチャイルド競技だが、子どもがチャイルドの間は母の言動もいちだんと難しい問題をはらんでいる。
とりあえず、現状ではチャイルド競技(とくにクラブチャイルド)はどのクラブでも出られる子のほうが少なく、「いいな~、うちも出たかったな~」と親子で思っている人が多数派だと思う。だから、私もついついそういう落胆組の気持ちを汲んでしまい「チャイルドなんて出ても出なくても変わらないよ。たいして意味はないんだから」と言ってしまうことが多い。「チャイルドがよかったからって先までいいことなんてあまりないよ」とも。
しかし、ここでいつも取りこぼしていると反省しているのが「出られる子の母」はたまた「チャイルドでいい結果を出せた子の母」の気持ちである。落胆組に向かって発言している内容を、チャイルドの時点での勝ち組(イヤな言葉だけど便宜上こう呼びます)の母が読めば、多少なりとも居心地の悪さを感じたり、ときには「なによ、うちを悪者呼ばわりして」と思ってしまうのでは、と危惧している。
ある意味、落胆組よりも孤独で、また自分の言動に迷いが生じるのが勝ち組なのかもしれないのに、、、。

☆「うちは有頂天になんかなってない」と言いいたいの?
 「チャイルドなんて」と言ってはいけない人々

私が繰り返す「チャイルドなんて」という言葉、これは落胆組が自分やわが子を励ますために言うのはかまわないと思うが、勝ち組は口に出してはいけない言葉だと思う。ところが謙遜のつもりなのか、周囲が「チャイルドなんて」と言うから、それに同調しているつもりなのか、出る子の親、出た子の親なのに、「そうよね。チャイルドなんてどうでもいいわ」という類の発言をしてしまう場合があるように思う。
これは、まずい。
もちろん、クラブによっては、チャイルドに出ることによって、手具の練習時間が減るとか、団体のメンバーに入れないとか、いろいろな状況があると思う。だから、本気で「チャイルドなんてうちは出なくてもいいのに」と思っている人も、いるだろうとは思う。だけど、やはり出る子の親はそれは言ってはいけない言葉だと思うのだ。「出たくても出られない」だからこそ「チャイルドなんてどうでもいい」「徒手より手具の練習をしたい」と精一杯の負け惜しみを言って乗り越えようとしているのだから、落胆組は。
かと言って、「うちはチャイルドに出るのよ~。うれしいわ~」と手放しで喜べば、「なによ~」という周囲の冷たい目を感じる? まあ、それもあるでしょう。だからこそ、なるべく淡々と「うちはどうでもいいんだけど」とやり過ごしたいのが勝ち組の心理だろうな、とも理解できる。
出るほうも出るほうで大変だよな、としみじみ思う。それがチャイルドのこわいところ。

☆「うちの子はとてもがんばっている」と認めることが
 勝ち組が人から理解されるための近道

ここに1つヒントがある。
私は以前、仕事であるチャイルド選手とその母に取材をしたことがある。その子はチャイルドではそれはすばらしい成績を残している子で、当時まだ3年生だった。会って話をする前は「もしかしてとんでもなく感じの悪い母子だったりして?」という危惧もすこしはあった。だって、3年生ですばらしい演技ができてしまうんだから、その親なんてどれだけいい気になっていたとしても無理ないでしょ、と思っていたから。
ところが、その母子は、それはそれは感じがよかったのである。話をしているうちに私はどんどんその母子のファンになっていった。そして今では心から応援している。
チャイルドでまさに「勝ち組」であるその母子のどこが「いい」と思えたのかというと、その母は自分の娘が、年齢不相応なほどに新体操に賭けていることを認めていた。親が見てもこわいほど必死に練習していたことを認めていた。チャイルドに出ることも、そこで結果が出せたことも「ありがたいこと」だと言っていた。そして、なによりも「先生の力でこうなった」と認めていた。そして、「今はいいけど、先のことを考えるとちょっと心配」と言っていた。その母には「うちの子には素質があったから、こうなった」という感じがどこからも感じられなかった。これがたとえ勝ち組でも、いやな感じを与えない秘訣なのかもしれないな、とそのとき感じた。
娘さんもそうだった。とにかくひたすらうまくなりたいと思ってつき進んでいる子だった。「だれよりも自分のほうがうまい」とか「自分は何番目」とかそういうことを気にしていない。自分の理想に近づくためにとにかく必死にやっているという顔をしていた。「自分は能力があるから人より簡単にできちゃう」という自覚は彼女にはなかった。求めているものがとても高いから、なかなかそこにたどり着けない自分を「まだまだ」と思っているから必死にがんばっている、そんな様子が彼女からは感じられた。
それ以来、だれかがあの母子のことで、「あんなに素質に恵まれていいわね」「さぞかし母はいい気分でしょうね」というふうなことを言うと、私は否定する側に回ってしまう。たしかに素質はあったんだろう、なければああはなれないだろう。だけど、素質だけじゃないんだよ、あの子は、本当に普通では考えられないくらい必死にやっているし、それを見守る母は、心配だってしているし、「このままいける」と思いあがったりもしていないよ、と言ってあげたくなるのだ。
「ああ、これだけがんばっているのなら」と思える相手のことを、だれも悪くはいえないものなのだから。

☆気をつかったつもりが逆効果?
 下手な謙遜はしないほうがまし!

やはり、チャイルドにおける「勝ち組」は、下手な謙遜はしないほうがいいと私は思う。出られることを「ありがたい」と受け止め、「うちの子はとてもがんばってきたから出してもらうことができて、うれしい。ありがたい」と思ったほうがいい。同じくらいにがんばっていたのに出られない子がいるのに「うちはがんばったから出られた」とは言いにくいかもしれないが、「うちなんかより●●ちゃんのほうがずっとがんばっていたのに」なんて言われても、●●ちゃんやその母にとってはなんの慰めにもならない。選ばれなかった子やその親が、選ばれた子のことを温かく応援できるようになるには、やはり選ばれた子が「あれだけがんばっているんだもの」と思えるようにがんばること、それしかないのだ。
また、出る子の親はその成績のことで「この程度しかとれなかった」「うちなんてたいした成績もとれないのに出るだけ恥ずかしい」などと言ってはいけない。その程度の成績だってとれない子はたくさんいるし、それ以前に同じ舞台にも出られなかった子がたくさんいるのだ。「それでも出してもらえることをありがたいと思っている」と、ひたすらそう言っておくのがよいと思う。有頂天になったり、いばり散らすことはないけれど、「出られることがうれしい」という気持ちは隠す必要はない。だって、ほかの人たちはほしくてたまらなかったものを手に入れた本人が大事にしないで放り出していたら、「だったらうちに譲ってよ!」と言いたくもなるでしょう。ひけらかしてほしくはないけれど、やはり大切にはしてほしい。「出られない子」の親はきっとそう思っている。
もう1つ、勝ち組の子の親にお願いしたいのは、落胆組の言うことに腹をたてないでほしいということである。今からチャイルドに向けてがんばろうという子の横で「チャイルドだけよくてもね~」と言ってしまったり、「うちはチャイルドなんてどうでもいいから」と言ってしまったり、きっと勝ち組にとっては「なによ?」と感じる言動をしてしまう母も(子どももかな)少なくないと思う。
でも、これは我慢してほしい。許してやってほしい。試合にだれを出すか、それは指導者が決めることである以上、どうにもできないのだから。だから、なんとか「うちの子は出られない」という状況をあがきつつ乗り越えようとみんなしているのだから。「親が熱くなるのっていやね~」と言わないであげてほしい。今は勝ち組のあなただって立場が変わればいつそうなるかわからないのだから。

☆「チャイルドに深い意味を感じている指導者は少ない」
 ことを忘れない

そして、落胆組のみんなは、できれば心の中で「チャイルドなんて」と呪文を唱えつつこの時期を乗り切ってほしい。また、自分の子どもは「チャイルドの選手」になりたがっているのか「新体操の選手」になりたがっているのかよく考えてみるといいと思う。もしも「チャイルドの選手」を目指しているのなら、その夢がかなう方法を今のうちによく考えてみたほうがいいし、でも、目指しているのが「新体操の選手」なのだったら、チャイルドには縁がなく、チャイルドではなんの実績もなかったのに、ジュニア、シニアで活躍している選手はたくさんいることを思い出してほしい。
また、選ばれて出る子のことがどうしても「うちの子よりうまいと思えないのに」「そんなにがんばっているように見えないのに」と納得できない人は、もう一度よく自分の子とその子を冷静に比べてみるといい。どんな子でも「すべてにおいて勝る」ということはないのだから、あなたの子のほうが柔軟性があって、スタイルがよかったとしても、選ばれた子のほうが、もしかしたら脚が強いかもしれない、ジャンプ力があるかもしれない、元気よく踊れるのかもしれない、、、、きっとどこかは「ああ、あの子のほうが優れているかも」というところはあるに違いない。今回は、そこを先生は見たのだと思ってほしい。なにもあなたの子よりもその選ばれた子のほうが、未来永劫、優れているはずと思われているわけではないのだから。
また、親はどうしてもわが子のがんばりは目に見えるが、ほかの子がどのくらいがんばっているかは見えにくいものだということも覚えておきたい。あなたから見れば「うちの子がいちばんがんばっているのに」と見えるだろうが、やはりほかの子もその子なりにがんばっているに違いないのだ。そして、そのことを指導者は見ているし知っている。あなたの子ががんばっていることもきっと指導者はわかってはいるはず。だけど、今回はよりがんばりの見えた子のほうを選んだのかもしれない。
たいていの指導者にとって、「チャイルド競技」は、親や本人が思うほどの大きな意味はもっていない。だから、こちらが思うよりもずっと安易な気持ちで、「今回はこの子」と選んでいる場合も少なくないようだ。だから、その程度のことで「うちの子よりもあの子のほうに期待しているんだ」なんて思い込まないこと。それだけは忘れないでほしい。



© Rakuten Group, Inc.