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2022年07月31日
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カテゴリ:最近観た展覧会
13:30からの石川の歴史遺産セミナーに参加する前に、
駆け込みというか駆け足で展示を観ました。

令和4年度 夏季特別展​「工芸教育の精華 ― 納富介次郎とデザインの思想 ―」

■趣旨

金沢工業学校(石川県立工業高等学校の前身)は、日本で最初の工芸とデザインを専門的に教育する学校として、明治20年(1887)に石川県勧業博物館の一部を仮校舎として開校しました。
納富介次郎を初代校長として迎えたこの学校は、日本の伝統的なものづくり思想に西洋のデザイン思想を融合させた創造的なカリキュラムにより、多彩な工芸・デザイン教育を展開します。
その結果、石川の工芸は今日工芸王国と称されるまでに発展を遂げ、日本の工芸文化を先導する役割を担うまでになりました。

本展は、金沢工業学校の開校以降、石川県にゆかりのある工芸教育者たちにより制作された作品や図案、図書資料等を一堂に展示することで、
工芸王国石川が誇る先進的な工芸・デザイン教育の全容と、各時代の教育者たちがもつ教育理念や工芸文化に対する想いなどを理解して頂くことを目的に開催するものです。

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第1章 工芸教育の黎明
開校当初の金沢工業学校は、専門画学・美術工芸・普通工芸の3学部からなり、納富介次郎により招聘された優秀な教員たちによって最先端の教育が実践されました。
この学校で生徒たちは、教師の技術や理論のみならず、人間性や生き様までをも参考にし、作家として大きく成長していきました。
本章では、開校当初から石川県立工業学校と改称されるまでの期間中に教鞭をとった教員らにより制作された参考作品や、実習教材などを紹介し、
工芸王国石川の礎を築いた教育者たちの挑戦と苦悩の足跡をご覧いただきます。

第2章 教育思想の継承と発展
石川県立工業学校で実践された教育内容は、当時全国各地で開校が予定されていた工業・工芸学校の模範となり、県内外から多くの教育視察団が訪れました。
また明治35年(1902)に図案絵画科内に設置された「工業図案所」は、教育と産業現場の橋渡しをする役割を担い、現代における産学連携のパイオニアとなりました。
本章では納富介次郎の教育思想を継承することで、新たな時代の教育の在り方を模索し、石川県のみならず日本の工芸とデザイン教育を牽引した教育者たちの足跡をご紹介します。

第3章 工芸教育の現状と未来
金沢工業学校を嚆矢とする石川県の工芸教育は、
その後金沢美術工芸専門学校(金沢美術工芸大学の前身)の開校、石川県の3つの工芸技術研修所(輪島・九谷・山中)の開設、石川県立工業高等学校工芸科の設置と、
産業としての工芸から芸術としての工芸へ舵を取ります。
本章では、戦後の復興期を経て現代に至る工芸とデザイン教育の様相について、公募展出品作品を中心に紹介します。
作家と教育者双方の立場から、工芸王国石川誕生に至る確かな足取りを読み解くことで、工芸とデザイン教育の、未来に向けたあるべき姿について考察します。





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最終更新日  2022年08月03日 08時28分12秒
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