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テーマ:鉄道(21807)
カテゴリ:熊本電鉄
堀川駅(ほりかわえき)は熊本県熊本市北区八景水谷一丁目にある熊本電気鉄道菊池線の駅。
駅番号はKD12。 熊本電鉄としては珍しく有人駅舎である。 駅員はいないため無人駅扱いだが、熊本電鉄観光の社員が駅舎内に常駐しており、駅の管理と定期券の販売を行っている。 1913年(大正2年)8月に開業。 1979年(昭和54年)8月、貨物取り扱い廃止。 1988年(昭和63年)4月、自動閉塞装置(電子符号照査式)導入に伴い無人化。出札業務のみ子会社の熊本電鉄観光に業務委託。 菊池線の御代志駅から菊池駅までの間が存在していた1980年代前半までは藤崎宮前駅から当駅折り返しの定期列車が設定されており、留置線を使った車両留置や列車の夜間停泊も行われていた。 そのほか1979年までは構内で貨物取り扱いも行われていたため、構内に数本の留置線や側線が敷かれていた。 島式ホーム1面2線の地上駅。 2014年度の1日平均乗車人員数は347人。 堀川駅の隣の駅は八景水谷駅(はけのみやえき)で1キロほど距離が離れているが、その間には八景水谷公園や水の科学館などがある。 堀川駅の駅名の由来は、江戸時代に白川から坪井川までの水路を開削し、この水路を堀川と言い、周辺を流れていたことによる。 近くに八景水谷公園や水の科学館があるように、この周辺の地域は昔から水路に関して整備されていた土地なのだろう。 八景水谷(はけのみや)の由来は、水源地であったこの地に茶屋を造った第3代熊本藩主細川綱利が茶屋から眺めた8つの景観を近江八景になぞらえて名付けたもの。 今は周辺は住宅地になっているが、昔はここからきれいな景観(景色)が8つはみれたということだろう。 また八景水谷公園には熊本城で有名な加藤清正の銅像が建っているが、加藤清正は城造りばかりではなく、治水などの行政官としての面でもかなり優秀だったのだろう。 一般的に加藤清正というと猛将のイメージがあるが実際は有能な政治家であったといわれている。 加藤清正が熊本(肥後国)を治めていたのは、1587年(天正15年)から1611(慶長16年)の30年もいかない期間で、子供の加藤忠広のとき(1632年)に改易となり、代わりに細川忠利が熊本をおさめることとなる。 その細川忠利が熊本に入るとき細川家の行列は、先頭に加藤清正の霊位を捧げて熊本に入ったという。 これは現代に例えるなら、新しく県知事になった政治家が20年前に死んだ、前の県知事の業績をたたえ、その死を悼みながら仕事初日に県庁舎に入っていったというところであろうか。 いかに加藤清正が当時、熊本県人(肥後の国の民)にとって神がかっている人であったかがわかる話である。 ”九州の鉄道”に関することで参考にしている本 ・九州の鉄道おもしろ史 明治・大正・昭和 [ 弓削信夫 ] ・福岡鉄道風土記 /弓削信夫 /〈単行本〉【中古】afb ・JR九州のひみつ [ PHP研究所 ] ・九州鉄道の記憶 名列車・名場面・廃止線 [ 宇都宮照信 ] ・人口減少と鉄道 (朝日新書) [ 石井幸孝 ] お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.05.21 17:06:40
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